既に知っていた建物だって十分に興味深いのですが、建築の歴史あるいは教科書では見たことのない、フォードの工場と郊外ショッピングモールはさらに興味深い物でした。’母の家’ですが、写真は随分見た筈ですが動画で見ると、本当に歩いて見て回った様です。小さな家の中がチャーミングだったのも嬉しかったなぁ。
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既に知っていた建物だって十分に興味深いのですが、建築の歴史あるいは教科書では見たことのない、フォードの工場と郊外ショッピングモールはさらに興味深い物でした。’母の家’ですが、写真は随分見た筈ですが動画で見ると、本当に歩いて見て回った様です。小さな家の中がチャーミングだったのも嬉しかったなぁ。
これは良い気がします。アメリカ人の作る家にはどうにも馴染めない所があったのですが、これは日本に建てても、日本人が住んでも良いと思います。日本なら庇は付けた方が良いと思うけど。
ニューオーリンズの復興にも関わる所があるのかな。
全てのアメリカンプロダクトが最高とは思いませんが、これはT型フォードやジーンズ、iPhoneと並べても良いかな、末席なら許されると思います。
玄関の欠き込み部分だけ白なのも良いなと思っていたのですが、斜めからの写真では同じ色です。照明の具合でしょうか、裏と表のデッキが階段の付け方一つで意味を変えているのも良いな。安物風ですが嫌じゃない。ベンチューリのビーチハウスを思い出しました。
坂本先生の幾つかに似た所があると思う人もいるかも知れません。私はむしろ違いを感じます。有りとあらゆる吟味の上で出来上がる先生の作品に比べてアッサリしてます。全ての建物が先生の作品みたいにエネルギーが掛けられる必要はないと思います。このぐらいでも良いんじゃないかと思います。
自らを建築家と名乗る事にてらいと逡巡があります。お客さんの中には建築家の先生扱いをしてくれた方もいらっしゃいましたが、普通は設計屋さんと呼ばれます。それを不当と思う気持ちはありません。
しばらく前に「若き建築家のひそやかな恋とコンペの闘い」を描いた小説が幾つかの書評で褒められていたのは読みました。若き’建築家’のお話に我が身を擬える気持ちはありません、ただ身近な世界でもあって、こそばゆい気もします。畑違いの人が描く建築家像は大抵妄想ばかりで的外れ、近寄るのも恥ずかしい事があります。逆に的外れでないのは自分勝手で迷惑な人種と書かれる場合です。そんな訳で評判の小説を手に取る事はありませんでした。
たまたまアーノンクールについてのお話が聞きたくて、出かけた会の話し手が件の作家兼編集者でした。アーノンクールからツバイク、ボネガット、須賀敦子までのお話を聞いて興味が湧きました。会場で件の小説を手に入れました。
映画やテレビでも建築家を取り上げて何らかのドラマをでっち上げる為、恋やコンペを持ち出してくるのを見た事があります。けれど建築設計やその過程そのものがドラマのモチーフになるのを見た事がありませんでした。現実の設計において生じる葛藤はテレビドラマと無縁でそうした題材にはならないと思っていました。無理やりドラマを作れば根拠のない恥ずかしいものしか出来ないとも思っていました。
クライアントの口から突拍子もない注文が出てくる時。全体の計画と矛盾したり、予算オーバーになってしまうなんて話はドラマで出てくる可能性もあるでしょう。でもこの本の中に出て来る対処や信条には設計からはよその人が書いたとは思えないリアリティがありました。
物造りや設計が人を驚かせてナンボの見世物に成りかねない事、そうした事に含羞や危機感を持つ人もいる事。
「理不尽なものに押し切られる事もあるだろう。相手のある仕事だからね。ただただ最後に押し切られるにしても、自分の考えは、言葉を尽くして伝えるべきなんだよ。そうでないと自分の考える建築がどこにもなかった事になってしまう。」
畑違いの人にこんな事を言われるとは思ってもいませんでした。
「建築にはこれ見よがしでどこか意表をつこうとするところがある。けれど先生の設計は含羞なんだよ。」
これ見よがしな世界には意外かも知れませんが、建築の世界には’先生’のモデルと思しき吉村順三の信奉者も多くて、これまで何十年か、私も仕事の中で吉村順三に関する話をあちこちで聞いて来ました。狭い建築の世界では暗黙知とされている項目が幾つもあります。畑違いの人が良くもまぁこれだけ集めたなと思いました。作家自身の創作に依る所もあるのでしょうが、日本における建築の世界で吉村順三がどう言う存在か、よその世界の人に知ってもらう良い機会だとも思います。
「なんとなくクリスタル」って本が好意的に取り上げられる事は少ないと思いますが、ここでは悪意を含みません。音楽や食べ物にについては村上春樹もよく取り上げます。テディ・ペンダーグラス、マーラーやグランパルティータと言う選曲が状況の説明にもなっているのでしょう。80年代初頭 もう一つの「なんクリ」と読めない事もありません。ルノー・5(サンク)にボルボ240、シトロエンDS、プジョーの305(309.306.505は覚えているけど305は見た事がなかったなぁ)、マイケル・フランクスにAOR、麻里子のデッキシューズに雪子はメインハンティングシューズ、リンにクォードにタンノイ。ただヴィンセント ブラックシャドウを普段使いするのはちょっと大変なはずです。1泊か2泊、軽井沢までのツーリングなら無理は有りません。けれど’夏の家’でひと夏のメンテナンスが可能でしょうか。記号としても強すぎる、別の意味を持たせてしまう気がします。もし若い所員がスポーツカー好きとの設定であれば、ヒーレーやトライアンフ、エランでしょう。安いのを探してポルシェもあり得るでしょうか。そこでガルウィングの300SLじゃまるで意味が違っちゃう。主人公の先輩を説明するのに、古い英国製オートバイであれば、私はベロセット辺りが適当と思いました。持ち主の環境が桁違いとの設定であれば良いのかも知れません。
私は1981年にある美大の建築科を卒業しました。就職先を捜す折、卒業生名簿の中に吉村事務所に勤めている人を見つけて電話をした事がありました。独立後シェアしていた事務所で机を並べて仕事をしていた3年先輩の女性にサンクを勧めた事も思い出しました。(恋愛には関係の無い話でしたけど)私自身がサンクに乗るようになったのはずっと後、シュペールサンクが中古になってからでした。
恋模様については私の守備範囲外ですが、建築の話には大変感心しました。先生の言う美校と’ぼく’の美大の使い分けも正確です。逆に私の知らない世界も何重もの下調べの上に出来ているのでしょう。暑い夏の間、事務所ごとの避暑をするレーモンド事務所の昔話は聞いた事があります。けれどそれは、戦前の話でしょう。クーラーの行き渡った80年代にどこかの事務所で続いて居たのでしょうか。でも取り上げたい美風とする気持ちは良く分かります。浮世離れした別世界に飛んで行くのに又とない仕組みでもあります。世知辛いこの世との行ったり来たりが生まれるのも好都合でしょう。学校を出て80年代から現在までの時代の流れを過ごして来て思い当たる事も沢山ありました。建築など興味の無い方にも、どこかで思い当たる事があるかも知れません。
とっても良く出来ているけど、全てが受け身で何が言いたいのかが分からない。何にもしないのに周りの人が大事にしてくれる。この本だか主人公の事だかわかりませんが、薪を丁寧に積む事と昔の先生に似ている事だけだと納得が行かない人もいるかも知れません。けれど、世の中には色々な物を大事に思う人が居て、こうした小さな物で決まっていく事ってあるんだよと思います。自分以外の大人の勝手な都合と思惑で事が進むのは良くある事です。けれど一人の若者を姪の相手にとまで見込むのにはもう少し時間が掛かる気もします。
前の時代への憧憬と、自らの立つ所 価値観への自信と読んでしまうと、(自慢と書くと悪意ととられてしまいます)文句を言い出す人がいても不思議はありません。
皆が知っている、日本にも馴染みが深い、日本人の情緒に訴える所の大きいライトと、タリアセン、不倫が小説と言うお料理の為に必要だったのは良く分かります。ライト-レーモンド-吉村との軸があるとすれば(私はあまり無い気がします)一つ飛ばしただけかも知れません。けれど、日本には希な合理とある種の無名性を吉村順三に感じる私はライトと不倫をネタにする事に馴染まない物を感じました。けれどこれは個人的な問題で人様に同意を求める物でありません。何より、どこにも吉村とは書いていない、多くの人に読んでもらう為のフィクションなのですから。そうしたズレを含めてとっても感心しました。お勧めします。
2016-12-05 カテゴリー: automobile, books, motorcycle, music, 建築 | 個別ページ | コメント (0)
オリンピックの誘致にどれだけの大金を使ったのでしょうか。喜んでいるのは自分の商売を考えている人だけでしょう。テロを呼び込むだけの覚悟が出来ているでしょうか。上野の商店街の人達も喜んでいます。上野の西洋美術館が世界遺産に登録されたそうです。彼らが何で喜んでいるのか、詰まる所、世界から客が来れば自分が儲かるって事でしょ。浅ましい事だと思います。建物を大切にする事って ノボリを立てて、皆で大騒ぎをして、コルビジェ饅頭を売る事じゃないって判って欲しいと思います。まず、素性を明らかにする事が必要です。現在の建物が無価値だとは思いません。色々な人の手が入っている事、度重なる改修で本来の形とは違っている事も含めての価値だと思います。それはコルビジェの建物かどうかとは矛盾を含みます。コルビジェの意図を散々無視しておいて、今度はその御威光にすがろうという日本人の節操のなさを明らかにすべきです。
勿論素敵な所もある建物ですが、あれをコルビジェデザインと言ってしまって良いのでしょうか。原型の保たれているサボア邸やマルセイユと同じ重要性とは言い難いと思います。これを機に原作の意図を大事にしようという事なら賛成です。
森美術館って所に行ってきました。六本木ヒルズに映画を見に行った時も整理されない動線計画やガチャガチャと賑やかだけど貧相な設えにうんざりしました。森美術館への動線にも同じ様に判りにくくて雑多で貧相な物を感じました。券売り場のオネエサン達の様子からすると、少しはお高く見せたいという意図が無い訳じゃ無さそうです。けれど浅草の裏で怪しげな見世物小屋を覗いている様な場末な感じです。何十年か前に建って、すでに哀愁漂う東京タワーや京都タワーにも似た感じを受けました。村上なんとかの五百羅漢には絶妙な場所だと思います。
何かを整理して判りやすくしようと意識が無い様に思います。あれとこれと詰め込むのに必死なんでしょう。やはり目先の商売しか考えられない不動産屋に任せればこんな所かと落胆しました。商売第一だからこそ格好の良いモノが出来て欲しい。偉い作家先生の自分勝手より使いやすいモノが出来て欲しい。・・・そうは、成らなかったみたいです。ミッドタウンにも別な不満がありますが、少なくとも美術館で何かに対峙しようという時の静謐は確保されていた気がします。
