広瀬謙二のSH60 にびっくりしたのは高校時代に読んだ平凡パンチの記事でした。
狭い日本の枠にはとらわれない画家の人生と言った話だったと思います。一切の物を置かず、一切の服をまとわず、金髪のカツラの奥様と本人は裸のままで暮らすということでした。それが成り立つのも、見た事も無い不思議な家あっての事に思えました。
窓が無くて外は一切見えないのに、青い空の中にいきなり放り出されたような開放感。都市の中で外から閉じつつ如何に開くかという課題があるとすれば、住吉の長屋よりずっと前に解答が示されていたと思います。高校の時分からの不思議な印象が、広瀬謙二のSH60というコードで記憶し直されたのは大学に入って暫くしてからでした。
建築科に入って、初めて外からの写真を見ました。崖からカンチレバーで飛び出した所がカッコいい、崖の積み石と白い箱のコントラストが美しい、プランを見ると少し台形なのもカッコいい。(車庫だけが違ってみえます。車庫は宮脇さんだそうです)
まだ勤めていた頃、ずっと憧れていたSH60を玉井さんのお供で見る事が出来ました。スケールを計る具体的な物が写っていない室内や中庭の写真は、形而上の広さを感じますが、実際にはとても小さな家でした。鉄が錆びて、塗装やシート防水がめくれ上がっていました。一切の断熱や蓄熱の無い家はとても寒かったです。けれど積み石裏のアプローチは凄くいい感じです。ストイックな浴室も綺麗です。ご主人は亡くなって奥様がお一人でお住まいでした。貧弱な日本人は裸にしてもエロスというより、情けなさが先に立つ事が多いと思います。若かりし頃の奥様は情けなさとは無縁だった様に思われました。
こんなに憧れていたSH60ですから、上の写真を見れば出来の悪い真似は当初よりの計画と思われるかもしれません。建ぺい率はもう一杯ですから、開口の前に床を造る訳には行きません、けれどスノコであれば許されること、大きな開口の向かいに窓があって視線を遮る必要があった事、そうした成り行きがあって出来たものでした。勿論、途中からはSH60を意識していました。
家が出来るまでには色々な経緯があります.成り行きの結果は私の思惑とは違ったものになる事も多いのです。落胆する事もあります。この家にも色々な経緯があって、逆に私の思惑を超えるものになりました。小さいけれどとても具合の良い家です。冬には陽射しを夏には風を一杯に取り込めます。混み合った家並みの中で開口を目一杯明けて暮らせます。
この住宅、見学会に参加しました。空気の流れをていねいに説明していただいた記憶があります。
投稿情報: ueda | 2010-03-26 12:28
私が今のこの部屋に移った時も、以前に私が設計した家の施主は、なんだ俺の家と一緒じゃないかと言ってました。
(本当は彼の家の方がずっといい材料を使っているのですが)
それぞれの家族や敷地の問題に、それぞれの答えを考える、それぞれが違った家になるはずでした。
でも、私のやった家はどれも同じに見える様です。
投稿情報: kawa | 2010-03-26 23:20
その施主でございます。
その後隣の義兄の家も中のリフォームをお願いしました。
間取りこそ違いますが、やはりトーンは同じです。
たまに遊びに行っても落ち着きます。
これって良い事だと思いますよ。
投稿情報: 吉田 勝 | 2010-03-27 10:54
親切なお言葉有り難うございます。もっと安くて具合の良い床材が見つかれば事情も変わるかも知れません。トマトソースが消えた話しをすると珪藻土に興味を持ってくれるお客様が多い様に思います。
投稿情報: kawa | 2010-03-27 20:31