米米クラブは大好きだけど、キッド・クレオールも忘れて欲しくない訳です。真似だなんて言うつもりは無いけど、何も無い所から出て来た訳でも無いんです。
ゴリゴリ、ドロドロの生ブルース。私の聴いて来たブルースって随分ソフィスティケイトされた物だったんだな。ソウルトレインより後って信じられますか。バーンサイドのCDは昔買ったけど彼の演奏だけではその世界のほんの一部しか見えて居なかった事が分かりました。画面で起きている事全てがブルースであって、演奏だけ取り上げても意味が無い。呪術師の呻き声にしか聞こえなかったのに、途中からはブギに聞こえて来た。
シュープリムスにはもっと歌の上手い娘が居たなんて、話は書けても映画にするのはねぇ。第一誰がそんな役をやるんだって話です。この人が居なければあんな映画は成り立たないと思いました。
大好きなビコ・マナが取り上げられてるのも嬉しいし、ダンサー・フンドが歌っているのを初めて見た気がします。
2023-12-24 カテゴリー: motion picture, music | 個別ページ | コメント (0)
ソーグーッ、ソーグーッ、アイガラユー。
ここ3日ぐらい頭の中からJBが離れない。
ジェームス・ブラウンが日本に来たのは、高校の1年の時だった気がする。
それまで身の回りにJBのファンなんて見たことが無かった。
自分の知らない世界がいきなり現れた気がしたけれど、自分が足を踏み入れようとは思わなかった。
2年になってクラス替えがあってから違うクラスの人とも話す機会が増えた。
一番立派なリーゼントを決めていたジョージちゃんは、話してみたら優しい良い人で、
新宿にあるお母さんのお店にはオネーサンが沢山居て、当時コーラが一杯2000円と聞いて驚いた。
週末になると、誂えた玉虫のコンポラスーツを着て赤坂に踊りに行くなんてライフスタイルも私は知らなかった。
東京と言っても郊外育ちの私とはまるで違う街の子だった。
同じリーゼントでも当時のソウルディスコファンと横浜銀蝿ファンとでは音楽の好みが違うし、
ヤンキーって言葉からアメリカって意味が失われて不良と同義語になるのには少し時間が掛かっている。
’’リーゼント’’や’’ヤンキー’’が少しずつ意味を変えて
ジャパンドメスティックな物になったのは何時頃だろう。
ソウルディスコファンの中では、リーゼントとテーパーしたズボンが、カーリーヘヤとバギーパンツに変わって、
赤坂から新宿に移ったのはそのすぐ後らしい。どれも伝聞だけれど。
短髪にスーツだったマーヴィン・ゲイやウィルソン・ピケットが髭を生やしたりカーリーヘヤになったのと少しタイムラグがあるかな。
当時、私自身はサム・クックやレイ・チャールズは大好きでも、JBとアレサが解らなかった。
その後ジェームス・カーやオーティス・クレイなどのサザン・ソウル方面に傾いた。
ディスコに行こうとは思わなかった。
アレサの良さに気付いたのは、大学を出た81年、映画ブルース・ブラザースでの食堂の女将さん役だった。
JBは80年代も後半になって、立川の野外コンサートを見てからだ。
広い公園の芝生に食べ物飲み物も持ち込んでの大きなコンサートだった。
他にも色々な出演者がいた筈なのにJBしか覚えていない。
良く訓練された大きなバックバンドだけで何曲かやって司会者が口上を述べると御大の登場となる。
一連の流れで成り立つ総合芸術だから、一曲だけをラジオやレコードで取り上げても意味がない。
やっと意味が判った。
JBの曲を日本人が歌っているのを何度か見たけれど、まるで曲にならない。
旋律がなくて、抑揚と勢いと張ったりで成り立っている様な音楽だから、難しいんだと思う。
で、ハマケンです。CMで見かけてこの人誰だろうと思った事はあった。
ミュージシャンだなんて知らなかった。
聞いてみたら、上手い!もう大拍手。
その後、他のムジカ・ピッコリーノを沢山見たら、ボーカルだけじゃ無い。
トロンボーンにベースにギターなんでも弾けるみたい。すっかり大感心。
在日ファンクってバンドらしい、探して見ようかな。
パール・ベイリーっていつもあの調子なんですね。顔は分からなくても声と動きですぐに判りました。ナット・キング・コールは勿論、キャブ・キャロウェイにエラにマヘリア、凄い顔ぶれです。今までにも何度か観ている筈ですが、いかにもって話に思えて、心には届きませんでした。今日は何故か素直に入って来ました。キャブ・キャロウェイは立派に演技をしていますが、彼は歌っていた方が魅力的ですね。サム・クックやマーヴィン・ゲイが圧倒的なハンサムなのに比べてナット・キング・コールを美男子とまでは感じません。私自身に付いて言えば、ハンサムでも無い人間が良い格好をしても仕方が無いなんて思っていました。きちんと7:3に分けて、きちんとスーツを着た彼を観て、正しいなぁと思いました。不細工ほど周りの人の為にキチンとした格好をするべきなんだと何故か思いました。馬子にも衣装でなく馬子にこそ衣装なんですね。私自身が明日からキチンとすることはないと思いますけど。
2021-05-08 カテゴリー: motion picture, music | 個別ページ | コメント (0)
4月から5月ごろ家で良く聴いていました。もう半年程聴いていなかったのですが、2020年、コロナウィルスの年に何を聴いていたのか、記録しておきたいと思います。日本のフジロックにも来たみたいだから既にご存知の方も多いでしょう。最初、変なの見つけたとは思いました。好きとまで思わなかったのですが、YouTubeのリコメンドに出て来るなりに見ていたら、ハマってしまいました。これを見た後は普通のアメリカンポップスって退屈で馬鹿に見えたりするんです。中毒性が有ります。
どう見たって音の中核はギターで、ベースを彼女に教えたのもギタリストらしいのですがバンドリーダーはお姉さんだそうです。本人たちはタイファンクに影響を受けたテキサスのファンクサイケデリックグループだと言ってます。タイファンクってどんなのだかご存知でしょうか。私も知らないので迂闊な事は言えませんが、どうもこれは周りの人間を煙に巻く為の方便という気がします。どういうバックグラウンドなのかは分かりませんが、私達日本人には昔の日本の歌謡曲のエレキに似て聴こえます。お姉さんのヘアスタイルの所為も有りますが、音もタランティーノっぽい気がします。クルアンビンってタイ語で飛ぶエンジンつまり飛行機の事だそうです。