いつだったかの浅草のアミューズミュージアムのアプローチを思い出しました。アプローチの段階では既に食傷ぎみでした。
建築に興味を持ってから随分経ちます。丹下さんの代々木に対する敬意と都庁にたいする疑問に差がある様に、当時の篠原さんや磯崎さんの輝きが今も同じかと言われればそれは違う気がします。スターリングも死んじゃいました。今だに同じ輝きを保っているのはフォスターぐらいじゃ無いでしょうか。良い仕事を長い時間続けるのも難しい事ですが、一つの仕事にも色々な面があって全てに渡って建築ってこんなに格好が良いんだと胸を張れる人も少ないと思います。スケッチが格好良いんですよ。何本も線を引いた上にトレーシングペーパーを重ねて清書したなら解ります。あれをいきなりサラサラと描いちゃうのかなぁ。凄いなぁ。
最近のお仕事もありましたが、昔から憧れていた仕事の幾つかを再認識出来た事が嬉しかった。とにかくスケッチも模型もめちゃくちゃ格好良い。この間見たゲーリーも面白かったけど、ザハやゲーリーは新手の建築ギャングであってフォスターこそが建築の本流、エスタブリッシュメントだと思いました。会場へのアプローチにも1800円にも抵抗がありますが、フォスターはお薦めです。超格好良いと思います。
斬新で格好の良い解決が独りよがりにならず、必ず構造や光、環境負荷の裏付けがされている所も格好良いのですが、時々設計者の説明通りに受け取って良いものか、本当の所はどうなんだろう、鏡やガラスの掃除が大変とか、夏暑かったり、雨漏りしたりしてないだろうかと心配にもなります。
国立競技場と書こうとして、その名前に自信が持てなくなりました。オリンピックスタジアムと書けば一番分かり易いと思いました。
昨日の晩、ネットでは13億の設計料を払うから案の流用に目をつぶれと、日本側からザハ・ハディドに持ちかけたとの記事が出ていました。隈研吾案はあまりにザハ案に似過ぎているとは、一方の伊東豊雄も言っていた事です。取り様によっては新聞の一面でも可笑しくないと思いましたが、今朝の朝刊には一言も出ていないので自らの備忘録として残して置こうと思います。左右の対立と読み解ける問題であれば、一方の不都合は一方の好都合ですから、どこからか報告があるでしょう。どちらにも不具合であれば、黙殺されてしまう可能性がある様です。けれど国内で不問とされても外で大顰蹙を買う可能性があります。
ザハは取引に応じないでしょう。これがどういう事か日本人にはピンと来ない様です。頼んでいた案を一方的に中止して、その案を一部流用して別の人間にやらせた、こうした出鱈目をお金でもみ消そうとした。そうした出鱈目をやったのが国だった。どんなに不名誉な事かが分かっていない様です。放射能の垂れ流しやこうした不手際にも前大戦での不始末と同じ様に目を瞑る積りでしょうか。不名誉続きにはまだ2幕3幕がありそうです。
ザハの案を止めるという判断はあっても良かったと思います。けれど止める以上は今までザハと積立ててきた案を諦める事が必要です。せっかくここまでやってきた事を流用させてよとは言えない事を理解できていなかったのでしょう。
皇居の新宮殿も吉村さんを立てた以上その意図を大事にすべきでした。都合の良いところだけ取り込んで後は宮内庁の勝手にやらせろなんて出鱈目が他所でも通ると思ったら大間違いだと知るべきです。
三輪車の後輪操舵って、格納庫から滑走路に出て行く二次大戦の戦闘機みたいに見えました。周りを走る車とはまるで違う所から作られている事が良く判ります。動く姿を見てとても具体的なイメージが出来ました。
2015-12-06 カテゴリー: automobile, 建築 | 個別ページ | コメント (0)
坂本先生の新作です。簡単な矩形のプラン、この写真からはシンプルな印象を受けるかも知れません。
とんでも有りません。何年か前の八王子での展覧会では、巨大な模型が既に出来ていました。あれからもずっといじり回して来た家なのではないでしょうか。
住む人や使う人に複雑で使い難いなんて事は無いでしょう。むしろシンプルで使いやすい、何より快適そうな家です。けれど、断面図を考える事が何より好きと公言する先生が、何年も掛けた家です。入り口上のカンチレバーについて、どうやって出来ているのかを考えだした途端に話が違って来ます。コンクリートと木造の混構造で有る事、断面図等の説明が無ければ、構造的な成り立ちをすぐに理解出来る人は少ないと思います。逆にここまで煮詰める過程が簡単ではないと想像出来る人は少なくない筈です。
四方を壁で囲まれてドアを介して繋がって行く普通の部屋がこの家には有りません。(言い切っちゃうと嘘かな)床の高さをずらして行く事で部屋の下に部屋を滑り込ませています。限られた平面の中に何層かの部屋を重ねて尚、全てがズルズルと繋がる一室空間を実現しています.普通の2階建て3階建てであれば階段で繋ぐしかない何層かの空間を一続きのモノにするのはhouseSAと同じ仕組みです。こうした不可思議を実現する為の工夫があちこちに詰まっています。
大変に感心もしましたが、正直に言えばここまでやる必要があるのだろうかとさえ思いました。
大きな音は出せません。室内楽を楚々と鳴らすには最高です。こうした意見が多い様です。イヤイヤ、ちゃんとブリブリの音だって出しますよ。私はこちらの意見に賛成です。
けれど、Sam&Daveやエラの声にもう少し厚みが欲しいとは思います。Ben WebsterやIllinois Jacquetのラッパにブォッて言う迫力が欲しくなるのも事実です。だったらホーンを使えAltecを使えと。それも、ごもっともだと思います。アメリカの音楽とイギリスの音楽って別の物なのかも知れません。
こうした大きな傾向には変わり有りません。チャンネルディバイダーもオイロダインもはずしてしまいました、プリ付きDACから直接是枝アンプでESLを鳴らし込んで来ました。機械としての環境にも、此の所変わりは有りません。
鳴らす事以外何もしていないのですが、音が良くなります。植物にだって声を掛けながら水をやると応えてくれるなんて話は、成る可くしたく有りません。どう説明をすれば良いのか分からないからです。スピーカー自体はもう何十年も動いて来て、初期ランニングはとうに終っている筈です。機械自体の馴らしの他に組み合わせにも馴らしが必要だとして、部屋まで含めたシステム全体の馴らしが進んだとでも言えば良いのでしょうか。不思議だなぁ。
こうした時間による音の差を聞いてしまうと、切り替えての同時比較って意味を失ってしまいます。左右のSP間にぽっと浮かぶ音像は最初からですが、その中での前後左右がより明確になって来ました。少し歪んでいるのかなと思っていたボーカルが二人のコーラスだと気が付いた曲が有ります。最近二人の奥に更にバックコーラスがいる事が見えて来ました。
諸先輩方には、何を今更と言われるような事ですが、Audioって不思議だなぁ。
似た話が有ります。家を建てる時に何人かの設計を比べるコンペが意味を持つ事も有るんです。でもね、もっと大事なのは特定の人と時間を掛けてやり取りを積み重ねる事なんです。一度会って設計者だけが練りに練った提案を私は信じません。
2015-04-26 カテゴリー: AUDIO, 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ここ暫くは読売新聞を読んでいます。今朝の新聞を読んで大きなズレを感じました。鎮魂の日、追悼式、私達は忘れない、こうした言葉の羅列で何かが解決するとは私には思えません。
何も悪い事はしていない、地震で家が壊れた訳でもない、だのに住む家を追われて、仕事も収入のあても失って慣れない土地に無理矢理追い立てられる。こんなデタラメがまかり通る中で、東京に暮らす東京電力の社員が住むのに困る、仕事を失うなんて聞いた事がありません。こんな無法がまかり通ったままで良いのでしょうか。農地や山の除染なんて言ってますが出来る事は限られていて未だに高い放射能がそのままになっている事。除染でどんどん増えるゴミの行き場が無い事。津波の追悼式も大事ですが、生きている人の為に責任を取らせる事が大事だと思うのは私だけでしょうか。
昨日の晩のテレビでは地底深くに埋める最終処分場計画も、安定していると思われた岩盤や岩塩の層がズレたり水を通したりで当てにならない。放射能が消えるまで、10万年の間に何度かある氷河期では氷の重さで岩盤が歪むと言っていました。
管理下にあると豪語した原発からは汚染水の流出が止められません。政府やメディアの思惑もあって日本人はあまり気にしていないみたいですが、日本の家や敷地の中が汚染されても、まぁ可哀想で済むかも知れませんが、公海や自分の敷地までが汚染されたら許さないと思う隣人は多いと思います。
原子力発電を進めるフィンランドでは、原発には最終処分場が必要で、そうした計画の無いままの発電はあり得ない。トイレの無いマンションは法律で作る事が出来ないと言ってました。
別の話ですが、腹立ち紛れにもうひとつ。安藤忠雄に’建築は出来上がった時が一番綺麗と言う事ではなく、ずっと育て続けなければならない。そうすれば使う人も愛着を持つでしょう’なんて事をぬけぬけと言わせているのも腹が立ちます。もう20年以上も前ですが、神戸に行って安藤の商業施設などを見て回りました。自分が通したい直線一本の為に、一時的な写真写りの為だけに、雨仕舞いも鉄の錆も無視した自分勝手な収まりが何年か経って、見るも無惨な状態でした。設計者の勝手がどんなに迷惑な物か心に残りました。こんな奴に自慢をさせておいて良いのでしょうか。
2015-03-12 カテゴリー: 宗教, 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
坂本先生の代田の町家が、取り壊される事無く新しい持ち主に引き継がれる事になりました。嬉しい限りです。なにせ1977年だか76年だか竣工の建物ですから相当に痛んだ所も有りました。新しい持ち主を迎えるに当たって、先生ご自身の事務所で手をいれた様です,改修工事が終わって拝見する機会を得ました。隙間の出来た竪羽目の壁はペンキを塗り直すぐらいしかやる事が無いのは仕方が有りません。驚いたのは主室壁面の吹き出し口です。ある時期の篠原さんや坂本先生のお仕事を特徴づけるものだと思いますが、これを又活かしたのだそうです。床暖房もボイラーは替えたかも知れませんが大理石下の銅配管も活かしたそうです。キッチンや洗面、浴室は今の基準でやり替えられています。今までこうした水回りにもストイックな姿勢を崩さなかった先生ですが、浴室のテラゾータイルは昔の倉俣さんを思わせる可愛らしいものです。新しいオーナーの御意向だったり、事務所の担当者の好みだったりが考えられる所ですが、先生ご自身の中にもこうした可愛い物を許すお気持ちが有っても不思議はありません。
