appleへの影響も話題ですが、丁度 府中市美術館ではBRAUNの展覧会が開かれています。Akiさんのブログを見てからずっと気になっていました。
”純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代―機能主義デザイン再考”を見に行ってきました。
一つ前のエントリーではブラウンのデザインが身近なものだったなどとは申しましたが、シェーバーと時計、電卓などの小さなモノや、コーヒーメーカーあたりに限られた話です。50年代から60年代前半のオーディオ等大きなモノについて実物を知っている訳ではありませんでした。古い白黒の写真でしか見た事がありません。
簡単な幾何学的形態に事態を整理する事は,ロシアンアヴァンギャルドの中のコンポジションなどにも見られますが、勿論バウハウスの影響が大きいのだと思います。工業化を目指して作られた幾何学的形態もバウハウスではアトリエで手作りされていました。簡単な形への還元が工業化に繋がるのは戦後になって、ブラウンなどの時代になってからと言っても良いのだと思います。
初期の仕事の中には、むりやりある形にはめ込む為の無駄もある様に思われました。けれどそうした試行錯誤の中から50年代の中頃には、明るいグレイと白の傑作がいくつも登場して来ます。一度還元された簡単な形が細心の注意でレイアウトされています。質感やプロポーションにも一切の弱みが見えません。
こうしてある文法が出来てしまう事で一定のレベルが保たれたのだとも言えます。一方でタコが自分の足を食う様な自家中毒を起こして行く様にも見えました。70年代に入って艶消しの黒が大流行したあたりになると少し見飽きて来ました。
父がひげ剃りを買った時に嬉しそうだったこと、日本人にはゴツすぎるくらいの大きさと、分厚くて密実な質感をまだ覚えています。
今回初めて実物を見る事が出来た明るいグレイの製品群にも精度の高い密実なものを感じました。同じ時期の日本製のペラペラで情けない質感を良く覚えています。
(ネトウヨの皆様は韓国や中国を真似やパクリと蔑みますが,メイドインジャパンが品質とオリジナリティを保証するものになったのはそんなに昔の話しではありません。50年代60年代のニッポンプロダクトはあきれる程の貧しい品質と真似のかたまりだったのです。)
私の場合、ジャーマンプロダクツへの信頼と憧れ、中でもブラウンへの強い好意の一方で、モダンデザインと括られるナニカへの疑問があるのも事実です。
20年程前でしょうか、代官山の綺麗なお店に並んだモダンデザインの数々が急に意味の無い物に見えた事がありました。単純な幾何学形態への還元だけが問題の解決でしょうか。デザイナーなる人種の関わらない所にもっと実質的な解決を見る事もあるのじゃ無いでしょうか。
今まで見る事の無かった傑作を実物で見る事が出来ました。そうした文法がマニエリスムに堕して行く所、両方を見る事で,私の中にある愛憎の両方を確認しました。
製品実物の予想を上回る質と量、戦後のブラウンにまで至る、ジャーマンデザイン史、トーネットから始まる展示は限られた数の中で見事な選択です。こういう成果こそがキュレイターの仕事になるのだとすれば、展示の計画者に大きな拍手を送りたいと思います。府中市美術館の建物も予想外に立派なものでした。
(私は随分、愛想の無いファサードだなと思ったのですがあれは裏口だったのですね。)
appleへの影響編は大変面白く拝見しました。ところが機能主義に陥ってからはやはりドイツデザインの不味さばかりがでてますね。車も家電も集約して無理矢理押し込めていて窮屈さを感じてました。統一する趣向が前に出すぎて何か不自然とすら思います。僕がドイツ嫌いなのかしら.....
投稿情報: shin | 2009-07-14 23:13
ドイツモノの四角四面をつまらないと感じながら、一方でそうした気質に愛着も感じます。
和風と括られるモノがいくつかのフィルターを通して海外に届く場合、桂のシンプルさや、わびさびといったモノに傾きがちですが、日本人の中にはそうした洗練とは別の縄文だったり、陽明門だったり、暴走族の刺繍だったり、暁斎だったり、と言った別の何かがとぐろを巻いています。
同じ様な過剰な悪趣味がドイツの中にもあって、それにフタをする為には彼等の機能主義をおだてるのが一番の方法だとも思います。
投稿情報: kawa | 2009-07-15 12:14