何曲かあるのですが、どれも同じです。色々なライヴの動画が有りますがどれも同じです。けれど全部見ないといけません。なぜならお姉さんのコスチュームが毎回違うからです。ここ大事です。
チャック・ベリーが大好きで沢山の人に見て欲しいとは思っていました。じゃ何を聴けば良いのか、何を見れば良いのか、これを示すのが難しいとも思っていました。遡って歴史を学ぶ為にプリザベーションホールで見るのではなく、その音楽がリアルタイムで人々に影響を与えていたシーンが見たかった。アメリカで実際に彼のコンサートに来る人たちでないのは残念ですが、これは良い機会だと思いました。
2020-12-18 カテゴリー: motion picture, music | 個別ページ | コメント (0)
これは凄いです。色が付いた事も素晴らしいけど、画面のクオリティが桁違いに良くなっています。今まで画面に雨が降る様な白黒しか見た事が有りませんでした。
2020-07-09 カテゴリー: motion picture, music | 個別ページ | コメント (0)
上原ひろみとデレク・トラックスを見る度に思っていました。そんなに上手くて君は何がやりたいの?と。
音楽でも物造りでも創造には そこに何か主題というか モチーフと言うか、伝えるべき何かがあるべきだ との考えに縛られていた様に思います。どんなに上手くても伝えるべき何かを持っていない事が弱点に思えたのです。撤回したいと思います。伝えるべき主題を考えて、作曲をして、名前を決めて、レコードにする。これはある音楽の楽しさに届く為、検索の為のタグでしか有りません。今まではこうして名札を付ける事でしか検索が出来なかった。けれどデジタルアーカイブとビッグデータの時代であれば別の方法で求める音楽に届く事だって出来るのでは無いでしょうか。そもそも名前のついた曲だけが音楽だった訳では有りません。黒人教会やコンサートで繰り返されるコール&レスポンスやリフレインは作曲されたものでは有りません。レコードを作ろうとした途端に排除されるこうした部分にこそ音楽の本質がある。作曲されるのも音楽ですが他のプレイヤーとの掛け合いや聴衆を含めた会場のグルーブで生まれる音楽もある。
又。回りくどい言い方になって仕舞いました。今まで聴いた中で上原ひろみが一番楽しそうに見えました。
このシリーズは毎回素敵ではありますが、オリジナルを凌駕するのは難しい所も有ります。
The Doobie Brothersの The Captain and Meは大好きです。
China GroveやLong Train Runnin'が好きでも
Listen to the Musicの能天気な歌詞が胸に響く事は有りませんでした。
トム・ジョンストンはともかくパット・シモンズも出て来て、オッと思いました。
シタールも良かった。歌詞も素直に胸に届きました。
これは何でしょうね。たまたま今日の気分の所為かな。
明るい話題の見つからない今日この頃ですが、嬉しい驚きです。ボニーの娘だそうです。パチパチ。
遥かに違う所に来てしまったJazzとBluesだけど、これならJazzファンにも見てもらえるのでしょうか。チャーリークリスチャンとは背中合わせの所にいるんだなんて言ってもJazzファンは納得しないのかな。他のメンバーの豪華な事。Jazz全てを代表しかねない顔ぶれです。Jazz畑で言うブルースフィーリングってのは、日本の歌謡曲で言うブルースと同じ位、Bluesって言う音楽とは別の物だと思います。JazzファンにBluesをわかってもらう事は有り得ない様に思っていました。これを見てもしかしたらと思いました。
暮れに いかすバンド天国30周年ってのを見せて貰いました。おじさん達のファンクバンドもありました。とても感心するバンドがありました。でも幾つかよりはこっちの女の子達の方が上手いかも、上手いって言っちゃうと違うな、こっちの方が”分かり易い”かな。
上手い下手よりファンクってナーニって事が大事だと私は思います。(いか天はファンクである事が目的じゃ無いしね)
人によって意味が違うけど、ファンクってこう言う事でしょと私は 思います。J・Bやロウエル・フルソンがファンクって言われても後一歩分かっていないところが有ります。
上手い下手が大事な人におまけも付けちゃう。
ジャズって何だと問われて、答えられる身分じゃありません。そもそもジャズファンでもありません。けれどコルトレーンやドルフィーこそがジャズだなんて言われると、ちょっと待って欲しいと思っていました。ローリングトゥウェンティーズ:ジャズエイジと言われた20年代から40年代まで、何より広く大衆の娯楽だったのだと思います。もっと寛容で猥雑で楽しい物だったんじゃ無いでしょうか。良い動画を見つけました。これもジャズです。タイトルにも在る様にジャイブ寄りかも知れません。でもそれも含めてジャズなんです。
ファッツウォーラーの手前にいる大足男の伊達な事。大きな帽子と絞られた裾、あと一歩でズートスーツですけどギリギリ踏み留まっているところが恰好良い。お姉さん達も綺麗です。リナホーンだけが綺麗な訳でも無かったのですね。最後のハープも面白いなぁ。綺麗な音だけじゃ気が済まない。クイっとひねりを入れてスゥィングしちゃう。ここらがジャズの本質じゃないでしょうか。こういう楽しさを捨てて、しかめ面する事だけををジャズとする事に反対です。
コルトレーンの深刻や抽象画のようなドルフィーを否定するものではありません。でも、それだけじゃないでしょと思います。
御存知でしょうか。暫く前からYouTubeで竹内マリアが騒ぎになっている事を。何年か前に由紀さおりのカバーがアメリカのジャズチャートで1位になるなんて事もありました。今、彼女(竹内)の曲のコメントは半分以上が英語その他外国語で埋められています。彼等曰く、ある日YouTubeのお勧めに知らない曲が出てきて、写真の女の子がキュートだから聞いてみた。なんだこりゃ、80年代の曲だと気が付いて、次々に彼女の曲を追いかけて行く内にすっかりハマっちゃうって話みたいです。
私もって訳じゃ有りませんが、ネットの力には驚いて居ます。(正直に言えば最初のレモンライム・・・とセプテンバーが好きでした。ソングライターたる彼女は人に歌わされていた古い曲を持ち出されるのは迷惑でしょうけど。)
で書き込まれたコメントに曰く、これはシティポップってジャンルだとか、ジャパニーズファンクだって言うんです。時代が時代だからEW&Fに似た所もあルし、ベースがブンブンは言うんだけどこれをファンクって言うのかなぁ?
