2020-08-09 カテゴリー: automobile, DESIGN | 個別ページ | コメント (0)
ホンダEの評判が良い。アメリカでもヨーロッパでも人気があって、テスラは高いし日産リーフは魅力が無い、けれどこれなら買ってみたいと口々に仰います。企画や性能も良いのかも知れないけれど、最大の原因はシンプルで愛嬌のあるデザインだと言うのが衆目の一致する所です。VWは何故ゴルフ1みたいなのを作らないんだとか、イケアや無印で車を作るならこうなって欲しいとか、今の車に対する不満の受け皿になっているようです。日本人に言わせれば最初のN360や最初のcivicに通じるモノを感じます。話は違うけどN-ワゴンには初代のステップバンの面影を感じます。ここ10年のホンダデザインはやたらに折れ目を付けて、エラだの口だの増やそうとするもので本当に嫌いでした。アメリカで受けるためには仕方が無いのかとも思っていましたが、アメリカでもヨーロッパでも、日本でだってeの方が評判が良い。今までのホンダデザイン全てが良いとは思いませんが、自信を持って良い歴史だってあったんじゃ無いのと思います。
2019-09-19 カテゴリー: automobile, DESIGN, goods | 個別ページ | コメント (0)
一年上のサッカー部に横山さんって人が居て、その世界では有名だって話は随分昔に聞きました。名前をメディアで見かけることも有りましたが、その世界ってどの世界なんだか知りませんでした。人に誘われて八王子夢美術館まで見に行って来ました。模型制作者でイラストレイターでキャラクターデザイナーとでも言ったら良いのでしょうか。絵画に彫刻に建築と言ったジャンル分けでは説明が難しいことが判りました。鎧をモチーフにフィギュアを作る野口哲哉に通じるところがある気がします。何か具合の良い名前をつければ二人の仕事を並べて一つのジャンルが作れるとも思いました。ただフィギュアと言ってしまうと全く別の世界を示してしまう。日本語って難しいですね。
こちらは野口哲哉。
へ〜、ジウジアーロじゃなくてジュジャーロって言うんだ。 壁の原寸ドローイングは914タピーロ。あの絵の真似をしたのは中学の頃だ。 マングスタは立面図や写真を何枚も見て知っていたけど、動く実物は想像以上に格好が良かった。 ジウジアーロの太刀筋は読み切れた積りでいたけど、そうじゃなかった。 赤いボデイに青と白の線が入った奴を何かのショーで見た覚えが あるんだけれど、マンタだったかも知れない。何かの記憶違いだろうか。 五十嵐さん、教えてくれてありがとう御座います。 一番好きなのは、やっぱりカングーロかな。
2018-11-25 カテゴリー: automobile, crafts, DESIGN | 個別ページ | コメント (0)
子供の頃、玩具は全て父の手作りでした。電池で動く友達の玩具が羨ましかったのを覚えています。目黒区美術館では区にゆかりのデザイナーとして秋岡さんの展覧会をやりました。その後も入り口脇の部屋で秋岡さんに関する企画が何回かありました。今回はKAKの仕事、金子、河とともにという企画だそうです。父の作った玩具と模型もいくつか並べる予定だそうです。
KAKで撮った写真を集めた展示でも思いましたが、よそ様が見て面白い物なのか疑問が残ります。他人様の家族のアルバムを見せられてもなぁ・・とも思いますが、主な展示は別にあります。’1950-60年代の抽象表現から’こちらは岡田謙三、猪熊弦一郎、菅井汲、こちらは充分な見応えがありそうです。
2月10日から3月18日まで目黒区美術館です。
以前に台北の國立故宮博物院でも見ていますが、現存6個の汝窯水仙盆の内、5個を一度に並べて見られる機会は二度と無いかも知れません。大阪東洋陶磁美術館の常設展示参観も、出光美術館で砧青磁の竜泉窯鳳凰青磁耳瓶を見逃して以来の念願でした。天目茶碗や朝鮮コレクション等見たい物が沢山あります。家族の入院などでバタバタしている内に3月26日の最終日も間近になってしまいました。新幹線の往復で3万円に躊躇していたら、新幹線の日帰り往復で2万円、3千円の金券付きと言うのを見つけて、23日に出かけてきました。(日帰りでなしに一泊すると更に安い物があります。宿代が増えるはずなのに不思議だなぁ。)
6個の内4個は台北に、一つが大阪に、最後の一つは吉林省にありますが、吉林省のものは大きく削られていて本来の形を残していません。台湾の内一つと大阪の物も縁の一部が欠けたのでしょう。縁全体を削り整えて銅の帯を被せてありますが、かろうじて水仙盆の体をなしていると言えるでしょう。本物汝窯で皆の知っている水仙盆の形をしている物は全て揃ったと言って良い気がします。
ポスターには6点とあります。北宋の汝窯5点の他に清代に成ってから乾隆帝が作らせたレプリカを含めて計6点が一遍に見られます。
展示が良く出来ていて、以前に台北で見たときより仔細に観る事が出来ます。空いていたので何度も戻って見比べる事も出来ました。常設展を見終えて帰って来たら、長蛇の列が出来ていて自由に見比べる事など出来ない様です。良い時に見る事が出来ました。
別の場所には現代の名工によるレプリカもあって、清のレプリカと合わせて興味深いものでした。どちらもとても良く出来ているのですが本物には届きません。届かない所を含めて相対的な価値を感じました。手元の偽物も本物や国をあげてのレプリカには敵いませんが、貧乏人相応との相対的な価値と愛着を感じる様になりました。
本物の台には引き出しがあって乾隆帝の賛辞をまとめた小冊子が入っています。これが美しい。こんなに完璧なレイアウトを見た事がありません、この世のデザイナーと名の付く人全ては裸足で逃げ出す必要があります。小冊子の全ページを並べたポスターに見惚れました。ポスター欲しいなぁ。
ここ1年程で手に入れた物の中で一番のお気に入りはQUAD ESL57ですが、もう一つのお気に入りがこのPelikan万年筆であります。中学生になる時には万年筆なる物を学生服の胸に差さなければいけない気がしました。初めてポケットに差した時には、晴れがましい気がしたのを覚えています.実際には使う機会も少なくて高校の頃には欲しいとも思わなくなっていました。
もう10年以上でしょうか、年賀状の宛名書きにはぺんてるのプラマンを使って来ました。万年筆の持つ偉そうな気配が一切無い所が気に入っています。
このPerikanは、同じ様に偉そうでないのに、描いた線には万年筆ならではの趣があって、奇妙な形も持ちやすさに繋がっています。何より色が綺麗で大好きです。
大学の時に隣の部室だったアメリカンフットボールのユニホームが白地に水色とオレンジでした。マイアミドルフィンズの真似だったのだと思います。最近ではIGARASHI 50 と描いた水色とオレンジのトラックを見かけます。綺麗だなと思っていました。
予々、デジタルカメラのデザインにはどこかに別の解答が有る筈だ。フィルムカメラが築いて来た成果にすがっていて良いのか、デジタルカメラ自身の答えがまだ見つかっていない。と思っていました。(すがらない物はもっと酷い状態です。)
畑違いの映画用フィルムを使い、感光部分のみを平らにして両端をロールにして巻き取る。結果として気軽に携帯出来る大きさと手になじむ形が得られる、この点でスピグラなど大型カメラに対する35mmカメラの優位があったはずです。この得難い僥倖があったのにもかかわらず、一眼レフで又機械の都合を優先させて使い難い物にしてしまいました。
デジタルカメラではフィルムカメラとは違う答えが有る筈だ。それは今の一眼レフよりずっと人間に沿ったものであって欲しいと思っていました。