追伸、お風呂のテラゾータイルについて先生に訪ねた所、お施主さんの選択だそうです。先生ご自身では’根拠の無い事はしない’と仰っていました。
2014-11-03 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
久しぶりにCar Graphicを買いました。最初に買ったのはヴァンケルエンジンのベンツが表紙でした。中学高校になって少しお小遣いも増えてからはバックナンバーも集めました。50号から150号までは抜けが無かったと思います。雑誌を通して、編集長の小林さんから教えてもらった事は色々あった筈ですが、覚えているのはブレッド&バターとか、熱いナイフでバターを切る様に、と言った言い回しが少しだけです。あぁ、エンスージアズムなんてのもありました。ワンメイククラブって言葉もそれまで知りませんでした。安いオースティン7のクラブも高価なブガッティのクラブも彼の中では等価だったこと。世間での価値の高低とは別の所で、自分の好きな物とどう付き合うかを教えてもらった気がします。毎月の雑誌は車という事実の羅列に過ぎなかったはずです。偉そうな人生訓や利に聡い処世術などはありませんでした。けれど違う所で’君たちはどう生きるか’を教えてもらった気もします。偉くなる事や儲けることだけが大切な世の中だとしたら随分と辛いことです。ご近所ではありますが、銀のさじをくわえて生まれて来た小林さんと私とでは世代も違えば住む世界も違います。交わる所は一切ないものと思っていました。小林さんが愛用したのと同じシトロエンXantiaに何年か乗れたのは嬉しいことでした。彼が普段の足にしている事は何度か読みましたが、随分なお気に入りだった事は私も手放した後に知りました。
あらゆるオモチャは父親の手造りでした。手で転がすしかなくて、友達の電池で動くオモチャが羨ましかったのを覚えています。日曜の夕方やっていた’アンタッチャブル’を見た後、トンプソン・サブマシンガンのオモチャを作ってくれました。西部劇に出て来る騎兵隊の帽子も作ってくれました。妹はお姫様ごっこの為のお城やおままごとの為のキッチンを作ってもらいました。本人の好きなものなら何でも作ってくれました。けれど嫌いな物は作ってくれませんでした。小学生の3年か4年の時でした。私は平行の物を平行に描くと、目で見た様にならない事に悩んでいました。透視図や消失点なんて言葉も知りませんでした。カメラの仕組みを使って、人の目に物がどう見えるかを説明をしてもらった時には急に世界が開けた様に感じました。
そういえば暫く前には中村とうようも亡くなりました。彼の雑誌’ニューミュージックマガジン’を見ていたのはレコードの新譜紹介が目的でしたが、いつの間にか好きな音楽を自分で考える事を教えられた気がします。若い人間が年長の人間に何かを習うことも、そうした年長者が先に亡くなるのも無理の無い事ですが、これからどうした物かと思います。三人に共通しているのは、どうしたら立身出世が出来るか、どうしたら儲かるかなんて事は一切言わなかった事です。好きな物についてしか話しませんでした。
追記12/14 今日は永田さんの訃報が届きました。勤めたばかりの頃、arflexのカタログに載っていた、内外ともに床トラバーチンの家を見て、前からこの家が好きでしたと言ったら、玉井さんが永田さんの名前を教えてくれました。(内外のレベル差と柱で建具の框を隠すのは村田さんも真似していたなぁ。) 色々なつてで随分な数の作品も見せて貰いました。吉村一門の丁寧な枠廻りや低い天井を実際に見る事が出来て感じる所が多くありました。小賢しい枠廻りやディテールより他の所に建築の本質があるとのお考えは正しいでしょう。けれど永田さんの家を体験した上で言って欲しいものです。幾つかの作品を見る事でようやく吉村一門とだけではくくれない永田さんの何かが見えて来ます。まだ上手く言葉にする事ができません。新作でそうした違いを確かめる事も出来なくなりました。
2013-12-01 カテゴリー: automobile, music, 建築 | 個別ページ | コメント (0)
丹下さんが打破すべき権威と体制にあぐらをかいた既得権のカタマリに見えたのは何時からでしょうか。新宿の都庁をこれからも維持して行くのには莫大なお金が掛かると聞きました。誰より大きい自らの墓石を建てたかった。目前の巨塔を建てる事だけが目的で維持やメンテナンスには興味も無かったのでしょうか。メタボリズムって言葉の中には今時のサスティナブルなんて言葉と重なる所は一切無かったのでしょうか。
その時期が定かでは有りませんが、彼が社会の流れとはずれてしまったと感じる時がありました。黒沢明に同じ様な感想を持ったのと同じ頃かも知れません。けれど寧ろそれは憐憫に近い物でした。許せないと感じたのは都庁だったと思います。
この本で思い出しました。なんてったって明治以来の日本の建築家でナンバーワンは彼しかいない。広島や成城の自宅、代々木の体育館には文句のつけ様がありません。素晴らしいとしか言いようが無い。他にも山の様に並ぶ名作の中では山梨文化会館と新幹線の脇にたつ静岡新聞が好きです。此処いら辺りに比べると磯崎も黒川も槙、谷口も遠く及ばないと感じます。(東京カテドラルなど好きじゃないのも有りますが)
坂本先生の研究室やゼミの同窓会に先生の名前を付けたりせずに例の会って名前にしたのは悪くないと思っていました。前例が有ったとは知りませんでした。
2013-07-29 カテゴリー: books, 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
建築って、どうやって勉強するのがいいんでしょうね。どこかの大学に行けば教えてくれるものでしょうか。色々な授業を受けたし色々教えてもらったはずですが、何も習ってはいないとも言える気がします。一冊読めば全てが判る教科書なんて物にもお目に掛かった覚えがありません。未だにどうしたら勉強ができるか分からないなんて思っていました。
何より見る事でしか始まらない。けれど世界中を飛んでまわれる人は限られています。
ならば写真を見せれば良いんだと、ここまで分かっていれば出来る事も有りそうです。
これは良いと思います。これ一冊で良いかも知れない。
けれど逐語訳より大部分の人達にとって分かりやすい意訳が出来なかったものでしょうか。大学院で建築史をやろうという人には正確な直訳も良いかも知れないけれどそんな人は少ないと思います。
それからパラディオのロトンダがアメリカにあるとは知らなかったなぁ。
2013-07-17 カテゴリー: books, 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
流行歌手ふぜいが自らをアーティストと名乗る事に抵抗が有りました。自らの信じる所をひたすらに積み重ねて、万人の価値に至ること。それを成したと自ら名乗る事の厚顔。
ただアメリカ辺りでは言葉の意味というより使い勝手に差が有るのかも知れないと思っていました。
チャールズ・イームズは自らアーティストと名乗るのは恥ずかしい事だと言ってました。同じ様な考えがアメリカにも有る、或は有ったと聞いて少し安心しました。
イームズの仕事の内、私が魅力的だと思う部分の何割かはレイに依る物だとも知りました。ただ何人かに依る仕事の内、どこが誰の仕事だと後年決めつけるのも無理が有ります。レイに依る可能性が高いぐらいの認識に留めるべきでしょう。
私は渋谷のアップリンクという所で見ました。もらった整理券は8番で結局全部でも10人そこそこ。極く親密な空間で見る事が出来ました。この世のイームズに対する関心の大きさと、随分差がある様に思いました。ちょっと不思議な所でした。
芸術とは何かと言った問いに対して普遍の価値を求める行為だとどこかに書いてありました。しかし、実際に使われている日本語の中では、ピカソみたいなと言えば変な絵と言う意味ですし、岡本太郎は一般社会の外にいる変な人とのキャラクターを求められていました。だから日本語がどう使われているかから考えれば芸術とは’訳の判らぬ事’で芸術家とは’変な人’と言うのが正しい日本語の解釈でしょう。どちらも素人の係わるべき物でないと言外に言ってる様に思います。’芸術は爆発だ’との台詞はそれに続く一切の論議を否定するのに格好のものでした。
日本人は対等な立場での論議を好まないのだと思います。そうした論議を成り立たせる為に必要な個々の人間に依る別々の価値判断も放棄している様に見えます。一旦出来てしまった権威の評価に後乗りする事の方が既存の評価に楯突くことよりずっと得るモノが多いのでしょう。そうした仕組みを見抜いて、はったりは掛けた者勝ちだとしたのが北大路魯山人や安藤忠雄だなんて言ったら怒られるでしょうか。
長い前置きが言い訳になるかどうか判りませんが、ある権威に異議の申し立てをしたいと思います。法隆寺寺大工の西岡棟梁と言えば日本の社寺建築の第一人者で、大学の先生だって異論など挟めません。増して死んで仕舞いましたから議論を仕掛ける訳にも行きません。
彼の建てた薬師寺西塔の屋根勾配は対になる東塔と明らかに異なります。見た目におかしいだけでなく、瓦で雨を流すのには必要な勾配という物が有ります。誰だってあれぇ〜おかしいなと思います。彼の言い分は東塔だって千年を掛けてあそこまで垂れて来たのだ、新築時にはこれから千年の垂れを読み込んで置くモノだ・・・・・これを言われると言い返せる人などいません。かくも深いお話があったのですねとますます感心してしまいます。
実際、法隆寺五重塔や金堂の軒には後から入れた垂れ止めのつっかい棒が入っています。本当に垂れる訳ですから垂れる分を見込んでおくのはもっともに思えます。けれど垂れる事で釣り合いが取れるのなら垂れさせておけば良いのです。何でつっかい棒なんて入れるのでしょうか。あれ以上垂れて勾配が変わったりしたら組み物や他にもっと不具合が出てしまうからです。日本の大工、特に寺大工にとって屋根が建築の全てと言って良いでしょう。屋根勾配は見た目に係わる大問題です。そうした屋根の勾配にも少しは経年変化があるでしょう。勿論永年の木材の変化は読み込んである筈です。けれど勾配が何寸も変わってしまったらあちこちに不具合が出て来る筈です。
実はやっちまった可能性があると私は思っています。桁から垂直方向に屋根の出と高さを取れば勾配が出ます。垂木の実寸は出ますが棟木の実寸はでて来ません。平面図で見て45度方向への軒の出と高さを取る事で棟木の実寸が出ます。垂木の勾配と棟木の勾配とでは棟木の勾配は浅い物になります。何かの拍子に混同したりすると丁度あれくらいの勾配差が出て来ると思います。(同じ高さに√2(=1.41)倍の軒の出、ライズで言えば1/1.41の勾配そのぐらいに見えませんか?)