ファンクだなんて期待してると、セプテンバーなんて題名まで出て来るからてっきりEW&Fのカバーかと思ったら違ってたなんて言ってます。ベースがブンブンでは無い曲も見つけて、声がカレン・カーペンターみたいだなんて事も言ってます。
昔から歌謡曲にはそれぞれの時代のソウルミュージックが多く取り込まれて居ました。それを都合のいい部分的な真似と決めて、歌謡曲だとの枠を外さなかったのは私の都合でした。何度も聴くうちファンクと言われれば「確かに」とそんな気がしてきました。
呆れる程何度も聴いたオールマンのフィルモアやクラプトンのレイラと同じ様に繰り返し聴いた訳ではありません。だのに今になって新しいCDを繰り返し聴いています。
暫く前にテデスキ・トラックスバンドのライブを聴いて当代随一と感心しながら、どこかに違うと感じる物が有りました。ついオールマン・ブラザース・バンドと比べてしまうのです。何かが違うと感じるのに思い当たるバンドがもうひとつ、デラニー&ボニーです。テデスキのボーカルにボニーを思い起こす所があった所為かも知れません(そりゃボニーは白人初のアイケッツ、凄いです。今までテデスキをジャニスやボニーと比べようとは思っていませんでした。けれどテデスキは随分上手くなりました)。本来テデスキ・トラックスは他と比べる必要の無い良いバンドです。彼らに昔のバンドの何かを期待する方が間違えています。テデスキ・トラックスのリズムセクションはホーンセクションと同じくべらぼうに上手いです。音が厚くて正確です。超技巧と言って良いかも知れません。南部のうねりみたいな物は感じますが、複雑すぎて明瞭とは言えない所が有ります。(それはあえて狙った音作りでしょう)どちらが上手いかって問題じゃないんです。
デラニー&ボニーのリズムは厚くて正確なのに角が丸くて溜めが有ります。これがレイドバックって奴でしょうか。そしてなお明瞭です。こもった音で聞き分けるのが難しかったCDが新しい音源になって少し判りやすくなりました。
この土台にそのままエリックとデュアンのギターを載せるとレイラが出来上がる訳です。母親の胎内で聴いた心音は忘れてしまいましたが、レイラで聴いたリズムセクションとキーボードが私の中にこびりついていて、テデスキ・トラックスとつい比べてしまうのかも知れません。
クラプトンはブラインドフェイスのアメリカトゥアーの前座としてデラニー&ボニーを呼んだのですが、南部の音に惹かれて、自分のバンドを辞めて彼らのバンドに加わります。そうした時期のイギリストゥアーがこのレコードだそうです。その後、クラプトンがバンドのベース・ドラム・キーボードを丸ごと引っこ抜いて作ったのがデレク&ドミノスです。レコードジャケットの写真からアメリカ録音だとばかり思っていました。イギリスでアメリカ南部の薫りを売りにする為のジャケットだったのですね。知りませんでした。アメリカの景色の中にロールスロイスを置いたこのレコードには、アメリカのバンドがイギリスに来たトゥアーなのですから、イギリスの景色の中にアメ車を置く手もあったはずです。アメ車の案は月並みで絵とすればこのレコードに部があると思いますが解りにくい気もします。
元のレコードの音が厚いのは良いのですが楽器の分離に難があって良い録音と言い兼ねました。最近買った4枚組CDはリマスターで少しだけ音が良いみたいです。再生する機械も高校の頃よりはマシなはずです。聴く機会が増えたのは良くなった音の所為もあると思います。
バンド(勿論ザ・バンドの事ですが普段ザを付けない事が多い気がします)のラストワルツ(コンサートは76年末、映画の公開は1978)やホテルカリフォルニアで、一つの時代の終わりが明らかになっていた頃だと思います。フュージョンだのAORだの言いだす人も既にいたと思います。でもジャコもローウェル・ジョージもジェシ・ウィンチェスターもまだ生きていて元気だったんですね。ウェザーリポートのジャコは今の目で見ても格好がいいです。ジェシが兵役忌避でカナダに逃げたのが67年。アメリカでの演奏活動が出来なくて沢山の歌手にソングライティングを提供した後、ジミー・カーターの恩赦で演奏出来るようになったのが77年、帰って来たばかりの映像だそうです。高校では工藤君が大好きだったニール・ヤングですが、私自身がファンだった訳ではありません。でも高校の頃通っていたロック喫茶’キーボード’ではいつも'ハーベスト’が掛かっていました。大好きなリトルフィートの中でも特別に好きな’Dixie Chicken’ですが、エミルー・ハリスとボニー・レイットのコーラスが付いたこれを聞いてから、オリジナルバージョンのバックコーラスが荒くて、聴くのに抵抗を感じる様になりました。二人の声が聞こえる訳でも無いのですが、この動画はCDのオリジナルより綺麗に聞こえます。当時私はエミルーの事を知りませんでした。好きになったのは何年か後、日本のCMで彼女のテネシーワルツを聞いてからでした。この動画でも完璧な美人って訳じゃ無いし、肩を揺らしているだけですが白いブラウスが素敵です。当時のCM動画を探しました。
日本ではリー・リトナーのキャプテンカリブが流行っていて、今更ロックだなんて言いだすのは野暮に聞こえました。浪人をして時代から置いてけぼりを食った様に感じながら大学に入った年でした。
0:14 Intro
0:24 Queen of the Silver Dollar - Emmylou Harris
4:45 Dixie Chicken - Little Feat
8:18 Runaway - Bonnie Raitt
12:40 Rhumba Man - Jesse Winchester
16:06 Like a Hurricane - Neil Young
25:25 Old Folks Boogie - Little Feat