これが正解とは思いませんが、ひとつの新しい提案だと思います。使い勝手はともかく新しい形の面白さがあると思います。
初代のSIGMA dp1には四角い箱と円筒の組み合わせという幾何学形態指向、ミニマリズムを感じました。好感を覚えましたが未消化な部分も有りました。
SONYのサイバーショットは、長い筐体の中心をはずして径の大きな円筒を付けた物でした。これも新しい提案では有りましたが、独自の魅力を持つとまでは感じませんでした。
quattroは新しい形の面白さまで届きそうです。レタリングや細部の仕上げも最初のDP1に比べて随分洗練された様に思います。
2014-12-14 カテゴリー: DESIGN, tools | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
予々このままで良い筈が無いと言って来た事ですが、自転車と電動バイクの間にはいろいろな選択があって、自転車でもスクーターでもオートバイでもない新しい形が必要だと。ナンバーとヘルメットが必要な原付にされるのが怖くて頑に古めかしい自転車の形に留まる日本の電動自転車にはもどかしさを感じて来ました。
2014-09-26 カテゴリー: bicycle, DESIGN, motorcycle | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
フランク・コスティンは戦争中、デハビラント・モスキートの設計に係わって、戦後はその経験を活かして合板フレームのレーサーや市販車を作りました。アルミパネルに依るバスタブ・モノコックはこの合板フレームをアルミに置き換えたものと言ったらマズイでしょうか。
この面白さをどうしたら伝えられるか、少ない参考写真とつたない文章でもどかしい思いをして来ました。見事にまとめたサイトを発見しました。素晴らしい。
(速く走る為、大きいエンジンや太いタイアも一つの方法ですが、軽くて空気抵抗の少ない、効率の良い物を考えて行く手も有りです。フジキャビンやトヨタS800と似た所がある気がするのは思い過ごしでしょうか。)
2014-09-26 カテゴリー: airplane, automobile, DESIGN | 個別ページ | コメント (0)
以前にも木製フレームの自転車をエントリーした事がありました。日本の木製ヨット造船所の職人さんが作った物でした。鉄パイプのフレームと同じシンプルな形と工芸品のような仕上がりが綺麗でした。200万だったか300万だったかだと思います。自転車のダイアモンドフレームは完成された美しい形ですが、溶接の出来るパイプを使う事が前提です。木で作ろうとすると、パイプに代わる軸と軸の接合部のデザインに少し無理がありました。その点で此方の方が木製のフレームデザインとしては無理が無い気がします。重量7.5Kgは偉いと思います。120万だそうです。
個人的な嗜好ですが、フランクコスティンの合板製フレームやランチアラムダのモノコックフレームが大好きです。通じる物がある様な気がします。
トップチューブを高くしてハンドル、シートと並べた所がデザインの目玉ですが、シートステイをヘッドチューブまで延ばして直線で結び、シートポストを延ばす手もあります。シートステイが左右に分かれると戦前のBMWやツンダップ、戦後日本のホンダドリームDやライラックMLにも似て来るな。
トップチューブを止めて、ヘッドチューブとシートステイをそのまま延ばして大きなRのフィレットで繋ぐと丸い盛り上がりが出来ます。シートとハンドルの間にガソリンタンクがあると安心するオートバイ乗りの発想かも知れません。
2014-09-25 カテゴリー: bicycle, DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
上野の博物館、東洋館で10月の13日まで 日本人が愛した官窯青磁 展をやっています。点数も少ないし特別の目玉がある訳でもありませんが、熱い盛り、混雑の故宮博物院展よりガラガラの東洋館がお勧めです。前にも書きましたが、点数は多くありませんが、ここのガンダーラやクメール彫刻、中国の青銅器は粒ぞろいです。世界に自慢出来ると思いますが、中国に返せと難癖を付けられたり、混雑する様になっても困るので、このままひっそりとして置いて欲しいと思います。改装されて展示と照明が随分見やすくなりました。日本に唯一の汝窯は川端康成が持っていたって書いてあるけど本当かなぁ。大阪の東洋陶磁美術館に縁に色のついた水仙盆があった様な気がするけどなぁ。帰ってから東京博物館のサイトをみると鳳凰耳瓶が出てるけど、あったかなぁ。見た覚えが無いなぁ。
新車には手も出ないし、小型SUVって種類に見えるのも私には縁の無い所です。内装も昔のローバーやパンダ程のごひいきという訳でもありません。でもね、この所のメーター・ハンドル周りのデザインにはどれも納得が行かないと感じていました。これは良いんじゃないかと思いました。
http://carview.yahoo.co.jp/article/testdrive/20140710-20102137-carview/
2014-07-12 カテゴリー: automobile, DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
いつかのアウトウニオンのペダルカーも凄かったけれど、これもいいなぁ。グリルは本物に敵わないけれど、フェンダーラインがとても奇麗だと思います。
2014-02-08 カテゴリー: automobile, crafts, DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
流行歌手ふぜいが自らをアーティストと名乗る事に抵抗が有りました。自らの信じる所をひたすらに積み重ねて、万人の価値に至ること。それを成したと自ら名乗る事の厚顔。
ただアメリカ辺りでは言葉の意味というより使い勝手に差が有るのかも知れないと思っていました。
チャールズ・イームズは自らアーティストと名乗るのは恥ずかしい事だと言ってました。同じ様な考えがアメリカにも有る、或は有ったと聞いて少し安心しました。
イームズの仕事の内、私が魅力的だと思う部分の何割かはレイに依る物だとも知りました。ただ何人かに依る仕事の内、どこが誰の仕事だと後年決めつけるのも無理が有ります。レイに依る可能性が高いぐらいの認識に留めるべきでしょう。
私は渋谷のアップリンクという所で見ました。もらった整理券は8番で結局全部でも10人そこそこ。極く親密な空間で見る事が出来ました。この世のイームズに対する関心の大きさと、随分差がある様に思いました。ちょっと不思議な所でした。
ローウィのデザインを否定的に捉える事は簡単です。左の鉛筆削りや売らんが為のデザインに反感を覚える人は沢山いると思います。
どうしても否定しきれない所があるのをクルマのデザインを例に幾つか上げて見ました。でも彼のデザインの中で一番好きなのはfairchildの音響機器です。
LPが普及して豊かなアメリカでは各家庭にLPレコードの再生装置が用意されました。更に2チャンネルのステレオが普及したあたりが丁度アメリカの最も豊かな時代と重なります。マランツの#1から#10まで(特に#7#8#9)やJBLのD130、375、ハーツフィールド、パラゴンあたりをアメリカンオーディオプロダクツの黄金時代としても良いと思います。今でも日本で人気があるこうしたプロダクツデザインの中にFairchildが取り上げられる事が少ないのは残念です。