ピラミッドの様な四角錐の屋根を方形と言います。屋根では有りませんが四角錐の峰なりに4本の足が広がる図面を書いた事が有ります。実寸を出すのにと親切で書いた棟なりの図面を勾配なりの断面と混同された様でした。図面の書き方にも説明の仕方にも不味い所があったのでしょう。浅い勾配で大きく広がった四角錐が出来ました。私自身で似た様な間違いを経験しています。あれもそうじゃないかなと思っていました。どんなに偉い人だって間違う事ぐらい有るでしょう。御免なさいが言えない程偉くなってしまったのだと思います。
東西で対になった建物なんだから同じに建ててくれよ、左右で見た目が違ったらおかしいだろうって素人目からの感想に、私は賛成です。
「北大路」とあるべきが「北王子」になっていました。訂正します。玉井さんご指摘有り難う御座います。
2013-05-18 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (5) | トラックバック (0)
坂本先生の’代田の町家’が大好きで、外からは何度か見ていますが、中を見た事は有りません。雑誌の記事では写真や図面を何度も見ていてある程度の見当は付いている積もりでした。
独特の軒の低さや、それを成り立たせる天井の低さも承知している積もりでした。向こうにベンチューリが透けて見える気もしました。一見普通に見える事、目立たない事が信条だと言うのですから、一体どれだけの人に分かる物だろうかとも思いました。
単純な四角い主室(居間)は全てを白く塗る事で具体的な材料の質感を消してニュートラルな物にしています。床の大理石のわずかな透明感の所為で大橋さんの家具が宙に浮いた様にも感じられます。
中庭やヒンプン風衝立、ファサードに比べて中心の主室について語られる事が特別に多かったとは思えません。雑誌の写真では白くて真四角な語るべき点のない空虚な中心、整理の行き届いた単にシンプルな部屋に思えました。と,ここまでが今までの感想でした。
1976年の竣工ですから37年経った事になります。土地ごと売りに出されて、買い手が付けば壊されるかも知れないのだそうです。ゼミや研究室のOBに見学の機会を設けて頂きました。
長い間、憧れていた’代田の町家’をようやく見る事が出来ました。水無瀬の町家でも感じた微妙な寸法やプロポーションに対するこだわりは更に密度が高くなっています。具体的なスケールを想起させる人や物が写っていない竣工時の写真は宙に浮いた様な抽象性を感じますが、37年の時間の所為で、縦嵌めの板の目地に隙が出来たり、あちこちの汚れもあって夫々の材料の質感が強くなっています。写真では極くシンプルに見えた主室ですが、高さ方向に影響を与える要素がとても多くて、夫々の要素を手間を掛けて整理して、折り合いを付けた非常に濃密な空間に感じました。
西側の窓の高さとキャットウォーク、隣の和室の床との関係、更にその下にソファを造り込んで無理のない寸法を確保する事、ソファとサイドボードの高さを揃える事、使い勝手に無理があったり、見た目に煩雑な物を感じる事は有りません。けれど複雑多岐に渡る寸法の調整が想像出来るとその過程がトゥーマッチにも感じます。セクションを考えるのが何より好きだとご本人が言っている訳ですから、当然かも知れませんが、あまりに多くの要素を吟味、操作して整理する、一切の不整合を許さない。ここまでやるのかと思わせる濃い空間でした。バロックの教会とか倉俣さんの店舗の内幾つかに入った時と同じ様な圧力を感じました。ちょっと変なたとえですね。
houseSAが複雑な操作の上に成り立っているのに、中に入ってしまうとそうした事を感じさせないおおらかさが有るのとは対照的です。代田の町家を見て、初めてhouseSAの意味の内に分かる部分があった気がします。勘違いかも知れません。
三渓園、ご存知でしたか?私は行った事がありませんでした。近所の大宮八幡わきの和田堀公園に毛が生えた程度だなんて(随分違っていました)誰かが言うので期待もしていませんでした。これが、あそこは凄いなんて聞かされて、期待なんぞをして行ったら幻滅していたのかも知れません。人間なんて勝手なものです。
幾つかの点で大変に感心しました。まず随分な広さがある事です。周囲の山の所為で外とは別の世界が出来ています。尾根を超えて向こうに煙突が見えたりするのは残念ですが、高層の建物も増える中あまり贅沢も言えません。広大な土地の無い日本では山を背にして遠景、手前に近景と重ねて行く事で視覚的な奥行きを稼いできました。長い参道の奥に神社やお寺の本堂を据えて、その背景に山や林を置いて視線を遮るのが日本的な景観の作り方です。神社の森もこのご時世ですから、維持が難しい。本殿の裏には別のビルの背面が見えたりでは有り難さも半減してしまいます。その点で手前のアプローチ、その裏には山の背景があって、夫々の建物の収まりが非常に良いと思います。明治村に行ったのは大学の一年の時、江戸東京たてもの園には、以前の武蔵野郷土館の時にしか行った事が無いのでうかつな事は言えませんが、移築された建物はどれも、景観を含めた周囲の状況から剥がされてしまった時点で、剥製に成ってしまった様な寂しさがあります。その点は同じですが周囲に余裕と自然のある三渓園の配置計画は恵まれたものだと思います。
広い敷地に好きな建物を集めてご満悦、こんなに凄い道楽を見た事がない。そんな事をフィリップ・ジョンソンの自宅に関して思いましたが、こちらの三渓園も単なるお庭というより広大な敷地を活かした建物コレクションなのだとは知りませんでした。スケールや趣味の善し悪しでも勝っているのではないでしょうか。関東で一番古い三重の塔だの、禅宗様の仏堂、白川郷の合掌造り、エトセトラ、全て移築して集めたというのですから凄いコレクションです。アメリカには行った事が無いので比べようも無いのですが。
こうした建物や庭園は維持管理が大変ですが、入園料をとる施設だけに手入れも公設の公園よりは良いみたいです。
出来た当時の写真を見ると山の木立も奥行きがなくて、浅はかなテーマパークにも成りかねない所でした。何十年かの歴史が景観にも厚みを足しています。景観や作庭によるテーマパークという意味では小石川後楽園にも通ずる所があると思いました。
2012-10-29 カテゴリー: DESIGN, 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
’ムーミンが住む森の生活’なんて書いてあると、女・子供向けかと足が遠のいてしまう大人がいないかと心配です。そんな事はありません。いい大人にこそのぞいて頂きたい。
宇都宮はちょっと遠いし、美術館が駅から離れているのも辛い所です。鎌倉の近代美術館よりはちょっと遠いけど行けない所じゃありません。騙されたと思ってご覧戴きたい。
ふんぞり返って人を見て、ヘヘーっと人を這いつくばらせるのが建築だとでも考えているのではないか、だとしたら随分嫌な奴だと思っていた岡田新一ですが、彼の設計にしたら意外に軒の低い建物です。個々のデザインに文句の無い訳ではありませんが、世の中の動きや谷口吉生の一連の美術館などには影響される所があったのでしょうか。大きすぎないのも良いし、全体の規模やアプローチの整備には好感がもてました。計画段階で使う側から学芸員の方々が文句を言う機会もあったそうです。そこらも良かったのかも知れません。
フィンランドのデザインだの建築だのと言い出す前に、国土や風景が油絵で示されて、スウェーデンとロシアに挟まれた中でアイデンティティーの核になった神話の説明がありました。この手の前置きは面倒に感じる事も多いのですが、前置き一つ一つが十分に魅力的です。サーリネン(父)にアアルト、カイ・フランクにマリメッコ、後は皆様の期待通りです。
去年秋の目黒美術館・降旗さんや、今度の宇都宮美術館・橋本さん、お仕事に触れて感じる所がありました。あれだけの物を企画して飛び回って交渉して・集めて・見せてそれを責任持って返す事がどんなに大変か。箱ものばかりで中身が無い、ハードばかりでソフトが無いと馬鹿にして来ました。日本の美術館、人もソフトも育ってます。彼女達の仕事を評価するかしないか社会の側が問われていると思いました。
がんばれ日本の学芸員。
清家さんや篠原さん、広瀬謙二やRIAの家が載った本を良く見ていました。フジ型のフードを載せた白くて大きな湯沸かし器が何だか分りませんでした。蛇口をひねればお湯が出ると聞いて驚きました。
給湯設備なんて普通の家にはありませんでした。泥だらけになって帰って来た後、バケツにやかんのお湯を足して母が足を拭いてくれたのを覚えています。
丹下さんやメタボリズムはDuという美術雑誌に出ていました。その後、東さんの塔の家は建築以外のメディアでも目にしました。家庭画報からカーグラフィック、行く先々に出まくっていたのは宮脇さんでした。
日本の建築家も大方とは申しませんが、幾らかは知っていました。けれど、白井晟一は大学に入るまで知りませんでした。こんな人がいたのかと驚きました。
(小学校の頃、習い事があって中野/江古田とバスを乗り継いで通いました。中野から新井薬師、オリエンタル前、哲学堂公園の野球場を左折して、玉井さんの家の裏を抜けて、三波春夫御殿の下を通り江古田までもう少し、交差点の左手前に塀に囲まれた閉鎖的な家がありました。特別の雰囲気があったのを覚えています。あれが自邸『虚白庵』だったのですね。)
どこへでも出て行って、立て板に水の如く、書きまくりしゃべりまくる宮脇さんとは対照的に見えました。勿論、建てた建築には感心したのですが、建築科に入りたての初心な学生があのカリスマ性と言うか はったりにやられた気もします。何せ哲学科出身ですし、暗い中に一方から光を当てた劇的なお顔の写真しかお目に掛かれないし、私達のお習字とは訳の違う’書’やガンダーラの仏頭がピンスポットで浮かび上がったりすれば、すっかり呑まれてしまいます。最初は随分感心していたのに何かが違うと感じる様になりました。上手く説明出来なかったのですが、卒業後フランク・ゲーリーの自宅を写真で見て合点が行きました。暗い中でしかめ面しているばかりが手とは限りません、明るい所で笑って行く手もありだと思いました。
池袋の駅から歩いて5分から10分、昔は住宅街だったのでしょう。今ではすっかりビル群に囲まれています。大きなお庭の中には古くてくすんだ平屋が一軒。雨戸も閉まったままですが、地面には毎朝のほうきの跡が残っています。一文字瓦に銅の樋、ただ者でない事が分ります。外壁の付け柱、スリットを開けた基礎と土台。白井晟一スタイルとお見受けします。門下生によるものか、参考になる図面を捜せば誰かが真似る事も出来ます。けれど本人の作である確率も高いと思います。
普通の家とは掛かる値段が違います。それだけのお金が出せるお金持ちの好みと白井スタイルとが偶然重なる事は稀です。贅沢が結果として白井スタイルに繋がる可能性は低いと思います。最初から白井スタイルが目的だとすれば、本人に頼んだ確率が高いのではないかと考えます。豊島区役所がすぐそばに越して来る様です。このまま何時まで残れるか心配です。
2011-06-05 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
野中の一軒家では心配有りませんが、沢山の家が軒を連ねて並んでいる都市部では、隣家からの延焼の危れが有ります。そのため敷地境界又は道路の中心線から、1階で3m、2階で5mの範囲を延焼の恐れのある部分と呼んで、防火戸の使用を義務づけています。都市部で敷地境界から3m離して家を建てる事の出来る例は少ないと思います。大部分の家の大部分の開口は防火戸を使う必要があります。
具体的には20分火にあぶられても火を通さないこと、ガラスが割れても危険な破片が飛び散らない様に厚さ6.8㎜の網入りガラスを使う事、だそうです。こうした法律が、沢山あった木製窓をアルミサッシに代える事になった一因だと思います。
アルミのサッシ自体は普通の物と差がある様には見えません。けれど断熱を考えてペアガラスにしたいとなった途端に防火戸は高いものに付きます。3㎜+3㎜の普通のペアガラスに比べて6.8㎜+3㎜の防火戸用ペアガラスが高い所為です。日本の防火規準に拘らなければ輸入のペアガラスサッシは日本製よりずっと熱的には高性能で廉価です。(網入りガラスは視覚的に邪魔です。最近は網の入らない防火ガラスもありますがこれも高価です。)