29:22 I Can’t stand Up Alone - Jesse, Bonnie, Emmylou
32:38 Birdland - Weather Report
38:04 Home - Bonnie Raitt
41:51 Nothing But a Breeze - Jesse & Emmylou
46:22 Rocket in My Pocket - Little Feat
50:24 My Songbird - Emmylou Harris
53:43 Sugar Mama - Bonnie Raitt
57:45 Rhumba Mama Teen Town - Weather Report
1:02:17 Rock and Roll Doctor - Little Feat
今は死んでしまった人としてジャコを上げましたが、ウェザーリポートを古いJAZZとは別の新しい物。寧ろリー・リトナーと時代を同じくする物との考えも有ると思います。
2017-04-08 カテゴリー: motion picture, music | 個別ページ | コメント (0)
今朝の新聞にはロックンロールの父と書いてありました。BBCでも
Chuck Berry, the guitarist and songwriter recognised as one of the fathers of rock 'n' roll, has died aged 90.
と書いてありました。そしてジョンレノンが如何に尊敬をしていたかについて述べてあります。
幾つかの点でカチンと来ました。それではビートルズやビーチボーイズ、ローリングストーンズが認めなければ価値は無いのか、彼らの尊敬は何があってもたらされたのか、それを語らず皆の知っている名前と尊敬という言葉を挙げる事では説明になっていないのでは無いか。第一、父という事はビートルズとチャック・ベリーのどちらをロックンロールとして認めているのか。チャック・ベリーを差し置いてビートルズこそをロックンロールとした事にならないか。
キング オブ ロックンロールは誰かと言う問いに対して幾つかの答えがある事は知っています。私に言わせれば、何を言っているのか チャック・ベリーに決まっているだろうと思います。リトル・リチャードやボ・ディドリーを挙げる特定のファンがいる事は認めます。けれどエルビスやビートルズだなんて言い出す人間が信じられません。
ロックンロールって言葉の周りには、野球って言葉と同じ様にあまりおつむの良く無い空気があって時々うんざりします。来日時のコンサートでも御大登場の前に、連れてきたバックバンドだけで何曲かをやったのですが、これが日本の高校生より下手糞で閉口しました。客のリーゼントお兄ちゃんたちが糞バンドで大喜びするのにはもっと迷惑しました。遅れて出てきた彼はバックバンドに一切頓着せず、一晩の仕事を終わらせる事に集中していました。
チャック・ベリーはお金に猜疑心が強くマネージメントを誰かに任せる事が出来無いのだそうです。(ミュージックビジネスの中で黒人の置かれた位置には同情すべき点も多かったのだそうです)その結果大きな企画や自前のバンドの用意が出来ません。(音楽への猜疑心が強いあまり自前のバンドの整備に熱心だったジェームス・ブラウンとは対照的です)呼ばれると小さな街の地元でバックバンドをかき集めてワンナイトスタンドのコンサートを繰り返して来ました。
そうした状況が心配で、きちんとした場所でしっかりしたバンドをバックに、万全の状況を作った上でチャック・ベリーにやらせたいとキース・リチャーズは考えていました。そのコンサートまでの様子を描いた映画がヘイルヘイル!ロックンロールです。機会があったら見て欲しい映画です。
彼をロックンロール前夜とする事には異議がありますが(彼自身がロックンロールであって白人のロックをロックンロール後夜とすべきでしょう)、ロックンロールに至る過程を彼が内包しているのも事実です。彼はシカゴのブルースレーベルCHESSの出身ですし、ロックンロールはブルースやブギをアップテンポにしたもの、ジャンプミュージックとはもう背中合わせだと言えます。’メイベリン’の中で女性の不実をなじっているのもブルースに近いと思います。朝起きたら彼女がいないとか、明るくなってから帰って来たけど一晩どこに居たんだとか、振られた男が女の不実をなじる歌詞はブルースの定番です。It Can't Be Trueだとそんなはずは無いとの意味ですが、Maybellene! Why Can't Be Trueと言う歌詞でTrueには真実の他に正直という使い方もあるんだと知りました。Honestを使うのとどう違うかは判りません。
手前両側がヴァイオリンで中央がチェロ、左奥がコントラバスで、中央奥が金管・木管、テインパニはその左。変わった並べ方だなと思ってテレビの6番田園を見始めたら止まらなくなっちゃった。好きなオーケストラや指揮者のコンサートが見たくても、ベートーベンの運命と書いてあったら、別の演目の日を探したと思います。CDでも第五を聞くのには少し決心が必要です。大袈裟と言うか面倒くさいと言うか鬱陶しいと言うか、今更ジャジャジャジャーンなんて聞きたいと思うのはかなり珍しい精神状態の時だけでしょう。正直に言えば敬遠気味でした。
大編成のオーケストラに依る 勿体を付けた演奏より、古楽器や小編成による演奏はここ暫く 一つの傾向だとは思いますが、こんな’運命’を聞いたのは初めてです。最後のジャーンを重く伸ばしたりしません。早くて軽くて良く弾みます。有名なテーマ以外の部分も素敵に聞こえました。
大嫌いだったショスタコービッチがチョン・ミュンフンのお陰で、音色の違いやコントラストを抽象画と同じように楽しめた時以来の驚きです。
明けましておめでとうございます。