マッキン、マランツ、JBL,Altecは日本で目にする事も簡単ですが、Fairchildを見る事は稀です。私も実物には2.3度しかお目に掛かった事が有りません。音はまだ聴いた事がありません。
モノラルの245プリアンプを、2段重ねにしてステレオに対応したのが248です。マランツの#1と似た事情だと思います。アルミ板をコの字に折り曲げて、互いに90度ずらす事で筐体を作るのは最も安易な方法です。日本でも一番安いアルミケースが同じ方法で作られています。同じ方法で作られた245ですが、安っぽさを微塵も感じません。材料の厚さと精度の問題でしょう。オレンジという選択も平凡とは言いかねます。恰好が良い、これこそデザインのなせる技と感じるのは私だけでしょうか。
本当はカートリッジやターンテーブルも見て欲しいのですが良い写真が有りませんでした。何かの機会に紹介したいと思います。
2013-04-15 カテゴリー: AUDIO, DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
量産されて広く人達と触れた物を持って語るべきだとすれば、逆に好き勝手の出来る1品製作を取り上げてローウィのデザインを語るのは別の意味が有るかも知れません。
第一この顔を見れば本気かよ、と思う人の方が多いでしょう。随分変わったデザインですが、その分恰好が良いとも思えません。
けれどインテリアの写真を見て下さい。明るくてシンプルで上質でどこか北欧の家具にも通ずるなんて言ったら言い過ぎでしょうか。このインテリアは大好きです。ただローウィのデザインって外観の簡単なスケッチばかりでインテリアが彼のデザインとは限らないかも知れません。
でもこれは間違いなく彼のデザインです。前は相当に不思議ですが、バックスタイルは相当に恰好良い。
申し遅れました。ランチアのロレイモって言います。
2013-04-14 カテゴリー: automobile, DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ケーススタディハウスやアイクラー・ホームズ、イームズやミッドセンチュリーモダン、と言った問題が語り尽くされているとも思えませんし、全てを見知った訳でも無いのですが、こうした文脈に沿った記事や催しは安易な物が多くて、更にフィフティーズのファッションなどと言えば通俗の極みへと墮ちて行きかねません。見飽きた写真とありふれたコメントが並ぶものには行く気も起きないなんて思っていました。カリフォルニア・デザイン1930〜1965展へ行く気になったのはAkiさんのブログにStudebaker Avantiが出ていると書いてあった所為です。
(見た事も、聞いた事も無い物が沢山ありました。特に陶磁器や女性の服装、テキスタイルに対する視点は今までに無い物で興味深く感じました。展示されたアメリカの女性服の立体的な事に感心する一方でその腰回りの巨大な事に尻込みしました。今まで日本の女性が扁平で貧弱に見える事がありました。けれど、日本女性ならではの美しさとも感じる様になりました。陶磁器も図面も全てが大きくて、逆に言えば日本人は小さな物が好きな事を再確認しました。)
で、Avantiです。 Akiさんはペラペラでラジオのデザインの様だと仰ってました。これはローウィデザインを売らんが為のデザインであって商業主義の走狗と捉えた事に依る物でしょう。役に立つ丈夫な道具を目指したジャーマンプロダクツ、ご自身が手元に置いて来たビートル、ポルシェ、ベンツが比較の対象にあったのでしょう。アバンティの相対的な位置を測るのに良い指標だと思います。
一方で、羽振りの良かったアメリカの象徴、ロケット型のバンパーや羽根が一番巨大化したのは59年頃でしょうか。こうしたクルマをデトロイトの売らんが為のデザインとすれば、その後に生まれたアバンティのデザインは随分、慎ましくシンプルで上品だとも言えないでしょうか。
2013-04-14 カテゴリー: automobile, DESIGN | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
SCG38号の中、高島鎮雄氏によると、ピニンファリナのLancia Aurelia PF200には,'51StudeBaker(ローウィデザイン)の影響が見られるとの指摘が五十嵐平達氏によってなされているそうです。左の写真の内、上が’51スチュードベイカー、下がPF200です。如何でしょうか。
ラジエターグリルと左右のフェンダー、三つに分かれていた自動車のフロントマスクを一体化したフルワイズボディの例としてまず上がるのは同じくピニンファリナのデザインしたチシタリアですが、全体のフォルムには感心しても顔のデザインにはこなしきれていない物が有る様に思います。
フルワイズボディの顔を魅力的にする試行錯誤の中でローウィの提案にも意味があったと言う所でしょうか。
2013-04-14 カテゴリー: automobile, DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
三渓園、ご存知でしたか?私は行った事がありませんでした。近所の大宮八幡わきの和田堀公園に毛が生えた程度だなんて(随分違っていました)誰かが言うので期待もしていませんでした。これが、あそこは凄いなんて聞かされて、期待なんぞをして行ったら幻滅していたのかも知れません。人間なんて勝手なものです。
幾つかの点で大変に感心しました。まず随分な広さがある事です。周囲の山の所為で外とは別の世界が出来ています。尾根を超えて向こうに煙突が見えたりするのは残念ですが、高層の建物も増える中あまり贅沢も言えません。広大な土地の無い日本では山を背にして遠景、手前に近景と重ねて行く事で視覚的な奥行きを稼いできました。長い参道の奥に神社やお寺の本堂を据えて、その背景に山や林を置いて視線を遮るのが日本的な景観の作り方です。神社の森もこのご時世ですから、維持が難しい。本殿の裏には別のビルの背面が見えたりでは有り難さも半減してしまいます。その点で手前のアプローチ、その裏には山の背景があって、夫々の建物の収まりが非常に良いと思います。明治村に行ったのは大学の一年の時、江戸東京たてもの園には、以前の武蔵野郷土館の時にしか行った事が無いのでうかつな事は言えませんが、移築された建物はどれも、景観を含めた周囲の状況から剥がされてしまった時点で、剥製に成ってしまった様な寂しさがあります。その点は同じですが周囲に余裕と自然のある三渓園の配置計画は恵まれたものだと思います。
広い敷地に好きな建物を集めてご満悦、こんなに凄い道楽を見た事がない。そんな事をフィリップ・ジョンソンの自宅に関して思いましたが、こちらの三渓園も単なるお庭というより広大な敷地を活かした建物コレクションなのだとは知りませんでした。スケールや趣味の善し悪しでも勝っているのではないでしょうか。関東で一番古い三重の塔だの、禅宗様の仏堂、白川郷の合掌造り、エトセトラ、全て移築して集めたというのですから凄いコレクションです。アメリカには行った事が無いので比べようも無いのですが。
こうした建物や庭園は維持管理が大変ですが、入園料をとる施設だけに手入れも公設の公園よりは良いみたいです。
出来た当時の写真を見ると山の木立も奥行きがなくて、浅はかなテーマパークにも成りかねない所でした。何十年かの歴史が景観にも厚みを足しています。景観や作庭によるテーマパークという意味では小石川後楽園にも通ずる所があると思いました。
2012-10-29 カテゴリー: DESIGN, 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
