ここ暫くは読売新聞を読んでいます。今朝の新聞を読んで大きなズレを感じました。鎮魂の日、追悼式、私達は忘れない、こうした言葉の羅列で何かが解決するとは私には思えません。
何も悪い事はしていない、地震で家が壊れた訳でもない、だのに住む家を追われて、仕事も収入のあても失って慣れない土地に無理矢理追い立てられる。こんなデタラメがまかり通る中で、東京に暮らす東京電力の社員が住むのに困る、仕事を失うなんて聞いた事がありません。こんな無法がまかり通ったままで良いのでしょうか。農地や山の除染なんて言ってますが出来る事は限られていて未だに高い放射能がそのままになっている事。除染でどんどん増えるゴミの行き場が無い事。津波の追悼式も大事ですが、生きている人の為に責任を取らせる事が大事だと思うのは私だけでしょうか。
昨日の晩のテレビでは地底深くに埋める最終処分場計画も、安定していると思われた岩盤や岩塩の層がズレたり水を通したりで当てにならない。放射能が消えるまで、10万年の間に何度かある氷河期では氷の重さで岩盤が歪むと言っていました。
管理下にあると豪語した原発からは汚染水の流出が止められません。政府やメディアの思惑もあって日本人はあまり気にしていないみたいですが、日本の家や敷地の中が汚染されても、まぁ可哀想で済むかも知れませんが、公海や自分の敷地までが汚染されたら許さないと思う隣人は多いと思います。
原子力発電を進めるフィンランドでは、原発には最終処分場が必要で、そうした計画の無いままの発電はあり得ない。トイレの無いマンションは法律で作る事が出来ないと言ってました。
別の話ですが、腹立ち紛れにもうひとつ。安藤忠雄に’建築は出来上がった時が一番綺麗と言う事ではなく、ずっと育て続けなければならない。そうすれば使う人も愛着を持つでしょう’なんて事をぬけぬけと言わせているのも腹が立ちます。もう20年以上も前ですが、神戸に行って安藤の商業施設などを見て回りました。自分が通したい直線一本の為に、一時的な写真写りの為だけに、雨仕舞いも鉄の錆も無視した自分勝手な収まりが何年か経って、見るも無惨な状態でした。設計者の勝手がどんなに迷惑な物か心に残りました。こんな奴に自慢をさせておいて良いのでしょうか。
コメント