取るに足らない私事で恐縮ではございますが、スピーカーをESLにしてから、この手のタフなビートのソースから距離があった気がします。正月のテレビでルー・リードやヴェルベットアンダーグラウンドの番組を見ました。この世には私に全く理解の出来ない音楽があって、私とは全く違う物をロックに求める人達が多くいる事を再確認出来ました。私は自分の好きな音楽をもう一度確認する必要があると思いました。
2日の大学選手権準決勝をご覧になった方がいらっしゃるでしょうか、東海大学と同志社はあまりに力の差があって可哀想でした。同志社が花園の高校生チームに見えました。強い帝京の所為で もっと詰まらない試合になるかとも思えた第二試合は天理の頑張りで稀に見る好試合になりました。天理にはフォワードとバックスに夫々核となる留学生がいた所為も有りますが、それ以外のプレイヤーにも光る所が有りました。ディフェンスラインの真ん中をぶっちぎられたり、スクラムを押されたりは帝京にとって初めての経験では無いでしょうか。最後には地力に勝る帝京が力を見せましたが、内容はどちらにも見るべき物の多い好試合でした。それでも数字を残す所が帝京の強さですが、強さゆえの詰まらないプレイが今年は有りませんでした。天理は本当に良いラグビーをしました。
いつも手前勝手な備忘録で済みません。今年も宜しくお願いします。
自らを建築家と名乗る事にてらいと逡巡があります。お客さんの中には建築家の先生扱いをしてくれた方もいらっしゃいましたが、普通は設計屋さんと呼ばれます。それを不当と思う気持ちはありません。
しばらく前に「若き建築家のひそやかな恋とコンペの闘い」を描いた小説が幾つかの書評で褒められていたのは読みました。若き’建築家’のお話に我が身を擬える気持ちはありません、ただ身近な世界でもあって、こそばゆい気もします。畑違いの人が描く建築家像は大抵妄想ばかりで的外れ、近寄るのも恥ずかしい事があります。逆に的外れでないのは自分勝手で迷惑な人種と書かれる場合です。そんな訳で評判の小説を手に取る事はありませんでした。
たまたまアーノンクールについてのお話が聞きたくて、出かけた会の話し手が件の作家兼編集者でした。アーノンクールからツバイク、ボネガット、須賀敦子までのお話を聞いて興味が湧きました。会場で件の小説を手に入れました。
映画やテレビでも建築家を取り上げて何らかのドラマをでっち上げる為、恋やコンペを持ち出してくるのを見た事があります。けれど建築設計やその過程そのものがドラマのモチーフになるのを見た事がありませんでした。現実の設計において生じる葛藤はテレビドラマと無縁でそうした題材にはならないと思っていました。無理やりドラマを作れば根拠のない恥ずかしいものしか出来ないとも思っていました。
クライアントの口から突拍子もない注文が出てくる時。全体の計画と矛盾したり、予算オーバーになってしまうなんて話はドラマで出てくる可能性もあるでしょう。でもこの本の中に出て来る対処や信条には設計からはよその人が書いたとは思えないリアリティがありました。
物造りや設計が人を驚かせてナンボの見世物に成りかねない事、そうした事に含羞や危機感を持つ人もいる事。
「理不尽なものに押し切られる事もあるだろう。相手のある仕事だからね。ただただ最後に押し切られるにしても、自分の考えは、言葉を尽くして伝えるべきなんだよ。そうでないと自分の考える建築がどこにもなかった事になってしまう。」
畑違いの人にこんな事を言われるとは思ってもいませんでした。
「建築にはこれ見よがしでどこか意表をつこうとするところがある。けれど先生の設計は含羞なんだよ。」
これ見よがしな世界には意外かも知れませんが、建築の世界には’先生’のモデルと思しき吉村順三の信奉者も多くて、これまで何十年か、私も仕事の中で吉村順三に関する話をあちこちで聞いて来ました。狭い建築の世界では暗黙知とされている項目が幾つもあります。畑違いの人が良くもまぁこれだけ集めたなと思いました。作家自身の創作に依る所もあるのでしょうが、日本における建築の世界で吉村順三がどう言う存在か、よその世界の人に知ってもらう良い機会だとも思います。
「なんとなくクリスタル」って本が好意的に取り上げられる事は少ないと思いますが、ここでは悪意を含みません。音楽や食べ物にについては村上春樹もよく取り上げます。テディ・ペンダーグラス、マーラーやグランパルティータと言う選曲が状況の説明にもなっているのでしょう。80年代初頭 もう一つの「なんクリ」と読めない事もありません。ルノー・5(サンク)にボルボ240、シトロエンDS、プジョーの305(309.306.505は覚えているけど305は見た事がなかったなぁ)、マイケル・フランクスにAOR、麻里子のデッキシューズに雪子はメインハンティングシューズ、リンにクォードにタンノイ。ただヴィンセント ブラックシャドウを普段使いするのはちょっと大変なはずです。1泊か2泊、軽井沢までのツーリングなら無理は有りません。けれど’夏の家’でひと夏のメンテナンスが可能でしょうか。記号としても強すぎる、別の意味を持たせてしまう気がします。もし若い所員がスポーツカー好きとの設定であれば、ヒーレーやトライアンフ、エランでしょう。安いのを探してポルシェもあり得るでしょうか。そこでガルウィングの300SLじゃまるで意味が違っちゃう。主人公の先輩を説明するのに、古い英国製オートバイであれば、私はベロセット辺りが適当と思いました。持ち主の環境が桁違いとの設定であれば良いのかも知れません。
私は1981年にある美大の建築科を卒業しました。就職先を捜す折、卒業生名簿の中に吉村事務所に勤めている人を見つけて電話をした事がありました。独立後シェアしていた事務所で机を並べて仕事をしていた3年先輩の女性にサンクを勧めた事も思い出しました。(恋愛には関係の無い話でしたけど)私自身がサンクに乗るようになったのはずっと後、シュペールサンクが中古になってからでした。