行方不明になっていた横田の写真が出て来ました。軍用ヘリの尾翼後端部分です。写真をクリック・大きくして見て下さい。垂直尾翼の底から出たステンレスロッドで水平尾翼を上げ下げするのでしょう。垂直尾翼後端が曲がっているのはローターの反力に対する物でしょうか。左右のヒンジから水平尾翼が上にたためる事も解ります。およそデザイナーなどという人種のいない所にこそ最高のデザインがあるというパラドクス。この写真だけを見て何だかは解らなくても、如何に良く計画された工作物であるかを、プルーベ大先生だったら解ってくれると思います。
下の写真では最初のデザインに対して色々な要素が付加されている事が解ります。 オリジナルデザインの美しさも大切ですが、使い込まれて行くに従って多様な機能を要求された経緯が読み取れるのも面白いと思います。自動車でもオーバーフェンダーやパワーバルジ、追加されたエアスクープが迫力などの良い方向に働く事があります。これは建築でも起こりえる事でしょう。
2012-10-24 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
’ムーミンが住む森の生活’なんて書いてあると、女・子供向けかと足が遠のいてしまう大人がいないかと心配です。そんな事はありません。いい大人にこそのぞいて頂きたい。
宇都宮はちょっと遠いし、美術館が駅から離れているのも辛い所です。鎌倉の近代美術館よりはちょっと遠いけど行けない所じゃありません。騙されたと思ってご覧戴きたい。
ふんぞり返って人を見て、ヘヘーっと人を這いつくばらせるのが建築だとでも考えているのではないか、だとしたら随分嫌な奴だと思っていた岡田新一ですが、彼の設計にしたら意外に軒の低い建物です。個々のデザインに文句の無い訳ではありませんが、世の中の動きや谷口吉生の一連の美術館などには影響される所があったのでしょうか。大きすぎないのも良いし、全体の規模やアプローチの整備には好感がもてました。計画段階で使う側から学芸員の方々が文句を言う機会もあったそうです。そこらも良かったのかも知れません。
フィンランドのデザインだの建築だのと言い出す前に、国土や風景が油絵で示されて、スウェーデンとロシアに挟まれた中でアイデンティティーの核になった神話の説明がありました。この手の前置きは面倒に感じる事も多いのですが、前置き一つ一つが十分に魅力的です。サーリネン(父)にアアルト、カイ・フランクにマリメッコ、後は皆様の期待通りです。
去年秋の目黒美術館・降旗さんや、今度の宇都宮美術館・橋本さん、お仕事に触れて感じる所がありました。あれだけの物を企画して飛び回って交渉して・集めて・見せてそれを責任持って返す事がどんなに大変か。箱ものばかりで中身が無い、ハードばかりでソフトが無いと馬鹿にして来ました。日本の美術館、人もソフトも育ってます。彼女達の仕事を評価するかしないか社会の側が問われていると思いました。
がんばれ日本の学芸員。
熱心なappleの信奉者ではありません。けれどもう随分長い事macを使って来ました。
まだ、コンピューターがIBMに代表される大規模な物だった時代にパーソナルコンピューターという概念を具体化した事。
コンピューターを使う事すなわち、プログラムだのと言った文字の羅列だった時代にGUIで誰もが視覚的な操作が出来る様にしたこと。
社会と個人の関係に大きな影響があったと思います。
i-mac i-pod i-tunes i-phone i-pad等でネットや音楽配信、書籍のあり方を変えてしまったなんて言う大事も彼の仕事の内では、ほんの一部でしかありません。
世の中の進歩という言葉には良い意味が含まれていますが、私にとって都合の良い事ばかりではありません。
世の中が組織で成り立っていると信じる人達への進歩があるとすれば、一方でそうした大きなモノに押しつぶされそうな個人を応援する仕組みを彼が作って来てくれた様に思えてなりません。
2011-10-06 カテゴリー: DESIGN, コンピューター | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
バイクの展覧会という訳でもないので、私のゲールペット(ライラックモペッドAS-71)と林さんの(浅間に保管)ライラック ランサーV MF-39の2台だけですが、古いバイクに興味のある方にご覧になって頂ければ幸いです。
秋岡さんは金子さんと私の父の三人でKAK(カック)と言う工業デザインの事務所を始めました。KAKではライラックの他に家電製品やオーディオ機器(CECやクライスラーやコーラルなど)DENONではNHKの局用機器(DL103カートリッジやターンテーブル)ミノルタのカメラやロゴ、セコニックの露出計、学研 科学誌の付録、などのデザインを手掛けますが、作って売る側の都合に傾いたモノをただ消費する社会に疑問を持って、地方の職人達による物造りなどに軸足を移して行きます。
工業デザインを始める前の秋岡さんや消費社会の有り様に疑問を投げかけた後の秋岡さんの仕事にも触れて頂けるといいなぁと考えています。
10/29(土)〜12/25(日)秋岡芳夫展 モノへの思想と関係のデザイン 目黒区美術館
03-3714-1201
2011-09-19 カテゴリー: DESIGN, motorcycle | 個別ページ | コメント (15) | トラックバック (0)
東京が世界に誇れる美しい街だなんて考えた事も有りません。世界中に綺麗にしてある街は沢山あるのに日本の街は何でこんなに汚いんだと思っていました。(家の中はもっと出鱈目です。貧しければ言い訳も立ちますが、物が有りすぎてゴミ溜めに住んでる様です。読み書きと同じ様に、住む所・身の回りを整えることも教養の内だとすれば、私を含めて日本人は世界一無教養だと言われても仕方が無い気がします。自分の事を棚に上げてこんな事を言って良い物か分りませんが、テレビに写る日本の家の中に感心をした事が有りません。最近はよその国の家の中がテレビに写ることも増えました。豊かな国の新しい家は勿論、狭くても古くても室内が整えられている様に見えます。貧しくても畳と床の間で暮らしていた頃、日本人の教養は必ずしも低いものでは無かった様に思います。)自分の街を卑下している訳ではありません。それなりの味わいや面白い所だって沢山あるとは思っています。
自虐史観と言う言い方があるとすれば、日本の此処が凄いなんて記事や番組は自慰行為だとも言えます。他所からどう見られているかを異常に気にするくせに拙い所を直す気も無い。どんなコメントも自国に対する賞賛にしなければ気が済まない。こうしたあまりにナイーブな精神構造が中国や韓国の他人事であれば良いのですが・・。
自信のかたまり中国人も日本の此処には感心するなんて記事がネット上には出ています。マスタベーションそのものに思えます。こんなの見つけて安心なんかするなよと思います。思い上がった中国人が日本に来て感心するのは街が清潔な事だそうです。そんな事しか見つからなかったのかよって感じです。本当かなぁ、第一日本はそんなに綺麗でも清潔でもないよとも思います。
一億二千万人で世界二位の経済規模などと根拠の無い自信で自惚れていた日本人も情けないですが、12億にあおられて必要以上に落ち込むのも情けないと思います。
四谷に三ヶ月程通いました。通い出した頃、歩道から、お堀の公園方向を撮った写真です。ちょっとどこかの観光地にも見えます。あぁ秋の空は気持ちが良いと思いました。下手な写真でその時の気持ちがどれだけ伝わるか心配です。中国人は東京のどこを見たのかなと思いました。
