阿佐ヶ谷住宅について 玉井さんのエントリーに、書き込みっ放しにしてあったのだけれど、もう少し整理をしてエントリーしておこうと思います。
地元ですから、勿論阿佐ヶ谷住宅は昔から知っていて、今も西側の杉並高校との間の道は良く通ります。みんなでもぐり込んだ、床の上がったギャラリーの隣は、何か食品工場の様ですが、子供の頃の記憶ではアニメーションを作っていて、透明なシートの上に絵の描いてある、セルシートをもらいに来ました。
実際に住宅の中に入ってみて、やはりその時代なりの物でしかない。感心する所もあるけれど、悲しい所もあるなんて思っていました。
昨今の阿佐ヶ谷住宅に関する、ブルータス誌等の持ち上げ方に少し違和感がありました。
建物には舞い上がらなかったのですが、道の向こうの庭に誘われて、建物の間を自転車で入って行くと、次々とフスマが開いて行くように、どんどん繋がって行く庭にはこの私も少しオセンチになりました。
舗装された道は何度も通ったことがありますが、低くて塀のない建物に囲まれた不思議な場所には、気がつきませんでした。
いや子供の頃には何度も見ているはずですが、感心をしたなんて覚えがありません。
まさに無くなって往くものに対する感傷の他に、相対的に小さな個人のテリトリーと、その結果得られる桁違いに素敵な共用部分が実現している事の嬉しさがありました。
土地を不動産や資産、塀で囲って占有すべきものにしてしまった今の世の中は、瓶の中の飴を取ろうとして、欲張りすぎて飴をつかんだげんこつが、瓶の口から抜けない状況に良く似ていると前から思っていました。
ただこの寓意では、欲張らずにいれば手に入る飴が 如何に美味しいかにあたる現実を、今まで例として上げることが出来なかったのです。
コメント