会社に勤めた事が無いので、組合活動と言う物を知りません。区役所で入る国民健康保険に比べて医療保険が充実していると教えられて土建組合に入りました。今まで毎月の組合費だかを払って来ただけでした。 それぞれの区の土建組合から、毎年8月6日の広島、原水爆禁止世界大会に代表を送っているなんて事も知りませんでした。 たまたま今年は、普段私がお世話になっている人の所にお鉢が回って来たのだそうです。 枠は二人、もう一人誰か相棒が必要でした。 お盆に入る前の平日、8月の4.5.6日と休める人が見つからなかったのかも知れません。知りもしない組合活動に関わるのも面倒だし、いきなり代表なんかにされるのも気が進まなかったのですが、折角のご好意だとすれば何か言い訳をして逃げる事もしたくありません。仕事も大してしていない、ぷらぷらしているのもばれています。宿泊費から交通費、行動費まで出してもらって広島まで出かけて来ました。どんなイベントも、外からはそれぞれ主義主張を持った人の集まりに見えますが、中にはこうして紛れ込んだような不届き者もいるのかも知れません。
勿論、世界から原爆を無くすこと、日本以外のどこであっても二度とこの惨禍を繰り返すべきでない。こうした意見に異論はありません。
ただ、広島の人にはまず悲惨な事実を伝えて行く事をお願いしたい。けれど、戦争を早く終わらせる為には原爆が必要だったと考えなければ、自らに言い訳の出来ないアメリカや、日本に酷い目にあった国の人達の、いい気味だという気持ちの前で、それ以外の日本人には一方的な被害者面以外に何か別の論拠が必要だと感じていました。自らを核の傘の中に置きながらの核廃絶など説得力を持たないのは当然です。
(戦争を早く終わらせる為の原爆だった・・そんな必要は無かった事も今回知りました。やっと出来た二種類の原爆を早く比べて見たかったという事です。虫けらの様な日本人であれば良心の呵責も少ないのでしょう)
三日間、65年前もかくやという強烈な陽射しの中で目の当たりにした広島ならではの事実は強烈でした。目にした事実を意識の薄れた人達にどうかして伝えたい。私もそうした気持ちにはなりました。けれど抑止力が必要だという’現実的’な人をどうすれば説得出来るのか。いい気味だと言う世界の人をどうすれば仲間に出来るのか、良く分かりませんでした。
言う事を聞かずにへたな事をしてみろ、原爆を何倍にもして返してやるという脅しが効くのは、互いに固定した領土と殺したくない国民を持つ国同士です。限られた核クラブの中では核の数の大小がある序列をもたらしますが、インドやパキスタンの核をなし崩しに認めてしまいました。さらにイスラエルやイラン、北朝鮮といった言う事を聞かない国はいざとなれば国民を犠牲にしてでも核を持ったり射ったりしかねません。国力全体では相手にもしてもらえない小国は大国とのサッカーよりPK戦(或はロシアンルーレット)に持ち込む事で対等の交渉力を得ることが出来ます。増してアルカイダには射たれて困る領土も国民もありません.数の大小でイニシアティブを取れなくなったアメリカが削減というベクトルでこそイニシアティブを取るのは戦略の問題であって、オバマの良心だけによるものだとは言い切れないと思います。減らす方向でこそ主導権を得ることが出来て、互いに少しづつ減らしているあいだずっと数的優位が保てます。
こうした現実の前に、人間にとってこれ以上に悲惨な事の無い核を廃絶しましょうという良心以外の、何か説得力が欲しいと思いました。
今回のエントリーはデザインについてです。それぞれの環境には音響的な整理が必要じゃないかと思いました。
広島市主催の平和記念式典ですが、会場のレイアウトにはそれなりの注意を払ってデザインがされています。けれど音楽は随分不思議なものでした。黙祷の間、鐘が鳴り続けるのも煩く感じました。それぞれの声明、音楽、拡声装置、すべての音とその環境に関しても誰かがデザインをした方が良いのでは無いかなどと感じました。
式典の後、日本中から集まった各団体の代表はそれぞれが託された折鶴を抱えて、原爆の子の像へと急ぎます。もう既に一杯になった折鶴に更に自分の鶴を押し込みます。像の前ではわんさと集まった団体のそれぞれが記念写真を撮るのに夢中です。それぞれの地元への報告の為には何が何でも場所を取らなければなりません。礼儀もへったくれもありません。像の下の鐘も鳴りっ放しです。とんでもない陽射しと暑さの中で蝉が信じられない大きさで啼きます。人出を見込んで集まる人もいて、紙芝居をやったり、チェロの独奏に詩の朗読、パントマイム、気の狂いそうになる阿鼻叫喚です。
悲惨な被爆者への慰霊であればもっと静かな環境が必要に思えます。各団体の善意がそれぞれの勝手な都合に見えてしまう今の事態を誰かが整理する必要があります。
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