2011-02-19 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
随分空いてしまいました。今更おめでとうでもありませんかね。
青山三丁目の交差点から外苑西通りを墓地方向に降りて行く右側の歩道、半地下の小さなお店がヒロコチャンのrocofです。いつもは彼女のイタリア時代のつてを活かした女性服やアクセサリーのお店です。私にはあまりご縁がありません。今日は商品を片付けて、Rocof Galleryと名うっての展覧会です。
透明のエポキシに色々入れたハンガーです。作ったのはヒロコチャンのイタリア時代の友人で堀井政利さん。本業はグラフィックデザインだそうです。とっても綺麗ですが、洋服を掛けると折角のハンガーが見えなくなってしまいます。クローゼットにしまっても意味が無い。人が座ると折角の薔薇が見えなくなる倉俣史朗のミスブランチを思い出します。椅子一つで部屋を支配してしまいます。座ることなんて許されない気がします。
人が座ってはいけない椅子、服を掛けてはいけないハンガー、素敵な逆説かトマソンか。
ハンガーとしての機能以外にレーゾンデートルを求めるハンガー。華やかだけれど偉そうな所が無くて、軽やかだけれど軽薄ではない。ハンガーの為に一部屋作るぐらいの覚悟があれば中々素敵だと思いました。
倉俣史朗と同じ頃、UltraModernの菅野君も、もっと小さなペーパーウェイトなどで実験を繰り返していました。失敗作を一杯見せてもらったので一つづつ作るのがどんなに大変か知っています。
1月の22日までだそうです。
2011-01-18 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
日本ガルテン協会のお庭見学、今回は奈良、京都です。ハイライトの金閣、銀閣、嵐山は折からの紅葉が秋の陽光に映えて、輝くばかりの美しさです。錦のごとくなんてどこかで聞いた様な台詞を書くのも恥ずかしいのですが、正直な所ではあります。日本の観光地なんて汚い看板と下品な土産物屋ばかりで見に行く気も起らないなんて思っていましたが、嵐山も桂川を少し遡り、金閣・銀閣も境内に入ってしまえば土産物屋もありません。いや〜大した物でした。
銀閣の砂で造った円錐や模様は江戸になって池の泥をさらっても置く場所がなくて困ったあげく、既に多かった観光客の目を魅こうとでっち上げた代物で足利義政の作庭とは関係が無いそうです。
日曜を外して月曜に行ったのですが、人、人、人でおよそ静かな観賞とは言いかねるものでした。修学旅行でぞろぞろ並んで見た時より酷かった気がします。西洋東洋併せて外人さんが半分近く。その分昔より混んでるみたいな気がします。この御時勢ですから、東京では見なくなった中国からの観光客も多いのに驚きました。
ここまでは他の旅行でも行くでしょうが、今日紹介したいのは観光コースに載らないこの二つ。一つは上賀茂の西村家庭園、上賀茂神社の神官錦織家の旧宅だそうです。もう一つは泉涌寺来迎院、泉涌寺は初めてでしたが予想外に大きくて立派なお寺でした。その脇の小さな書院と庭が大石内蔵助によるものだそうです。小さなお庭ですが、有名な所は行き尽くしたという方にはお薦めしたいと思います。
上の写真は銀閣で下の写真が西村家。西村家の脇を流れる明神川がとても綺麗ですが、何せ水面が近い、道路面から30〜40センチぐらいでしょうか、あれがもう1メートル深ければドブ川の様であの風情は失われてしまいます。夏に行った広島も京都の鴨川も水面が近くて街の中の川が魅力的です。高いコンクリートばかりの東京の護岸工事には大雨の時の水量などの根拠があるはずですが、どうしてこんなに低い土手と近い水面が出来るのでしょうか。
PS
松尾大社はお酒造りの神様として有名だそうです。ここには昭和を代表するモダーンな日本庭園があります。人の造ったお庭は当たり前に見えますが、これを見ると新しい庭造りがどんなに難しいものか分る気がします。御覧になった方がいたら御意見を伺いたい所です。
今日のテレビで言ってましたが、今年は猛暑と秋の雨の御陰で特別に紅葉が綺麗なのだそうです。上手くすれば12月の頭まで保ちそうだとの事です。京都で無くても良いと思います。今年はわざわざのお出かけを薦めます。
会社に勤めた事が無いので、組合活動と言う物を知りません。区役所で入る国民健康保険に比べて医療保険が充実していると教えられて土建組合に入りました。今まで毎月の組合費だかを払って来ただけでした。 それぞれの区の土建組合から、毎年8月6日の広島、原水爆禁止世界大会に代表を送っているなんて事も知りませんでした。 たまたま今年は、普段私がお世話になっている人の所にお鉢が回って来たのだそうです。 枠は二人、もう一人誰か相棒が必要でした。 お盆に入る前の平日、8月の4.5.6日と休める人が見つからなかったのかも知れません。知りもしない組合活動に関わるのも面倒だし、いきなり代表なんかにされるのも気が進まなかったのですが、折角のご好意だとすれば何か言い訳をして逃げる事もしたくありません。仕事も大してしていない、ぷらぷらしているのもばれています。宿泊費から交通費、行動費まで出してもらって広島まで出かけて来ました。どんなイベントも、外からはそれぞれ主義主張を持った人の集まりに見えますが、中にはこうして紛れ込んだような不届き者もいるのかも知れません。
勿論、世界から原爆を無くすこと、日本以外のどこであっても二度とこの惨禍を繰り返すべきでない。こうした意見に異論はありません。
ただ、広島の人にはまず悲惨な事実を伝えて行く事をお願いしたい。けれど、戦争を早く終わらせる為には原爆が必要だったと考えなければ、自らに言い訳の出来ないアメリカや、日本に酷い目にあった国の人達の、いい気味だという気持ちの前で、それ以外の日本人には一方的な被害者面以外に何か別の論拠が必要だと感じていました。自らを核の傘の中に置きながらの核廃絶など説得力を持たないのは当然です。
(戦争を早く終わらせる為の原爆だった・・そんな必要は無かった事も今回知りました。やっと出来た二種類の原爆を早く比べて見たかったという事です。虫けらの様な日本人であれば良心の呵責も少ないのでしょう)
三日間、65年前もかくやという強烈な陽射しの中で目の当たりにした広島ならではの事実は強烈でした。目にした事実を意識の薄れた人達にどうかして伝えたい。私もそうした気持ちにはなりました。けれど抑止力が必要だという’現実的’な人をどうすれば説得出来るのか。いい気味だと言う世界の人をどうすれば仲間に出来るのか、良く分かりませんでした。
言う事を聞かずにへたな事をしてみろ、原爆を何倍にもして返してやるという脅しが効くのは、互いに固定した領土と殺したくない国民を持つ国同士です。限られた核クラブの中では核の数の大小がある序列をもたらしますが、インドやパキスタンの核をなし崩しに認めてしまいました。さらにイスラエルやイラン、北朝鮮といった言う事を聞かない国はいざとなれば国民を犠牲にしてでも核を持ったり射ったりしかねません。国力全体では相手にもしてもらえない小国は大国とのサッカーよりPK戦(或はロシアンルーレット)に持ち込む事で対等の交渉力を得ることが出来ます。増してアルカイダには射たれて困る領土も国民もありません.数の大小でイニシアティブを取れなくなったアメリカが削減というベクトルでこそイニシアティブを取るのは戦略の問題であって、オバマの良心だけによるものだとは言い切れないと思います。減らす方向でこそ主導権を得ることが出来て、互いに少しづつ減らしているあいだずっと数的優位が保てます。