つまり日本の防火規準が外国製の安いペアガラスの参入を妨げている訳です。非関税障壁って奴だと思います。それでも高い日本の防火戸が延焼を防ぐなら我慢もしましょう。
ニュースでは認可済み日本製防火戸を試験した所、20分も保たず、アルミ枠が曲がって火の侵入を許したそうです。確かに木のサッシは燃えるけれど、燃えるまでにかなりの時間が掛かる、それに比べてアルミサッシは火にあぶられれば一遍でひん曲がる。どちらが安全かは分らないとは昔から業界内では言われて来たことです。立派に見える網入りガラスも火にあぶられると普通のガラスより割れやすい、ガラスと鉄線の熱膨張が違う所為です。
日本の建築費が高いとの非難が有りますが、ウォシュレット付きの便器や非関税障壁に守られたサッシなど日本だけにしかない条件も大きく影響しています。
何年か前にシックハウスを防ぐため色々な規準が出来ました.ドイツでは遥か昔から壁紙などに厳しくて、紙製か木質のチップを使うか、塩ビを使う場合は量を制限されるなどしている様です。対策済みと称して日本では昔と同じ様に塩ビのビニルクロスが売られています。糊を変えたから大丈夫だとの事です。国土交通省のお墨付きです。
これも試験をしてみればどうなるのか怪しいものです。シックハウスとは別の話ですが火事で燃えると塩ビはダイオキシンや他の毒ガスを出すとの意見もあります。
とかく日本ではお上に認可なりの責任を任せてしまいますが、お役人は業界と接する事はあっても、一人一人の国民に面と向かうことは有りません。認可を取る為には試験や手続など莫大な手間とお金が必要です。役人が金も払わない国民の側に立つ仕組みは見当たりません。お金は掛かっても事態が解決される事は少ないと思います。国に任せれば自分でお金を払う事も無いと考えています。こうした事が積もり積もって日本の建築費を高くして、シックハウスも火事も防ぐ事が出来ない社会を作っています。結果的には高い物を買わされる仕組みに気が付いても良い気がします。
己の身を守る為には、自分の責任で判断すべきだ。もし出来なければ判断を下せる専門家を自分で雇うべきだ、などと言えば、自らを守る為 銃の携帯を許し、自己責任と称して国民階保険にも背を向けるどこかの野蛮国家の様だと嫌がられるかも知れません。
けれど、役人に全てを任せていいのでしょうか。
2011-01-30 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
とっても分りやすくて、沢山の人に聞いて欲しい地震の話です。地震研究の第一人者でありながらお話を聴く機会が少ないのは、国が沢山のお金を掛ける活断層調査や、気象庁OBの受け皿になっている緊急地震速報が無意味だと言ってはばからない所為です。(講演で御本人はこんな事おっしゃいません。)
過去に起きた地震の断層がたまたま地上で見る事が出来る場所が活断層であって、今見えない所でも地震の起きる可能性があるそうです。遠くで起きた地震ですが、地面を伝わって来る地震波より速く電波で伝えてテレビ放送などに乗せれば、地震が届くよりほんの数秒速く伝える事が出来るってのが緊急地震速報だそうです。数秒で何が出来るかという話もありますが、地デジ化でその数秒も食われてしまうのだそうです。
司法が体制の都合で動くでたらめや、そうした事に対する憤りは別の機会に、札幌地検に「詐欺」容疑で逮捕までされる顛末についてはこちらに譲りたいと思います。
ツメが伸びるのよりは速く、髪の毛が伸びるのよりは遅く、常に動く海洋プレートが大陸プレートとぶつかり合い、摩擦で固定された関係が一挙にずれる事が地震の原因だとすれば、二つのプレートがぶつかり合う場所は世界中にありますが、地球の表面積の中では限られています。その限られた場所の中でも、太平洋プレートとフィリピン海プレート、ユーラシアプレートと北米プレートの4枚がこすれ合う様な場所はほとんど無いのだそうです。
関東大震災のようなフィリピン海プレートによる地震、太平洋プレートによる地震、更に未だに原因となる構造の解明されない直下型地震があって、私達の住む日本列島は地震銀座と言って過言ではありません。4つのプレートが鼻の先で重なり合い擦れ合う関東地方は銀座の中心和光前の交差点といった所でしょうか。
関東大震災というと東京を中心に考えてしまいますが、震源は神奈川から房総半島にかけてでした。震度も神奈川の方が大きかった様です。東京での被害が大きくなったのは、人口や建物の集中した所為ですが、もう一つ、本来震源からの距離が大きくなれば震度も下がるはずですが、逆に離れた東京での震度も大きかったのだそうです。川向こうと呼ばれる下町は埋め立ての所為、足立、飯田橋、銀座辺りが揺れたのは昔の川の流れに沿っている為だそうです。
四谷からお堀に沿って走る総武線ですが、飯田橋を過ぎて右手に川が伸びています。江戸川橋からこちらが本来の流れだった様です。水道橋を過ぎて、両側の順天堂やアテネフランセの丘の間を抜けますが、あの切り通しも、お茶の水の大渓谷も合わせて江戸に入ってからの大工事に因るものです。やったのは伊達政宗みたいです。
本来は、飯田橋から九段下、お城の東を通って今の日比谷まで来ていた海に注ぐ川だった訳です。この川の反乱洪水には江戸幕府も随分手こずった様です。この流れを東に変えて隅田川に抜く事でお城から日比谷、銀座あたりの水害を減らしました。本郷からの丘伝いに攻め手が来ればお城の北まで直ぐ届く所をお茶の水の大峡谷とお堀で守ることにもなりました。
飯田橋から水道橋、南は神保町の交差点あたりまでの間は特に揺れた様です。それ以外の廻りが震度5ぐらいなのに震度7ぐらいで揺れた様です。
2005年の千葉県北西部の地震で最大の震度を記録したのは震源から離れた足立区の震度5強でした。関東大震災における震度は推定によるものですが、この地震でも廻りは震度4なのに飯田橋から神保町に掛けては震度5を記録しています。
宮城県地震で家が倒れたのは明治以降に人が住む様になった所ばかりだそうです。
震源を中心とした同心円状に震度は減って、距離が離れれば震度は下がると考えがちですが、遠く離れていても地盤の悪い所は揺れる。川沿いを埋めた、近年になって家が建った様な所は危ないと考えて間違いは無い様です。
家相、風水などと言うとインチキ野郎が何の根拠も無く、西には黄色だの、財布の色は何だのと抜かす出鱈目だと思われがちですが、本来は中国4000年、日本に入ってからでも1000年を超える経験則のかたまりです。どんな所に住むべきかをちゃんと書いてあります。北に山を背負って南に川の流れた丘の上、東に小川か井戸が有れば最高だと、縄文以来の住居跡や神社仏閣はきちんとこれを守っています。
最後に島村先生のお話から逸れてしまいました。
島村先生の地震のお話、大変分りやすい物です。機会があれば皆さんにお薦めしたいと思います。
PS、今お住まいの方に不要な不安をあおっても仕方がないので.申し添えますが、野菜には其々旬があるようにトマトは夏がおいしいという程度の話です。今は冬にトマトを食べるのに特別の苦労はないし、同じように折角銀座に住む人が逃げ出す必要もありません。大きく揺れる事は事実ですが、地盤の改良や杭、壁の強化にお金をかける必要があります。と言った程度の話かも知れません。
2011-01-24 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
日本ガルテン協会のお庭見学、今回は奈良、京都です。ハイライトの金閣、銀閣、嵐山は折からの紅葉が秋の陽光に映えて、輝くばかりの美しさです。錦のごとくなんてどこかで聞いた様な台詞を書くのも恥ずかしいのですが、正直な所ではあります。日本の観光地なんて汚い看板と下品な土産物屋ばかりで見に行く気も起らないなんて思っていましたが、嵐山も桂川を少し遡り、金閣・銀閣も境内に入ってしまえば土産物屋もありません。いや〜大した物でした。
銀閣の砂で造った円錐や模様は江戸になって池の泥をさらっても置く場所がなくて困ったあげく、既に多かった観光客の目を魅こうとでっち上げた代物で足利義政の作庭とは関係が無いそうです。
日曜を外して月曜に行ったのですが、人、人、人でおよそ静かな観賞とは言いかねるものでした。修学旅行でぞろぞろ並んで見た時より酷かった気がします。西洋東洋併せて外人さんが半分近く。その分昔より混んでるみたいな気がします。この御時勢ですから、東京では見なくなった中国からの観光客も多いのに驚きました。
ここまでは他の旅行でも行くでしょうが、今日紹介したいのは観光コースに載らないこの二つ。一つは上賀茂の西村家庭園、上賀茂神社の神官錦織家の旧宅だそうです。もう一つは泉涌寺来迎院、泉涌寺は初めてでしたが予想外に大きくて立派なお寺でした。その脇の小さな書院と庭が大石内蔵助によるものだそうです。小さなお庭ですが、有名な所は行き尽くしたという方にはお薦めしたいと思います。
上の写真は銀閣で下の写真が西村家。西村家の脇を流れる明神川がとても綺麗ですが、何せ水面が近い、道路面から30〜40センチぐらいでしょうか、あれがもう1メートル深ければドブ川の様であの風情は失われてしまいます。夏に行った広島も京都の鴨川も水面が近くて街の中の川が魅力的です。高いコンクリートばかりの東京の護岸工事には大雨の時の水量などの根拠があるはずですが、どうしてこんなに低い土手と近い水面が出来るのでしょうか。
PS
松尾大社はお酒造りの神様として有名だそうです。ここには昭和を代表するモダーンな日本庭園があります。人の造ったお庭は当たり前に見えますが、これを見ると新しい庭造りがどんなに難しいものか分る気がします。御覧になった方がいたら御意見を伺いたい所です。
今日のテレビで言ってましたが、今年は猛暑と秋の雨の御陰で特別に紅葉が綺麗なのだそうです。上手くすれば12月の頭まで保ちそうだとの事です。京都で無くても良いと思います。今年はわざわざのお出かけを薦めます。
新建築の別冊でしょうか、日産の本社特集が本屋に並んでいました。大傑作だとは思いませんが、他に許せない建物が沢山ある事を考えれば、ずっとましに思えました。(本を買っていません。ぱらっと見ただけです)人を驚かすような建物やもっと安い建物を追いかけて酷い結果になる事だってあったでしょう。銀行辺りに実績とやらを吹き込まれて、大設計事務所に頼めば、もっとつまらない建物にだってなったでしょう。谷口吉生設計監修で竹中の設計施工というのも良い選択だと思います。
日産に勤める友人に新しい建物は綺麗で良かったねとお世辞を言ったら、予想外の返事が返って来ました。各階事務室はかなりスパンの大きな無柱空間で、その中央あたりを人が大股で歩いたり、無造作に椅子に座ると、フロア全体が波打って揺れるそうです。各階の便所も足りないので混むそうです。
以前の銀座勤めが懐かしいという事も有って横浜の新社屋に厳しい所があるのかも知れません。
横断歩道や陸橋で下を車が通ると揺れを感じた事のある人は多いと思います。鉄骨の梁のサイズは重い物をどれだけ載せられるかで決まる訳では有りません。それだけであればもっと小さい梁で足りる事が多いでしょう。揺れを押さえる為に大きめの梁を使っています。だから揺れるからと言って明日建物が壊れる事は無いと友人には伝えました。
使う人の感覚と建築業界内でのチエックにはズレがありそうです。
恰好は良いけど安普請で5年か10年もしたらボロボロになりそうだ。ゼネコンや設計に騙されているのではとも言ってました。姉歯の事件以来、業界に対する不信が有るのは仕方が無い事です。
鉄筋を減らして、地震時に倒壊の恐れがある建物と、鉄骨の梁を小さくした事で揺れる建物、似た仕組みに思えるかも知れません。
広くて見栄えのするマンションが欲しい、人よりずっと安く買いたい,少しでも速く引っ越したいお客様。買ってもらう為には、玄関の石にお金を掛けても、来るかどうか分らない地震の為や、施工をチェックすべき設計監理にお金を掛けられないという判断に無理はありません。お客様御本人にはそんな積もりは無かったと思います。けれど何十年かに一度の地震さえ考えなければ、お客様の望み通りになったとは言えないでしょうか。鉄筋を入れるのにお金を寄越せ、きちんと構造設計するのに何ヶ月か遅れると言ったら買ってはくれなかったでしょう。そうしたお客を取り込む事に夢中で責任やモラルのかけらも無いデベロッパー。ゼネコンと設計はデベロッパーの圧力を受けやすい仕組みでした。・・・責任逃れに聞こえますね。