恋模様については私の守備範囲外ですが、建築の話には大変感心しました。先生の言う美校と’ぼく’の美大の使い分けも正確です。逆に私の知らない世界も何重もの下調べの上に出来ているのでしょう。暑い夏の間、事務所ごとの避暑をするレーモンド事務所の昔話は聞いた事があります。けれどそれは、戦前の話でしょう。クーラーの行き渡った80年代にどこかの事務所で続いて居たのでしょうか。でも取り上げたい美風とする気持ちは良く分かります。浮世離れした別世界に飛んで行くのに又とない仕組みでもあります。世知辛いこの世との行ったり来たりが生まれるのも好都合でしょう。学校を出て80年代から現在までの時代の流れを過ごして来て思い当たる事も沢山ありました。建築など興味の無い方にも、どこかで思い当たる事があるかも知れません。
とっても良く出来ているけど、全てが受け身で何が言いたいのかが分からない。何にもしないのに周りの人が大事にしてくれる。この本だか主人公の事だかわかりませんが、薪を丁寧に積む事と昔の先生に似ている事だけだと納得が行かない人もいるかも知れません。けれど、世の中には色々な物を大事に思う人が居て、こうした小さな物で決まっていく事ってあるんだよと思います。自分以外の大人の勝手な都合と思惑で事が進むのは良くある事です。けれど一人の若者を姪の相手にとまで見込むのにはもう少し時間が掛かる気もします。
前の時代への憧憬と、自らの立つ所 価値観への自信と読んでしまうと、(自慢と書くと悪意ととられてしまいます)文句を言い出す人がいても不思議はありません。
皆が知っている、日本にも馴染みが深い、日本人の情緒に訴える所の大きいライトと、タリアセン、不倫が小説と言うお料理の為に必要だったのは良く分かります。ライト-レーモンド-吉村との軸があるとすれば(私はあまり無い気がします)一つ飛ばしただけかも知れません。けれど、日本には希な合理とある種の無名性を吉村順三に感じる私はライトと不倫をネタにする事に馴染まない物を感じました。けれどこれは個人的な問題で人様に同意を求める物でありません。何より、どこにも吉村とは書いていない、多くの人に読んでもらう為のフィクションなのですから。そうしたズレを含めてとっても感心しました。お勧めします。
2016-12-05 カテゴリー: automobile, books, motorcycle, music, 建築 | 個別ページ | コメント (0)
私にとって彼女は何よりEric Clapton '461 Ocean Boulevard'(1974)のバックヴォーカルとしての印象が強いと思います。日本ツァーの武道館公演にも同行していたはずです。世間では映画Saturday Night Feverの挿入歌、"If I Can't Have You"(1978)全米1位 が彼女の看板なんだと思います。もう一つがロックミュージカル 'ジーザス クライスト スーパースター’でのマグダラのマリア役です。’ジーザス・・・’は何度か部分的に見た事があるのですが、生来のミュージカル嫌いの所為で全部を見通す事が出来ませんでした。
昔から彼女の声が好きではありましたが、何十年も経った今になって特別な物に思えてきました。You Tubeでロックミュージカルって奴を覗いてみたのですが、私にはミュージカルって奴がどうにも肌に合いません。その中で彼女の独唱部分だけが圧倒的に素晴らしいと思いました。人の声をスピーカーの音に擬えれば、そもそも黒人は振動板やボイスコイルの出来が日本人とは違います。けれど貧弱な日本人の喉も良いホーンを付ければマシになると思っていました。口も鼻の穴も大きく開けて歌えば良くなる筈です。口を大きく開ける事もせず、口先で歌うから蚊の泣く様な声しか出ないのじゃないかと思っていました。その点で彼女の鼻と口はとても形の良いホーンに見えます。(彼女は日系人のお母さんとアイルランド系アメリカ人の間に生まれたハワイアンです)他の日本人では、ドリカムの吉田美和の大きな口が良いホーンに見えます。済みません、こんな馬鹿な事を言ってるのは私だけかも知れません。
PS.マリア・マルダーの’真夜中のオアシス’を取り上げる人が未だにいます。声の質で言えば、私はイヴォンヌ押しで行きたいと思いました。
エラとサラが並んで歌うだけでもとんでもないと思います。でももう一つ、二人にちっとも負けていない、真ん中のオバサンは誰だ?と思いました。ご存知でしたか、私は一年前まで、まるで知りませんでした。映画ではバーブラ・ストライザンドで有名ですが、本来のミュージカルでハロー ドーリーと言ったらこの人みたいです。私が今までイメージしていたミュージカル歌手とは随分違います。(こっちが本物だとすれば私のミュージカル嫌いは返上です。)ここ1年程、YouTubeでベイリーを探してみましたが、一番のお気に入りは前にも上げたダイナ・ショアとの掛け合いです。
それとブルースブラザースの中のアレサ・フランクリン、この二つが大好きです。YouTubeがあって本当に良かった。パール・ベイリーやアレサ・フランクリンをミュージカルとするなら、あんなに嫌っていたミュージカル、俺は好きかも知れない。
2016-07-18 カテゴリー: motion picture, music | 個別ページ | コメント (0)
一つ前のエントリーですが、こちらが勝手な事を言っても、聴いていなけりゃ分からないで終わる所でした。今はこちらで聴いてもらえるんですねぇ。