こうした現実の前に、人間にとってこれ以上に悲惨な事の無い核を廃絶しましょうという良心以外の、何か説得力が欲しいと思いました。
今回のエントリーはデザインについてです。それぞれの環境には音響的な整理が必要じゃないかと思いました。
広島市主催の平和記念式典ですが、会場のレイアウトにはそれなりの注意を払ってデザインがされています。けれど音楽は随分不思議なものでした。黙祷の間、鐘が鳴り続けるのも煩く感じました。それぞれの声明、音楽、拡声装置、すべての音とその環境に関しても誰かがデザインをした方が良いのでは無いかなどと感じました。
式典の後、日本中から集まった各団体の代表はそれぞれが託された折鶴を抱えて、原爆の子の像へと急ぎます。もう既に一杯になった折鶴に更に自分の鶴を押し込みます。像の前ではわんさと集まった団体のそれぞれが記念写真を撮るのに夢中です。それぞれの地元への報告の為には何が何でも場所を取らなければなりません。礼儀もへったくれもありません。像の下の鐘も鳴りっ放しです。とんでもない陽射しと暑さの中で蝉が信じられない大きさで啼きます。人出を見込んで集まる人もいて、紙芝居をやったり、チェロの独奏に詩の朗読、パントマイム、気の狂いそうになる阿鼻叫喚です。
悲惨な被爆者への慰霊であればもっと静かな環境が必要に思えます。各団体の善意がそれぞれの勝手な都合に見えてしまう今の事態を誰かが整理する必要があります。
2010-08-15 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
はとバスの名前は知っているけれど、乗った事は無かったかも知れない。街中でバスを見かける事はあってもどこから乗るのかも知らなかった。
たまたま東京駅、丸の内側有楽町寄りを通り掛かったらはとバスの乗り場が並んでいた。
こんなロゴやマークとは知らなかった。それ以外のインフォメイションもまるで整理されていない。世界中から東京へのお客様の窓口としてこれは如何な物か。
人前に立つ商売なんだから、もう少し他所からどう見えるかに気を配って欲しい。東京も日本語も判らない人達にもすぐ判る仕組みにして欲しい。
CI(コーポレイトアイデンティティ)などと言い出すと、広告代理店には巨万のお金をむしられて、あげくの果てにマークの使い方一つにまでケチを付けられる。デザインなんて物に何でお金を掛ける必要が有るのか。・・・・・言いたい事は良く判る。
なんで代理店に無駄なお金をむしられたりするのか。それは頼む側にも問題がある。実際に作る所はプロに任せれば良い。けれど注文する側が、何を解決する為に頼むのか、出来たマークで問題が解決するのかの判断をする事が必要だ。
視認性が高くて判りやすい。成る可く簡単で覚えやすい、沢山の人に信頼感を与えるもの。こうした判断も出来ない経営陣からお金を引き出す為に代理店の営業は他社との比較や接待等々、無駄な手間を山程掛ける必要がある。
デザイナーが一番苦労するのはマークやロゴのデザインじゃない。社員を集めて社長が新しいマークをお披露目する時の台詞だ。緑の線は台地を表し、何とかが飛躍する我社の何とかを表す。こんな馬鹿げた説明が出来ないと社員にも社長本人にも納得が出来ない。
ソニーみたいなロゴを作ってくれとは良く聞く話だけれど、ソニーのロゴについて赤が太陽だの何とかの飛躍だのなんて説明は聞いた事がない。
建築って言うとアンドー、デザインって言うとナントカカシワ。バカの一つ覚えになるのは他所の実績以外に頼る物が無く、自分自身での判断が出来ない経営者ばかりだからだと思う。2010-07-20 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
上の図面が東芝の特許申請か何かだそうです。
ダイソンそっくりの申請が何年も前(1981年)になされていました。
東芝は何故、商品化しなかったのかと言う話題についてです。
ダイソンの掃除機には吸引力で目にもの見せてくれる所がありました。
ダイソンの扇風機は円周のスリットからの風量はわずかでも、周囲の空気を巻き込んで15倍の風量を起こせると言うのが自慢なのだそうです。
でもどうなんでしょう、本当に楚々とした風で、夏 外から帰って来たばかりの人には随分まどろっこしい物だと思います。15倍と言った効果には思えません。
ずっと室内にいる女性からは、エアコンや今までの扇風機の風が迷惑との抗議を受けた事があります。こうした要望には最適かも知れません。
アクシスのリビングモチーフに置いてあったダイソンを見て来て、やはり実物を見て来たAkiさん と話をしました。
あのデザインとダイソンの名前、昔よりデリケートな要求があって初めて成り立つ商品だと思います。
ただ強い風が吹いてくれれば良いというニーズには向きません。製品化しても売れなかったと思います。
もっと乱暴な市場の要求と、東芝というブランド、デザインでは売れるはずもありません。商品化されなかったのも当然だというのが私とAkiさんの考えです。
東芝の申請2009-11-02 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
久し振りに行ったアクシスで見た物を幾つか。
噂の扇風機を見て来ました。確かに安全で静かで格好が良い。リング内周スリットからの風でリング中央に風を起こす、霧吹きやキャブレタと同じ様な仕組みだと思います。結果としてファン自体の風量より大きな風が送れる。というお話です。本当にお上品で楚々とした風でファン自体より大きな風を起こしている様には思えません。ちょっと微妙な所です。けれど、風の質感がまるで違います、これに比べると今までの扇風機の風が乱暴で洗練されないモノに感じるのも確かです。(展示用に風量を落としていたのかも知れません)
こちらはフレームだけでなく、リムまで木製の自転車。凄い、工芸品ですね。
今日(11/2)NHKのテレビに出て来ました。東京で100年だか200年続く船大工(51歳)が作っているのだそうです。ドイツの自転車展に呼ばれて260万だかで3台売れたそうです。
こちらはアウトウニオン型のペダルカー。220万円とかですって。
2009-10-30 カテゴリー: automobile, bicycle, crafts, DESIGN | 個別ページ | コメント (5) | トラックバック (0)
今は当たり前になってしまいました。硝子に直接ダボ穴をあけての 方立、それを使った全てガラスで出来た棚。
硝子同士の接着で出来た全てガラスの椅子。
テラゾーに入れた色ガラス。
3枚貼り合わせたガラスの中一枚だけを小口から割って入れた綺麗なヒビ。
学校を出た頃、次々に出て来る二人の仕事、見た事も無いガラスの使い方に驚きました。
新しい技術や素材と言ったきっかけもありますが、倉俣さんの発想と三保谷さんのチャレンジがなければ出来なかったものばかりです。
倉俣さんが亡くなってからも、他のデザイナーや建築家とのトライが続いています。
三保谷さん自身は若い人にもフランクで、他で出来ない事があったら何でも持って来いと言ってくれます。けれど、倉俣さんだからこそ三保谷さんが必要だったのでしょう。そんな関係が羨ましくもあります。私自身はわざわざ三保谷さんにお願いする様な仕事には巡り会う事がありませんでした。(言い換えると自らの無能の告白です)
六本木のアクシスギャラリーで11月8日まで三保谷さんの仕事が見られます。
2009-10-30 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ザハ ハディド,ブレンデル,リチャード ロング,