今回の仕組みは違うと思います。梁を小さくした分、誰かが得をした訳ではないでしょう。開放感のある空間、言ってみれば見た目の為に設計も施工もむしろ余計な手間とお金をを掛けた可能性だってあります。
私利私欲の為でなければ床が揺れて良いのか。業界内の勝手な理屈であって、どちらも迷惑だ。・・・・・・・ごもっともです。
2010-10-27 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
広瀬謙二のSH60 にびっくりしたのは高校時代に読んだ平凡パンチの記事でした。
狭い日本の枠にはとらわれない画家の人生と言った話だったと思います。一切の物を置かず、一切の服をまとわず、金髪のカツラの奥様と本人は裸のままで暮らすということでした。それが成り立つのも、見た事も無い不思議な家あっての事に思えました。
窓が無くて外は一切見えないのに、青い空の中にいきなり放り出されたような開放感。都市の中で外から閉じつつ如何に開くかという課題があるとすれば、住吉の長屋よりずっと前に解答が示されていたと思います。高校の時分からの不思議な印象が、広瀬謙二のSH60というコードで記憶し直されたのは大学に入って暫くしてからでした。
建築科に入って、初めて外からの写真を見ました。崖からカンチレバーで飛び出した所がカッコいい、崖の積み石と白い箱のコントラストが美しい、プランを見ると少し台形なのもカッコいい。(車庫だけが違ってみえます。車庫は宮脇さんだそうです)
まだ勤めていた頃、ずっと憧れていたSH60を玉井さんのお供で見る事が出来ました。スケールを計る具体的な物が写っていない室内や中庭の写真は、形而上の広さを感じますが、実際にはとても小さな家でした。鉄が錆びて、塗装やシート防水がめくれ上がっていました。一切の断熱や蓄熱の無い家はとても寒かったです。けれど積み石裏のアプローチは凄くいい感じです。ストイックな浴室も綺麗です。ご主人は亡くなって奥様がお一人でお住まいでした。貧弱な日本人は裸にしてもエロスというより、情けなさが先に立つ事が多いと思います。若かりし頃の奥様は情けなさとは無縁だった様に思われました。
こんなに憧れていたSH60ですから、上の写真を見れば出来の悪い真似は当初よりの計画と思われるかもしれません。建ぺい率はもう一杯ですから、開口の前に床を造る訳には行きません、けれどスノコであれば許されること、大きな開口の向かいに窓があって視線を遮る必要があった事、そうした成り行きがあって出来たものでした。勿論、途中からはSH60を意識していました。
家が出来るまでには色々な経緯があります.成り行きの結果は私の思惑とは違ったものになる事も多いのです。落胆する事もあります。この家にも色々な経緯があって、逆に私の思惑を超えるものになりました。小さいけれどとても具合の良い家です。冬には陽射しを夏には風を一杯に取り込めます。混み合った家並みの中で開口を目一杯明けて暮らせます。
2010-03-20 カテゴリー: works, 建築 | 個別ページ | コメント (4) | トラックバック (0)
何で日本にグーグルや、アップルのi-podが出来ないのかと言う話をテレビでしていました。インターネットで何が出来るか、小さなコンピュータでどうしたら音楽を聞けるかを広く考えるべき時に、日本では一生懸命古い成功体験(家電としてのウォークマン)に拘っていました。
戦後、洗濯機や冷蔵庫が各家庭に行き渡りました。街頭テレビは各家庭の白黒テレビ、更にカラーテレビに変わりました。裸の白熱灯が蛍光灯に替わり、部屋の隅や街頭の闇が消えました。日本の高度経済成長の成功体験は家庭電化製品と分ち難く結びついています。
新しくて豊かな暮らしはいつも松下や日立・東芝が届けてくれました。こうした考えにそろそろ決別すべきだと思います。ただ私が取り上げたいのはITや産業構造における日本の遅れといった大問題ではありません。
寒い時暑い時、エアコンが必要です。けれど室内を快適な温熱環境に保つ為には、オゾンとやらが出る必要も無いし、エアコン自体に換気の必要もありません。どこに吹くかをセンサーで捜してもらう必要もありません。部屋全体の空気の流れは部屋そのものの計画時に十分に考慮されるべきです。換気は部屋の対角線上に入り口と出口がある時に一番効率がいい事からすれば、室内機一台の位置で吸気も排気もやるのは効率が良くありません。換気量そのものも部屋の体積や使い方からキチンと計算されるべきです。お店に買いに行くと、オゾンだ 換気だ センサーだとおまけの付いている物を買わされてしまいます。快適な室内環境の為、エアコンとしての機能に期待するもの、部屋の計画時に考慮すべき物、買う側が区別をする必要があります。
食洗器もそれ一台で独立した家電であろうとする所に無理があります。貯めた水を食洗器の中でお湯にするのは大変な時間と熱を要します。単なる設備の一部と考えて給湯につなげれば30分も40分も掛かっていた時間を10分程に短縮出来ます。電気代もずっと減らせます。
快適な環境には自分で責任を持つべきです。家電が全ての夢をかなえてくれると考えることから脱却すべきです。
南アルプスの裾野まで、友人の土地の下見に出かけました。
中央高速を挟んで反対側の八ヶ岳を望む敷地です。
一泊するのに、諏訪湖畔の旅館を予約してもらいました。
自前ですから、自分独りだったらこんな立派な所には泊まらなかったでしょう。
宿について部屋の窓から見下ろすと、すぐ斜め前に何やら古そうな塔が建っています。
片倉館はシルクで財を成した片倉家同族が建てた従業員や市民の為の福利厚生施設です。
千人風呂の内部タイル装飾が有名です。諏訪の紹介には必ず出て来ます。
一度見たいと思っていました。思いがけない機会でした。
ここまで大規模な物は初めてですが、温泉のお風呂でステンドグラスやタイル装飾が自慢と言う所をいくつか見た事があります。
割れたタイルや、錆びたサッシ、湯の花のこびりついた蛇口、毎日見ている人には気付きにくいのかも知れません。
綺麗とは言いかねるものでした。
逆に手が入っていると、取って付けたような今風のタイルやアルミサッシ、新しいシャワーや蛇口が興をそぐ場合が多いと思います。
昭和初期の建物ですから、昔のタイルが欠けることもあるでしょう。サッシが鉄なら錆びて、木なら腐るでしょう。給排水給湯設備がそのまま生きている事も有り得ません。
メインテナンスの手は入っているのですが、許せる範囲に留まっています。このお風呂が竣工当時持っていた本来の魅力がまだ伺えます。
素敵なお風呂以外の建物も素晴らしい。消耗した所が見られません。二重のサッシは換えた様ですが気になりません。10年20年でボロボロになる今の建物が嘘の様です。
明治から昭和初期までの様式建築の中で、意匠と施工の両方で稀に見る上等だと思います。
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お風呂の写真が撮れなかったのでネットで2枚程捜して来ました。
上の写真は広角レンズの御陰で広く見えますが、大きさは下の写真の方が正確に伝わる気がします。
2009-08-31 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
ずっと評価を定めかねていました。AT&Tビルは冗談にしか思えないし、この世にミースやファンズワース邸なる存在のある限りガラスの家に無条件の拍手もしかねる気がしました。彼を建築家、或は物作りと考えるとどこかに胡散臭いものを感じてしまうのは私だけでしょうか。
けれど円錐形の屋根の書斎は大好きです。ロックフェラーのゲストハウスも凄く具合が良さそうです。大見得を切って素人を黙らせるというよりは、裕福でモノの良く分かった人にだけ、本当の使いやすさが解る、ニューヨークの町家と言った印象があります。(貧乏人の私に本当の良さが解る事は無いでしょう)
何より、広い敷地にぽつんぽつんと好きな家(あずまや、オブジェ、小屋)を幾つも建てるなんて、こんなにとんでもない、けれど質の高い道楽を他に見た事がありません。
ガラスの家についても、ミースの建築が大好きで、だから自分で作ってしまいました。真似をしました、隠す気もありません。どうしても欲しかったと言われれば、むしろ素敵なご趣味と賞賛したいところです。
そっくりの物まねである。又は同じにに見えるけれど、全く依って建つ所の違う別物である。どちらの批判にも、だって欲しかったんだもんの一言で動じる所も見せません。(と言う様に見えます)作る側と欲しがる側の立つ所が交わる事が無いとすれば,彼は欲しがる側に立っている様に思えます。
欲しがる側の人間が作った物真似だからこそ、彼が本人の個人的な創作なる立場にシニカルで、尚他人のそうした行為を大事に思える希有な存在だったからこそ、広い敷地に建った建築群(或は原寸大の模型群)が、20世紀建築のミニチュアコレクションあるいは博物館にそのままなっている様に思えます。
有名建築家たちを集めての交流も彼自身を建築家と考えると親分風を吹かせている様にも思えますが、彼を世界一の建築愛好家と考えることで理解がしやすくなります。彼の様な建築家になる事と、彼の様な好事家になる事のどちらが難しいかを考えると、後者の価値がずっと高い様に思います。日本に優秀な建築家はいますが、彼の様なディレッタントは見当たりません。
ガラスの家がファンズワース邸より先に出来ていたとは知りませんでした。(勿論、ミースの図面は先に出来ていたそうです)
芸術新潮の6月号、フィリップ・ジョンソンの特集は私の知らない事(建築家になるより大資産家になる方が先だったこと、ずっと後から建築の学校に行った事、生い立ちやゴシップと言ったことも含めて)が沢山載っていました。
今まで何となく腑に落ちない、納得が行かないまま放り出してあった事が解決したようにも感じました。
その後、日本には三渓園と言う場所がある事を知りました。自分でデザインをせず、コレクションに集中している所為もあって、質・スケール共にフィリップジョンソンを凌のぐかも知れません。
大好きなグレン・マーカットの、綺麗な写真を大きなサイズで沢山見られて、原図そのものを直に見られた。写真集と図面集も買えた。
非常に精度の高い模型も見られた。抽選に漏れた講演会のビデオも見る事が出来た。良かった良かった。
会場構成がこれで良かったのか、講演会の同時通訳が追いついて行けない、とかは少し残念だけれど、まるで気にならない。
風通しについての配慮に比べて、大きなガラスの断熱や輻射、インシュレーションや蓄熱にはまるで無頓着なのかと思ったらそれなりに配慮もしている事が分かった。
冬でも気温は18度(たまには5度まで下がることもある)なんて所だからあれで十分という事らしい。
ルーバーと合わせた大きなガラスや斜めのガラスの掃除については住んでる人に訊いてみたかったな。
ギャラリー間で8/9まで。
新高円寺から乃木坂に行くのはちょっと面倒だけれど、新しい副都心線のおかげで少しだけ楽になったみたい。新しい副都心線は日本の地下鉄ではフルサイズ、ホームも広め、乗り換えも大江戸線程面倒じゃない。良かった良かった。
大江戸線に初めて乗ったのが、丁度台北のMRTを見たすぐ後で、このまま日本が萎縮して行く様で本当に嫌だった。(台北のMRTは日本の地下鉄二台分ぐらいの巾がある)
け
れど、東京メトロと名前を換えてから、サインシステムを変え始めたことが本当に残念だ。青と黄色の新シリーズの出来が良く無い事より、白地に赤の丸が丸ノ
内線、黄色の丸が銀座線、といったマークや、路線図、地図などここ何十年か営団地下鉄のサインシステムは特別出来が良かったのに。返す返すも残念でならな
い。
2008-07-11 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
生きていると良い事もあるんですね。
