代々木上原と幡ヶ谷の間で代々幡斎場の裏、西原の事務所を3人でシェアしていた頃には、焼肉も食べに行きました。もう何十年も前の話です。とんとご無沙汰だった焼肉に連れて行って貰いました。浅草寺の裏のお店は素材自慢でタレも素材を活かすのにアッサリ目でした。美味しかったのですが、私の知っている焼肉とは随分違うモノでした。焼肉って安い肉を濃いめのタレで美味しく食べるための工夫だと思っていました。手を加えることより素材を厳選したがるのは日本人の癖です。もうコリアンバーベキューとは言えない気がしました。
最近は日本のパンが美味いとの自慢をよく見かけます。ついこの間まで、フランス仕込みの職人さんが焼くバゲットが美味しいなんて話をしていた癖にと思います。何が美味しいのか、要するに柔らかくてフワフワ モチモチのパンは他に無いとの自慢でした。そりゃそうでしょう、結局は饅頭にしないと日本人の気が済まないのだと思います。行き着くところはお餅じゃ無いかと推測します。
冷し中華に天津飯、担々麺も中国には無い中華料理だそうです。日本人ですから、鰹だしに小麦粉の入った蕎麦屋のカレーも好きですが、あれをカレーだと言い張ったらインド人は嫌な顔をすると思います。ナポリタンも日本の料理だとすれば許されると思いますが、イタリア人にスパゲティだと言わせるのは無理が有ります。
国外の日本料理店の殆どが中国人か韓国人に依るもので、日本人の考える日本料理とは随分違うものだそうです。怒り出す人も居ますがナポリタンを食べてる私達に責める資格があるのか疑問です。
中国文化の吸収に熱心だったのに、唐風から一転 日本の王朝文化が育まれる中、優美さを求める文化を国風化と習った気がします。ウィキペディアを見ていたら、’国風化’の説明の中に、本来は中心にあったものがそれぞれの地方に取り込まれる様を言う、つまり雅とは逆の概念だったと書いて有りました。
自分の位置こそを世界の中心とするか、狭い自分の世界の外にも人が居ると考えるかの差は、絶対的なものでは無く、常に揺らいで居ると。舶来を有り難がったり、根拠もない思い上がりに傾いたり、持って生まれた中華思想を持ち合わせてる訳じゃ無いから仕方がないのか。