たまたま見かけたテレビにはケチの付け様の無い名前が並んでいました。既に十分な評価を受けている人達です。誰もケチの付け様の無い人選、それはつまり選ぶ必要が無いことと同じではないでしょうか。何かを選ぶのには何かのリスクを負うべきです。誰も評価をしない何かに価値を見つける事。それが賞自体の価値を生みます。何も負わない、何の責任も取らない、何の価値も作らない、そんな賞が尊敬されたり、大事にされる事はないでしょう。
佐藤栄作に与えたノーベル平和賞にどういう意味があったのかまるで分りません。人選も極く政治的なものなのだと感じました。何も成し遂げていないオバマへのノーベル賞にも半信半疑でした。けれど、リスクを負っているからこそ意味があるのだと感じました。オバマと言う選択に大きな価値があると思えて来ました。(佐藤栄作受賞の意味はまだ分りません)
まだ評価を受けていない若い人達への賞もあると聞いて、救われる気がしました。それがクレーメルと彼の楽団だと聞いて心底落胆しました。
2009-10-29 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
appleへの影響も話題ですが、丁度 府中市美術館ではBRAUNの展覧会が開かれています。Akiさんのブログを見てからずっと気になっていました。
”純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代―機能主義デザイン再考”を見に行ってきました。
一つ前のエントリーではブラウンのデザインが身近なものだったなどとは申しましたが、シェーバーと時計、電卓などの小さなモノや、コーヒーメーカーあたりに限られた話です。50年代から60年代前半のオーディオ等大きなモノについて実物を知っている訳ではありませんでした。古い白黒の写真でしか見た事がありません。
簡単な幾何学的形態に事態を整理する事は,ロシアンアヴァンギャルドの中のコンポジションなどにも見られますが、勿論バウハウスの影響が大きいのだと思います。工業化を目指して作られた幾何学的形態もバウハウスではアトリエで手作りされていました。簡単な形への還元が工業化に繋がるのは戦後になって、ブラウンなどの時代になってからと言っても良いのだと思います。
初期の仕事の中には、むりやりある形にはめ込む為の無駄もある様に思われました。けれどそうした試行錯誤の中から50年代の中頃には、明るいグレイと白の傑作がいくつも登場して来ます。一度還元された簡単な形が細心の注意でレイアウトされています。質感やプロポーションにも一切の弱みが見えません。
こうしてある文法が出来てしまう事で一定のレベルが保たれたのだとも言えます。一方でタコが自分の足を食う様な自家中毒を起こして行く様にも見えました。70年代に入って艶消しの黒が大流行したあたりになると少し見飽きて来ました。
父がひげ剃りを買った時に嬉しそうだったこと、日本人にはゴツすぎるくらいの大きさと、分厚くて密実な質感をまだ覚えています。
今回初めて実物を見る事が出来た明るいグレイの製品群にも精度の高い密実なものを感じました。同じ時期の日本製のペラペラで情けない質感を良く覚えています。
(ネトウヨの皆様は韓国や中国を真似やパクリと蔑みますが,メイドインジャパンが品質とオリジナリティを保証するものになったのはそんなに昔の話しではありません。50年代60年代のニッポンプロダクトはあきれる程の貧しい品質と真似のかたまりだったのです。)
私の場合、ジャーマンプロダクツへの信頼と憧れ、中でもブラウンへの強い好意の一方で、モダンデザインと括られるナニカへの疑問があるのも事実です。
20年程前でしょうか、代官山の綺麗なお店に並んだモダンデザインの数々が急に意味の無い物に見えた事がありました。単純な幾何学形態への還元だけが問題の解決でしょうか。デザイナーなる人種の関わらない所にもっと実質的な解決を見る事もあるのじゃ無いでしょうか。
今まで見る事の無かった傑作を実物で見る事が出来ました。そうした文法がマニエリスムに堕して行く所、両方を見る事で,私の中にある愛憎の両方を確認しました。
製品実物の予想を上回る質と量、戦後のブラウンにまで至る、ジャーマンデザイン史、トーネットから始まる展示は限られた数の中で見事な選択です。こういう成果こそがキュレイターの仕事になるのだとすれば、展示の計画者に大きな拍手を送りたいと思います。府中市美術館の建物も予想外に立派なものでした。
(私は随分、愛想の無いファサードだなと思ったのですがあれは裏口だったのですね。)
2009-07-11 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (1)
アップルのプロダクトデザインにおけるブラウンの影響については何人かの人が触れています。好意的なものから物まねアップルとの非難まで、態度に違いがあっても内容は同じです。
成る程ねと思うモノもあれば、本当に真似かなぁ。こじつけにしか思えないという組み合わせもある様に思います。
日本の家電屋さんに勤めるサラリーマン達がブラウンのデザインも知らずに訳の解らない仕組みで形をなし崩しにする事を考えれば、(現行の家電の中に尊敬に値する形という結果を捜すのは困難です。ブラウンでさえ昔ながらの電卓や時計以外最近の製品は日本製と変らぬウンコです。)ジョナサン・アイブスがもしブラウンを意識していて、その結果、形や考えにある経緯が読み取れるとすれば、好ましい話であって非難の対象には思えません。古典に学ぶ事は大事だし、それを教養、マニエリスムとするか、又は物まねとするかは文脈次第です。
私にとっては身近でけれど古めかしい美意識が今時脚光を浴びるとは思っていませんでした。もし彼が引きづり出してくれたのなら御礼が言いたい所です。
http://gizmodo.com/343641/1960s-braun-products-hold-the-secrets-to-apples-future
2009-07-07 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
遅ればせながら、IKEA港北店を見て来ました。
一番すいていると聞いた木曜日でも、駐車場は空いている所が一列に一つかふたつしかありません。
空きを捜すのに苦労はしませんが、見渡す限りはクルマで埋まっていました。
店内も子供づれが多くてそれなりの人出です。混み合ったり、並んだりでストレスを感じる事はありませんが、それも広い所為でしょう。
いきなり、スクイージー79円の山積みに、吸い寄せられてしまう情けない私。安物が好きで高級品に縁のない事が良く分かります。
色々な提案があって、工夫が沢山してあります。お客様が家具選びを楽しめる仕組みが出来ています。
スクイージー以外にも所々にとんでもなく安い物が山積みになっています。
勿論、高級品はありません。ウェグナーの椅子みたいな良い物を捜しても無駄です。昔のイケアは本当にただの安物ばかりだったのですが、安く済むならこれで十分と言える物が沢山あります。
今までの仕事の中で、絶望的に無駄で使いにくい家具のレイアウトを見た事が何度もあります。
お客様の家具選びやレイアウトにどこまで首を突っ込むべきか悩みます。
けれど、ここに来るとそうしたしつらえこそ、それぞれの住み手の最大の楽しみであるべきだと良く分かります。
私達設計者は汎用性に優れた箱を用意だけして、壁仕上げから家具までお客様が楽しみながらしつらえて行く。これがやはり理想なのだと納得しました。