ダウンロードとDSDへの変換に時間が掛かって先程やっと聞けました。07はエルモア・ジェームスでしょう。デレクはオールマンブザースバンドでもこの曲をやっています。08はデレクアンドドミノスから、12はテレビ番組の決め台詞とも言われますがここではボビー・ブランドのカバーでしょう。18もビートルズというよりジョー・コッカーバージョンだと思います。08と18がお薦めです。いやこれが良い音でびっくりしました。ギターとボーカルばかりが立っていて、後ろの厚いバックが聞こえません。音のバランスが違うなとは思いますが、その場にいなかった人には分からないでしょうし、むしろこれくらいのバランスの方が聴きやすいと言えるかも知れません。
昔もブートレグのライブ録音はありました。でも音が悪くて、こんなのレコードが出ても買わないよって代物が大部分でした。客席からの個人的な録音では良い音なんか望めなかったし、折角の録音を個人では広くディストリビュートするのも無理でした。こんなに音が良くなっちゃって、タダでこんなにばら撒かれちゃうとなぁ、どうなんだろうか。
高性能なデジタル録音とインターネットの世の中ではお目こぼしの範囲を簡単に超えてしまいます。沢山の人に聴いてはもらいたいけど、ちょっと違う気もするなぁ。良いのかなぁ。
Tedeschi Trucks Band Live at Budokan on 2016-04-01
Published April 1, 2016 (check for other copies)
01. Opening
02. Made Up Mind
03. Bound for Glory
04. Don't Know What It Means
05. Midnight in Harlem
06. Crying Over You
07. The Sky Is Crying
08. Keep On Growing
09. Anyhow
10. Idle Wind
11. Sticks and Stones
12. I Pity the Fool
13. Let Me Get By
14. Jam >
15. The Storm
Encore
16. I love Japan
17. I Want More
18. With a Little Help From My Friends
Collection TedeschiTrucksBand
Band/Artist Tedeschi Trucks Band
Venue Budokan
Location Tokyo, Japan
Source 3rd row right in front of left PA > AKG C568EB > Oade Concert Mod Marantz PMD-661(16bit / 44.1kHz)
Lineage USB > PC > Sound Engine Free > flac(level8)
Taped by oira
Transferred by oira
Notes
Member :
DEREK TRUCKS(G)
SUSAN TEDESCHI(G & Vo)
KOFI BURBRIDGE(Key & Fl)
TYLER GREENWELL(Dr & Per)
J.J. JOHNSON(Dr & Per)
TIM LEFEBVRE(B)
MIKE MATTISON(Harmony Vo)
MARK RIVERS(Harmony Vo)
KEBBI WILLIAMS(Sax)
ELIZABETH LEA(Tb)
EPHRAIM OWENS(Tp)
ALECIA CHAKOUR(Harmony Vo)
07をクラプトンバージョンと思ったのは私の勘違いでした。訂正しました。
デレク・トラックスを最初に見たのは日比谷のブルース・フェスだったと思います。まだデレクトラックスバンドでした。客が喜べばオールマンナンバーもやるけれど、俺はデュアンのコピーギタリストじゃないとでも思っていたのでしょうか、オリジナルの曲やインプロビゼーションを長々と聴かされました。上手いのは良く分かりましたが、聴かされる方に嬉しいものではありませんでした。次に聴いたのは渋谷の公会堂で、結婚したスーザン・テデスキとのテデスキ・トラックス バンドになった後でした。とにかくバンドの全員が恐ろしく上手いのは良く分かりました。バンドの方向性がテデスキに任されたのでしょうか、その分デレクが楽になっている気がしました。
今度の来日は武道館です。花見客に重なって九段下から武道館までの歩道が身動きならないほどの混雑でした。武道館をいっぱいにする人気バンドになったのでしょうか。誰が来るのでしょう。白髪やハゲも混じるご同輩が多いかな、若い人も混ざっています。オールマン以来のファンと若いギターファンと2種類の客層に見えました。
バンドのまとまりが良くなりました。ホーンセクション3人の上手い事、楽器の音を重ねて厚い音を作るためでしょう、サックスとペット、トロンボーンが一部のズレもなく重なっていて、輪郭のにじみがありません。あまりに揃っていて楽器一つの音が聞こえません。サックスやトロンボーンソロの音を聴いてこんなに良い音がしていたのかと驚きます。そもそもトロンボーンってあんなに一音一音区切って正確に音が出せるものでしょうか。
テデスキのボーカルが桁違いに良くなりました。二人のボニー(ブラムレットとレイット)に負けません。緩めた時の余裕でまだ及ばない所がありますが、シャウトした時にはジャニスに迫るなどと言ったら褒めすぎでしょうか。
私も知っているカバー曲はどれも素晴らしかったのですが、オリジナルの曲は感心しません。そんなに上手くて君は何をやりたいのって辺りが弱点です。何年か前の上原ひろみにも同じ事を感じました。ダイアナ・クラールがカバーばかりだからダメだとか、小沢は交響曲を書かないからダメだなんて話は聞いたことがありません。上手い人が別人の書いた曲をやるのが悪い事には思えません。