近頃、こんなご褒美をもらった事がありません。
昔、玉井さんのお供でSH-60を見せてもらった時以来かな。
念願かなって、ミナセアネックス
と一緒に、水無瀬の町家を拝見する事が出来ました。
図面も写真も繰り返し見たはずですが、実物は遥かに魅力的でした。
やりっ放し、切りっぱなしで考えていたより荒っぽい仕上がりですが身の回りのスケールが丁寧で絶妙です。
TOTO通信を見て、てっきり塗り直したのかと思ったペンキも昔のままだそうです。
現に内装はくすんでいる所もありました。
写真で感じた美しさはペンキを塗り直した美しさでは無く。丁寧に使い込まれた美しさでした。
小さなアネックスも細かいスケールが丁寧で写真や図面ではその魅力が伝わりにくい所に共通する物を感じました。
連絡部分の低い庇が床下収納で少し上がった居室の開口を横切るのは、引き違いの開口を縦に管柱が通る手法の新しい展開でしょうか。
連絡部分の低い天井がキッチン吊り戸棚の底に繋がったり、小さな工夫が可愛らしい。
どこかで一番好きなのは断面図のプロポーションを考える事だと仰っていたのを思い出しました。
折角の西八王子ですから、ついでに散田の住宅と集合住宅まで足を伸ばしました。
遠くからとんがり屋根を確かめる事しか出来なかった住宅には何も感じる事が出来ません。
今まであまり興味のなかった集合住宅が意外に可愛らしかったのも今回の収穫でした。
他所に声を掛ける事が出来なかったのが残念ですが、此の機会を与えて下さった方々に感謝します。
2008-05-07 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
あけましておめでとうございます。
風邪をひいたせいもあって、ブログの更新をとんと忘れていました。
しめ飾りを忘れていたという所でしょうか。(門松を見る事も無くなりました。)
頂いた年賀状をそのまま載せるのもどうかと思いましたが、去年一年、
ご近所のブログで西八王子が話題になっている頃、計画が進んでいたのかも知れません。
左に軒の低い2階建て、見覚えのある切妻。中央下にPROJECT MINASE ANEXと書いてあります。
2008-01-02 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
大学時代から、もしこのまま家族を持つ事も無く、今とは別の仕事で食べて行けるなら、こんな家に住みたいと思っていました。
大きな鉄骨や折板の屋根からホースの下がって来る様なスタンドでは無く、ガラスの入った事務所とガレージが小さな平屋に収まって、真ん中の島に給油機がぽつんと建っている様なのが理想です。
事務所の角にはホッパーのナイトホ-クスの様なアールの付いたガラスが入っていれば、尚素晴らしい。
このスタンドの事務所は実際に住むのには狭すぎるし、軒が高いのがちょっとつらい。けれど古いモルタルの上に新しいペンキが塗ってあっていい感じです。
青梅街道沿いにはありませんが、五日市街道沿いには小さくて平屋のこんなガソリンスタンドが昔は幾つかありました。
小さなスタンドが淘汰されて、大きなスタンドもどんどんつぶれて行く中でこんなスタンドが東京もど真ん中に生き残っているとは思いませんでした。青梅街道から新宿警察の向かいの細い道を入って行った所です。
2007-12-21 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
阿佐ヶ谷住宅について
玉井さんのエントリーに、書き込みっ放しにしてあったのだけれど、もう少し整理をしてエントリーしておこうと思います。
地元ですから、勿論阿佐ヶ谷住宅は昔から知っていて、今も西側の杉並高校との間の道は良く通ります。みんなでもぐり込んだ、床の上がったギャラリーの隣は、何か食品工場の様ですが、子供の頃の記憶ではアニメーションを作っていて、透明なシートの上に絵の描いてある、セルシートをもらいに来ました。
実際に住宅の中に入ってみて、やはりその時代なりの物でしかない。感心する所もあるけれど、悲しい所もあるなんて思っていました。
昨今の阿佐ヶ谷住宅に関する、ブルータス誌等の持ち上げ方に少し違和感がありました。
建物には舞い上がらなかったのですが、道の向こうの庭に誘われて、建物の間を自転車で入って行くと、次々とフスマが開いて行くように、どんどん繋がって行く庭にはこの私も少しオセンチになりました。
舗装された道は何度も通ったことがありますが、低くて塀のない建物に囲まれた不思議な場所には、気がつきませんでした。
いや子供の頃には何度も見ているはずですが、感心をしたなんて覚えがありません。
まさに無くなって往くものに対する感傷の他に、相対的に小さな個人のテリトリーと、その結果得られる桁違いに素敵な共用部分が実現している事の嬉しさがありました。
土地を不動産や資産、塀で囲って占有すべきものにしてしまった今の世の中は、瓶の中の飴を取ろうとして、欲張りすぎて飴をつかんだげんこつが、瓶の口から抜けない状況に良く似ていると前から思っていました。
ただこの寓意では、欲張らずにいれば手に入る飴が 如何に美味しいかにあたる現実を、今まで例として上げることが出来なかったのです。
2007-04-28 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (1)
仕事でお台場あたりの、怪しげな結婚式場建築の手伝いをした事がある。
縁も興味も無かったけれど、今まで結婚式場で感心するようなものを見た事がない。
建物に限らず、結婚がからむとどうしてあんなに恥ずかしいモノ・コトばかりなんだろう?
週末に誘われて千葉東金のエストーレという所に一泊して来た。
部屋のバルコニーから下をみると、沢山あるテニスコートの端に極くあっさりした平屋の建物があった。
そのデザインからすると、建って10年も経ってないかも知れない。
上から見下ろしただけでは良く分からないけれど結婚式場らしい。
次の日のぞきに行ったら、やっぱり結婚式場だった、
入り口から真直ぐ軸上の、両開きのドアを開けると床が一段下がって、
式場に入ると、ヘイッキ&シレンのオタニエミ礼拝堂(やその真似、安藤忠雄の水の教会)
のように正面が一面のガラスで、
両側の山に挟まれた谷に開かれている。
披露宴会場と庭の関係も無理が無い。
簡単だけれど、とても良く整理されている。
何も新しいものが無くても、人の真似でも、これで良いと思った。
見た事も無い新しい形や、人を驚かす仕組みを作る必要など無い。
透明アクリルのスタルク椅子があれだけ並ぶとキラキラしすぎてつらい。
ここはなるべくシンプルな木の長椅子が良かったのではないか。
椅子も真似して欲しかった。
(披露宴会場や庭のロード・ヨーはとても良い)
式場の壁の怪しげな花模様も勘弁して欲しい。
折角の池も綺麗にしてほしい。
文句は付けたけど整理されたレイアウトに感心しました。
2006-12-19 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
夏合宿の帰りに、菅平のホテルDを見に行ったことがあった。今をときめく伊東豊雄の建物の方は良く覚えていないけれど、所々に置いてあった大橋晃朗の椅子はとても魅力的だった。
今年の例の会では、坂本先生が異様に熱心で少し驚いた。同じギャラリー間でのご自身の展覧会の時はあんなに積極的に是非見に行けなどとは仰らなかったと思う。
土曜日にやっと見に行けた。
和箪笥やシェーカーに興味のあった初期。椅子の歴史を中国、はてはエジプトまで遡ってした勉強が、ステンレスパイプとワイヤ椅子に結実している事。そうした椅子があまりに高価になってしまった為に、もっと広くの人に使ってもらえるようにと作った合板の椅子。ついにはそうした椅子も彼の期待した社会性を得る事がなくて、本人が言う家具ゲームにたどり着いたこと。
多木浩二による解説は思い切り分かりやすい。ここまで整理してしまって良いものだろうか。
私はホテルDで見たパイプによる椅子のシリーズや、代田の町家のインテリアが好きで、その後の椅子にあまり興味がなかったのだけれど、多木、伊東、坂本の対談ビデオを見るのに、上の写真の椅子に小一時間座っていたのだけれど、見た目と違って非常に居心地が良かった。意外だった。
私の部屋の合板による一面の棚も、私自身は与えられたコンクリートの箱と、要求された収容能力、無いお金による、必然の帰結であって、世の中で言うデザインなどとは一番離れたものだと思っていた。けれど、坂本先生と大橋さんによる南湖の家の全面の棚が頭のどこかにあって出て来たものだったのかも知れない。
房総半島の真ん中あたり、千葉駅から茂原行きのバスに乗って、茂原の手前の山の中、長柄という所が母の田舎だ。
祖父も私の生まれた頃には勤めをやめて、長柄に戻って、週に一度監査をしていた会社に行く以外は、山の枝きりや下草刈り、薪割りをしていた。(山の畑に行く道の整備も、ご飯を炊くのも、風呂に入る為の熱源にも、山の手入れは欠かせないものだった。)
孫に甘い祖母と近所の子供たちに囲まれて,母の田舎は私にとって天国だった。
休みも中程になって口うるさい母が妹をつれてやって来ると、宿題はどうしただのと現実に連れ戻されるようで本当につらかった。
祖父の転勤転勤で連れ回された母はここで育った訳でもないし、千葉の山の中出身と言われるのがあまり嬉しくないらしい。
けれど私には特別大切な場所だ。
亡くなった祖父母のお墓までお彼岸に出かけてきた。もう二月も前の話になってしまった。
中村好文のas it isがそばらしい事は、直ぐにインターネットで調べられた。
それでも、東京の人間が地図だけを頼りに行くのは、ちょっと難しいかも知れない。
けれど、ちょっとばかり苦労して見つけた方が満足も大きいだろう。
何も知らずに、誰が設計したかも知らずにあの建物を見たら、それは大騒ぎをしたと思う。
感心する所が沢山あるのも、想定内。
小さな美術館の機能をまっとうしている御陰で展示物に興味が集中した。
(私が建物より、骨董・美術に興味が傾きがちな所為もあるとは思う。)
ここの主人は軒先で錆びたりしているモノを拾って来て、花一本差す事で皆をうならすようなセンスの持ち主らしい。
利休に通じる話にも思える。
それはそれで、大変感心したけれど、漢の馬一頭には敵わない。
あれが買えるんだったら、金持ちになりたいと思った。素晴らしい。
本来は日用品だったけれど、目利きが捜して来た逸品と、骨董というよりは美術品(新旧取り合わせて)と、
本当に素敵なモノに出会える希有な場所だと思う。
ちょっとしたドライブに最適な距離だし、是非お薦めしたい。
PS
床の松が皆一センチ程空いているのは何故だろう。
私も、松の足場板を随分使った。安くてしっかりした質感がお気に入りだ。
けれど、一年もしないうちに、空いて、割れて、反って、釘を引き抜いて大変な事になる。
何度か懲りてからは、突き付けにせず、両側に溝を掘って、雇い実を入れて、木ネジを脳天からバンバン打つようにしている。
それでも、割れたり、空いたりは避けられない。
ここの場合はどうだろう。足場板であれば、反って、割れて。空くだけでは済まないと思う。
見積もりを落とすのに、設計図には足場板を入れたけれど、大工がいやがってきちんとした松を製材させた。
痩せて空いてはきたけれど、暴れずに済んでいる。
設計者も値段のこともあって、まぁいいかと思っている。なんて所じゃないか。
勿論、意図的に隙間を作った可能性もある。けれどその目的が判らない。
2006-05-23 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (4) | トラックバック (1)
ルイス・カーンの息子の作った映画を見て来た。
渋谷のQ-AXで9時15分からのレイトショー上映中だ。人気があるようで朝10時からの上映も追加されたようだ。
ハチ公から道玄坂に行く角のlikesKIOSQUEか渋谷のツタヤで前売りを買えば、1800円のところが1500円だと言う話だったのだが、30分前には全席指定の前売りは売り切れで、あわてて行った映画館でも残り10枚程だった。
土曜日と言うこともあって結構な人気だ。建築って人気あるのかな?