安い物が沢山あって、予定に無い物も沢山買ってしまいました。59円のお椀に249円のお皿、399円のワイングラス、80センチ巾799円のすだれ。すだれと比べて大きさの見当が付くでしょうか、結構立派なワイングラスです。私の場合これで十分、リーデルなんて要らない事が良くわかりました。
あっ、バスマットは299えん。
コストコに連れて行ってもらった時も思いました。狭い中に色々詰め込み、心配りと称して人手を掛ける、高度集積を果たした日本の商売も大した物ですが、何より規模が大きくて新しい提案がフェアでさえあれば、私は放っておいてもらってまるで構いません。日本と違う大きな商売を見る事が出来て良かったと思いました。
何十年も昔の話ですが、日航の機内食はそのメニューだけ見ていると、どこの立派なレストランかと思う程、色々な献立が並びました。スペックで言えば最強でしょう。一方、ルフトハンザの機内食はサービスもありません。搭乗時にビニール袋を渡されておしまいです。ぼそぼそのパンにハムとチーズの盛り合わせ、スペックで言えば最低です。けれど美味しいコーヒーとたっぷりのオレンジジュースがついてとても充実していたのを覚えています。ぼそぼそのパンが美味しい事を初めて知りました。日本人の商売だけが正解とは限りません。他のやり方もあるんだなと思いました。
PS
やっぱり我慢が出来ません。正直に言います。献立ばかり豪華な日航の機内食はちっとも美味しくありませんでした。メンツに拘るあまり実際の満足にはほど遠いものでした。こうして結果としてはうそと取られかねない、真面目さゆえの不誠実と言った事が日本には沢山ある気がします。あれから日航に乗っていません。今は美味しかったら悪しからず。
又、食い物の恨みになってしまいました。イケアの100円ホットドッグはとっても美味しかったです。覚えているのは食い物ばかりですな。
2008-09-04 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
毎年その分厚い年鑑を見かける度に、ありとあらゆるものが載っていることに驚きます。
グッドデザイン賞という仕組み自体が生きて行く為に、ありとあらゆる所からお金を集めて、ありとあらゆる所に賞を配らなければならない訳です、多分ね。
お役所が天下り先を作るのに熱心だったりするのと同じ様に、こういうのをサスティナブルデザインと言うのでしょうか。
だとすれば中々良く出来た仕組みです。和を持って尊しとする国らしいとも思います。
多くの人にとって役に立つ結構な仕組みではありますが、仕組みに関わる多くの人より、もっと多くの仕組みに無縁な人の為に、数を減らした方が分かりやすいと思います。私だったら最高のグッドデザイン賞をバナナだけにあげたいと思います。
あんなに簡単な形なのに、誰でも一目で認識出来て間違える事がありません。
認識しやすい簡単な形、ミニマルな方向に向かうと、丸、三角、四角。選択肢が狭くなってしまいます。丸や四角が何かの記号だったり比喩だったりする可能性もあって、何を表すのか意外に特定しにくいものです。幾何学形態以外では、それがジャガイモなのかメンタイコなのか分からせるのは結構大変です。
色は黄色一色、めちゃくちゃ視認性が高い。
それが、そのまま賞味期間を表示しています。
緑はまだ早い、黄色は食べ頃、黒の斑が早く食べる様に警告して、黒くなったら賞味期限切れ。
食べる時にも房から折った所がプルタブになって綺麗に剥けます。
一切道具を使いません。そのまま片手で何も汚さずに食べられます。
いくら美味しくてもひと粒づつ剥くのが面倒だったり、思った様にほうばれなかったりが普通です。これほど食べやすい食べ物って他にあるでしょうか。
赤いリンゴも分かりやすい記号ですが、剥いたり芯を捨てるのが面倒です。お米やパンは炊いたり焼いたりしなければ食べられません。牛や豚、魚だって食べられる様にするのには大変な手間が掛かります。
大部分の食べ物はそれ自体の他に人間がパッケージデザインをしてやる必要があります。保存や収納、運搬を考えれば、大部分の場合、四角い箱にするのが一番です。それ以外の奇策はまず不便を招きます。バナナだけが例外です。
そのまま食卓に載せても良いし.お弁当に一本足すのにも好都合.お店で買うのにも一房が便利です。農場で穫れた大きな房はそのまま運べるしぶら下げて保管するのにも具合がいい。農園から人の口に入るまであらゆる状況下でどういう形をしていれば良いか、どうやって運んで、どうやって保存すれば良いか、全てががあの簡単な形の中に盛り込まれています。
どうでしょうバナナに匹敵する良いデザイン、思いつきましたか。良いデザインなんて、そう多くは無いよと思います。
イデオロギーや歴史的な功罪があって難しい所もありますが、国旗にかんして日の丸をしのぐものはありません。(三色旗も悪くないけど日の丸と比べたら数の多い所がね、ロシアとフランスはどこが違うのかな。日の丸が超一流で三色旗は普通の一流かな、イングランド・スウェーデンあたりの十字も悪くないけど三色旗と同じで独自性に欠けます。三色旗やストライプに、マークや紋章入りのインド・スペインは二流、カナダは成功例ですね。イギリスのユニオンジャックやアメリカの星条旗みたいな悪あがきが三流、説明や言い訳が必要な所が情けない。一目で納得するのが良いデザインだと思います。あの手で成功してるのはギリシャぐらいかな。ブラジル・韓国・南アフリカはその下なんて言ったら怒るだろうな。ここまで書いて気が付きました。これは言ったらいけない事なんだな。)
中央線、山手線、総武線、京浜東北線の塗り分けも、効果の大きいものでした。社会全体が分かりやすい理解を共有する事で、日本の社会の効率がどれだけ上がったかと考えられます。
営団地下鉄のサインシステムを、その次ぐらいに持って来ても良いなと思っていました。それくらい数少ない評価の対象だったのです。東京メトロと名前を変えてからの青と黄色は決して良いと思えません。これから全て替えて行くのかと思うと気持ちが萎えます。
2008-07-12 カテゴリー: DESIGN | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
夏合宿の帰りに、菅平のホテルDを見に行ったことがあった。今をときめく伊東豊雄の建物の方は良く覚えていないけれど、所々に置いてあった大橋晃朗の椅子はとても魅力的だった。
今年の例の会では、坂本先生が異様に熱心で少し驚いた。同じギャラリー間でのご自身の展覧会の時はあんなに積極的に是非見に行けなどとは仰らなかったと思う。
土曜日にやっと見に行けた。
和箪笥やシェーカーに興味のあった初期。椅子の歴史を中国、はてはエジプトまで遡ってした勉強が、ステンレスパイプとワイヤ椅子に結実している事。そうした椅子があまりに高価になってしまった為に、もっと広くの人に使ってもらえるようにと作った合板の椅子。ついにはそうした椅子も彼の期待した社会性を得る事がなくて、本人が言う家具ゲームにたどり着いたこと。
多木浩二による解説は思い切り分かりやすい。ここまで整理してしまって良いものだろうか。
私はホテルDで見たパイプによる椅子のシリーズや、代田の町家のインテリアが好きで、その後の椅子にあまり興味がなかったのだけれど、多木、伊東、坂本の対談ビデオを見るのに、上の写真の椅子に小一時間座っていたのだけれど、見た目と違って非常に居心地が良かった。意外だった。
私の部屋の合板による一面の棚も、私自身は与えられたコンクリートの箱と、要求された収容能力、無いお金による、必然の帰結であって、世の中で言うデザインなどとは一番離れたものだと思っていた。けれど、坂本先生と大橋さんによる南湖の家の全面の棚が頭のどこかにあって出て来たものだったのかも知れない。