人間にとって、大切なのは、家族や家族との生活、それを支える経済や、個人個人の趣味嗜好であって、’建築’などという言葉を持ち出すことでそれ以外の何かを優先するような人間がいるとすれば、およそ信じてはいけない。
’建築’などと言う言葉を持ち出す事で変えられる物事は一つもない。
人の役にも立たない’建築’ではなく、人様の役に立つ建物をつくるのが私達の使命だ。
建物を建てるお客にとってだけでは無い、建物の設計をする人間にとっても家族や経済を崩壊させてまで作らなくてはいけない建築などは、この世にあってはならないはずだ。
建物を作る時にも、建築などに興味の無い人と同じ土俵で話をしたいと思って来た。建築を志した頃の自分勝手な思い込みを排除する努力をして来たつもりだった。
けれど、映画の中の’建築’は美しい、不覚にも何度か涙が出そうになった。
建築を全てに優先することなど許されない。でも世の中には神様に許された人もいるのかもしれない。
神様に許された’建築’を、建築の好きな全ての人と、そうでない全ての人に見て欲しい。
建築を愛する全ての人といった決まり文句は避けたのだけれど、今回は使っても良かったかもしれない。
設計者の独り善がりが沢山の人の普遍的な価値に繋がる事は稀だ。けれどその普遍的な価値に繋がらないひとりよがりな建築も設計をする人間の家族と経済を犠牲にして成り立っている。カーンの建築だけで無く、道を踏み外す前の姐歯の仕事だって彼の経済的犠牲と献身によって成り立っていたはずだ。
ダッカの国会議事堂の前で建築家ルイスと言われてバラガンと答える辺りは御愛嬌かも知れないが、少なくても、バングラデシュの人はルイス・バラガンを知っていた。日本の国会議事堂の前でバラガンを知っている人がどれだけいるだろうか。
2006-02-12 カテゴリー: motion picture, 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
上原から下北界隈お散歩の折に、五十嵐さんが次の日曜美術館に出ると、ずっと混むだろうと、仰っているのを聞いて、25日の金曜日に慌ててのぞいて来た。すぐにブログに載せなかったのは少しは気の効いた事を書きたいと思ったせいだ。
時間がたっても、しゃれた一言も思い付きそうに無いので正直に感じた事だけ書き留めておきたい。
南台の家が増築改築を重ねた家であることは知っていたけれど、最初の家は誰が建てたとも知れないあんなに小さな家だとは思わなかった。それが2年後にはほとんど大きくなった訳でもないのに、ベッドをふたつとグランドピアノを置いて暮らせる快適なものに変わっているのに驚いた。今回一番心惹かれたのは南台の一番最初の改築案だ。
吉村順三個人と言うより吉村事務所の仕事全てが素晴らしいとは思わない、大規模なものにはつまらない仕事も多い。
自身の軽井沢の山荘と南台を別にしても、脇田邸、羽仁シュレム邸。浜田山の家、猪熊邸、愛知県芸、NCRビル、八ケ岳。
皆の心に残る、あるいはみんなの大好きな仕事はやはりこの辺りなんだな。
展覧会は見る側にすれば空いているほうが良い。開催する側にすれば沢山の人に来てほしい。兼ね合いの難しい所だけれど、自分の見たいものをゆっくり見ることが出来る範囲で混んでいた。ただ熱気が感じられる程熱心なのにひどく静かだ。明らかに建築畑と分かる人や建築の学生もいるけれどそうではない人も多い。
沢山の建築雑誌や最近は一般誌の中での記事まで、建築が話題になるのは結構だけれど、デザインや建築をまるで曲芸か何かのように考えているとしか思えない。そうした建築とあまりに違う展覧会を沢山の人が熱心に見ている事が本当に不思議だ。
種類は違うのかも知れないが、吉村も、坂本も、私の好きな二人の仕事は外国の人にも分かるものなのだろうか。見栄をはること無く、日本人の日常や毎日の暮らしに沿う仕事をした二人だけれど、何故そうなったのかは普通の日本人の見栄をはった暮らしからは意外に分かりにくい所にある。そこいら辺りの微妙な差異など外国から判るものだろうか?
PS
私は自身でラグビーをやるようになって初めて人様のやるラグビーのゲームを楽しめるようになった。それ以前にテレビで見てもまったく訳が判らなかった。自分でプレイすること無しにラグビーを見て楽しめる人に、実は心底感心している。
今回感じたのは、図面と模型による展覧会が一体どれだけの人を相手に成り立つものなのかということだ。必ずしも建築畑と思えない人が熱心に図面を読むのを見て感心した。
2005-12-05 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (1)
名古屋には別の用で出かけたのだけれど、建築の展覧会があるからと向こうが気を効かせて連れて行ってくれた。
トヨタテクノミュージアムの産業記念館で、11/4から1/22までプルーベの展覧会をしている。
鎌倉で一度見ているからと断ることも出来たのかも知れないけれど、なにせ大好きなので、好意に甘えた。
鎌倉とは内容に差があった。前回よりも椅子やテーブル、模型が充実しているような気がする。全体の構成自体もヴィトラミュージアムのもののようだ。
逆に彼のスケッチは前回のほうが充実していた。
模型やフレームの他に2CVの初期型がトヨタミュージアムから来ていて、彼の仕事がどういう社会と時代の中で行われていたのかのこれ以上ない説明になっていた。
アルミニュームパビリオンの移築のビデオも今回、とても興味深いものだった。バラバラにした梁や柱のパーツを高圧洗浄或いはブラストを掛けて又組み立てる、建築というより、自動車やバイクのレストアのようだ。さすがにクレーンは使っていたけれど、大きなスパンの架構としては各々の部品が驚異的に軽いのがよく判る。人の持てないH鋼を組み立てるのが建築だとすれば、むしろ車のフェンダーを付ける作業に近い。
2005-12-04 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
鎌倉の展覧会と同じかとも思われますが、今度は又秋葉原でプルーベの展覧会だそうです。
前回、見のがした方は是非。
ジャン・プルーヴェ / 機械仕掛けのモダン・デザイン
2005年9月6日(火)〜2005年10月23日(日)
D−秋葉原テンポラリー 東京
東京都千代田区外神田6-11-14 旧千代田区立練成中学校(銀座線 末広町徒歩1分)
[展覧会名]:
ジャン・プルーヴェ/機械仕掛けのデザイン
20世紀のスーパー・デザイナー
[会期]:2005年9月10日(土)-2005年10月23日(日)
[会場]:D-秋葉原「練成中学校」 東京
ハ
[開館時間]:午前10時〜午後8時(入館は午後7時30分まで)
[休館日]:なし
[観覧料]:一般1200円(1000円)、20歳未満と学生1000円(800円)、65歳以上600円
*( )内は20名以上の団体料金、*高校生以下および障害者の方は無料
ハ
[主催]:D−秋葉原実行委員会、慶應義塾大学デザイン・ミュージアム・ファクトリー
・コンソーシアム、ヴィトラ・デザイン・ミュージアム、ドイツ建築博物館、秋葉原
再開発協議会
[共催]:日仏工業技術会
[助成]:トステム財団
[協賛]:ヤマギワ株式会社、株式会社インターオフィス
[協力]:ジャン・プルーヴェ協会、東海大学岩岡研究室
[後援]:外務省、文化庁、フランス大使館、千代田区、日本建築学会、日本建築家協
会
ハ
[開催趣旨]
20世紀の建築家・デザイナーの中でも、フランス人のジャン・プルーヴェ(1901-1984)は、徹底したものづくりの思想と精緻な技術から、世界中の多くの人々の関心を惹きつけています。彼の仕事は、ペーパーナイフから照明器具、家具、建築のファサード部分工業化建築、モジュールを用いた建築システム、大規模なホールにいたるまで、きわめて広範囲に及んでおり、ル・コルビュジエをはじめ同時代の卓越した建築家や芸術家たちから圧倒的な賞賛を集めることになりました。彼のデザインは、工業的な量産システムの開発を進めながら、一品生産とでもいうべき手の痕跡にこだわり、新しい時代のエンジニアリングと職人的な技を結びつけた類まれな質を誇っています。
アール・ヌーヴォーの中心地ナンシーで育ち、鍛冶職人としてスタートを切ったプルーヴェは、その後、家具の工場生産、建築部材のプレファブリケーション、建物の工業的生産を手がけていきます。彼自身、デザイナー、企業家、製作者として顔をもち、建築と生活環境の近代的、革新的な解決を見出すという目的に駆られて大奥の作品を世に送り出しました。彼は自分をつねに「建設者」とみなし、形態のデザインは2次的な役割しか認めていません。彼の主要な目的は、有用性と材料の論理、そして経済性を、工場生産のさまざまな条件と融和することにありましたが、それにもかかわらず獲得されたデザインの美しさは見る人をして驚きを覚えるでしょう。
今日、レンゾ・ピアノ、ノーマン・フォスター、ジャン・ヌーヴェルなど多くの現代建築家が彼を師と仰ぎ、その作品から多くの発想を得ています。ドイツのヴィトラ・デザイン・ミュージアム、慶應義塾大学デザイン・ミュージアム・ファクトリー・コンソーシム、ドイツ建築博物館と共同で制作された本展は、昨年度の鎌倉展に引き続き、今回は東京に場所を移して大掛かりな展示を行い、首都圏の人々に現代デザインのあるべきかたちについてメッセージを発し続ける予定です。
[D-秋葉原「練成中学校」]
2005年3月をもって廃校となった旧千代田区立練成中学校の校舎が、今回の展覧会を機に新たな地域文化施設としてよみがえりました。今回の展覧会は、2006年秋に秋葉原UDXビル内にオープン予定の「デザイン・ミュージアム秋葉原」のプレイベントとしての性格をもち、中学校校舎を仮設のミュージアムとして地域の文化振興をはかります。
[出品作品]:家具約50点、組立住宅1点、建築部材約15点、建築模型約15点、オリジナル図面、記録写真、文献資料、映像、その他の作品など130点余。
[カタログ]: ヴィトラ・デザイン・ミュージアム/慶應義塾大学DMF編『ジャン・プルーヴェ』(約300ページ)をTOTO出版より刊行
[お問合せ先]
D−Akihabara事務局
展覧会担当: 和田、八重樫
東京都千代田区外神田6-11-14
D-秋葉原テンポラリー
Tel&Fax:03-5818-0424
e-mail: [email protected]
[email protected]
2005-09-13 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
毎年7月には、坂本一成先生のお誕生日と、先生がいらした武蔵野美大と東工大の、ゼミや研究室の同窓会を兼ねて、’例の会’が開かれる。例年東工大入り口の百年記念館(篠原一男)で一次会をした後、研究室脇の教室に場所を移して、進行中のプロジェクトを見せてもらったりする。今年も二次会に移ってから、ムサビの頃や水無瀬の話をしていたら、先生がTOTO通信を持ち出して来て、見せて下さった。
藤森照信の原・現代住宅再見で水無瀬が取り上げられていた。その場で早速拝見したのだが、お酒の入っていない時にきちんと読みたかった。その後、TOTOに依頼した2005夏号がバックナンバーとして届いた。
内外ともペンキが塗り直されてとても綺麗だ、ペンキを塗り直すのは簡単だけれど、驚くのは先生がお住まいだったころとほとんど変わっていないことだ。置いてある家具やあちこちの小物も先生御自身のものに見える。こんなに綺麗に住むのはなかなか出来る事ではない。先生の御兄弟がお住まいだと聞いたような気もするが、お酒が入っていたので確かではない。
1970年の竣工だから、35年も経っている。10年20年もすると見るも無惨になってしまう建物や、住む人の都合に合わなくなって建て替えられる住宅の多い中で、信じられない程綺麗な水無瀬の町家を”誌面”で確かめる事ができて、凄く嬉しかった。
実物をまだ見たことがないのだけれど
aki さんとiga さん
のエントリーで詳しい近況が見られる。
furuさんのエントリーで隣の家との関係も良く見て欲しい。
2005-08-09 カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)