デレクの様にギターばかり上手くなったり、テデスキの様にバークリーに行ってお勉強なんかしちゃうとヒット曲の様なゲスなものは書けなくなっちゃうのでしょうか。プレイヤーとして上手い事とソングライティングは別の事でしょうか。クラール、テデスキ、上原が揃って行ったバークリーは演奏の学校であってヒット曲作りの学校じゃないって事でしょうか。ここ百年世界をリードして来たアメリカのヒットソングって学校のお勉強で出来たものじゃない気がします。みんなが学校に行ったりするのはアメリカ音楽の危機ではないでしょうか。
オールマンが如何に名曲揃いかなんて思いました。
酷いことも言いましたが、折角のお勉強やテクを生かして今まで見た事もない音楽でギャフンと言わせて欲しいと思っています。一時期のウェザーリポートみたいなヒットを飛ばしてくれたら嬉しいなぁ。
HQPlayerでようやくDSDファイルをDSDファイルとして鳴らせる様になりました。(今まではDSD ファイルをPCMに読み替えて鳴らしていました)Fileの中からDSDIFF/DSFsettingsというダイアログを開いて、DirectSDMのチェックを外して、メインスクリーンのTrackとTimeの下に並んだ4マスの右端、PCM / SDM(DSD)の中からSDM(DSD)を選ぶ・・・とこれをDACに送るファイル形式を変える度にやっています。めんどくさいなぁ。
けれど、逆に言うとPCM音源をAudioGateで一々変換しなくても勝手にDSDに変換してくれるので、PCMファイルもDSDも全てDSDとして鳴らす事が出来ます。AudioGateで変換している時間を考えればむしろ楽になったのでしょう。ノイズフィルターやオーバーサンプリングにも色々選択肢ががあるのですがどう違うのかまだ良く解りません。
DSDファイルの音質について述べたり、推薦したりもして来ました。けれど、ハイレゾ、CD、mp3の差はあっても、大部分はPCM音源をaudiogateで変換したものでした。本来からのDSD音源はあまり聞いていません。HDtracksで配信されたサムクックのNight Beatは初めてのネイティブDSD音源です。05-I Lost Everythingのでだし、ギターは今まで聞いたことの無い生々しさです。ベースとの差も良く分かります。でもどうなんでしょう、他がどうも綺麗過ぎる。アクが抜けすぎて黒人の声のタフさが伝わって来ません。DSDに関して設定をおさらいしてみようと思います。
なんて思っていたら、ESLのウォーミングアップ不足だった様です。ちゃんとブリブリして来ました。PCMがどちらかと言えば硬くてエッジの立った音(細くは感じません)だとすれば、DSDはもう少し角の丸い自然な音だとは皆さんの共通する意見に思えます。どちらが良いかは一概に言えません。音源や再生する環境によってどちらが良いかは変わります。
元からのDSDは確かに良い音ですが、DSDファイルの良さはPCMを変換したファイルでも十分に感じる事が出来ます。特にmp3からDSDファイルに変換して改善される音の差は明らかです。元からのDSDファイルとは比べようもありませんが、得られる変化というか恩恵は大きいものです。PCMからの自家製DSD音源にも意味がある事が確認出来ました。良かった。
オールマンブラザースバンドのレコードはどれも音が悪い。分厚い音と言えば褒め言葉にも聞こえてしまうけれど、幾つか重なった楽器が互いの音の輪郭を消してしまっている。どうなっているのか判らないなと思いながら聴いていた。昭和女子大の人見記念講堂だったと思うけれど、生で聴いて初めてどんな音がしているのかが解った。一度生で聴いてからはレコードの音から幾つかの楽器の重なり方が解るようになった。レコードを聴くたびに脳内イコライザーで変換しながら聴いていた気がする。HDtracksのハイレゾリマスター版のIdlewild-Southを聴いて驚いた。脳内イコライザーが要らなくなった。それぞれの楽器とその重なり方が判る。お勧めです。良い音で聴いて見て、分厚くて悪い音にも長年の愛着が湧いてきた。変な話ですね。
HQplayerはまだDSDで鳴らすことが出来ていません。 AudirvanaではHDtracksでダウンロードしたハイレゾソースもそのままPCMファイルで鳴らすより、DSDファイルに変換してDSD再生したほうが自然な音でした。HQplayerではそのままPCMファイルで鳴らすほうがDSDにファイル変換するよりいい音みたいです。HQplayerは設定がまるで出来ていません。
日経アカデミア特別企画 ハイレゾ音楽塾に行ってきました。1部では41.1/16のCD規格とハイレゾの差、192/24とDSDの差がよく判りました。特にハイレゾPCMとDSDの差は我が家で感じるものと同じで安心しました。
可聴帯域以外の高い音が重要だ、その為に広帯域再生が必要だとは散々聞かされましたが、若い人でも20Khz、私達の耳には15Khzまでしか聞こえないとすれば、可聴帯域以外は何の役に立つのか説明を聞いた事が有りませんでした。2部で、真為の程は不明ですが初めて説明を聞く事が出来ました。
視覚聴覚の神経伝達は即時ですが、脳幹内部での快感や報酬の伝達には何十秒かの時間が掛かるのだそうです。今までは厳格な音の比較をしようとすれば何秒かの短い時間での切り替え比較こそが科学的だと信じられて来ましたが、こうした比較では脳幹内の快感や報酬の差を測る事が出来なかったのだそうです。
可聴帯域以外の高音はこうした快感、報酬に繋がるのだそうです。人間の耳には15Khzまでしか判断が出来ない.余裕を見ても22KHZまであれば充分と言うのがCD規格を決めた根拠です。これは短時間での切り替え比較という実験故の結論だった訳です。
耳に聞こえないとすれば高音はどこから脳幹にまで届くのか。耳ではない体の表面、皮膚で高音を受け取っているのだそうです。実験でも確かめられているそうです。(ヘッドフォンの高域を延ばしても無駄という事になってしまいます。)
音が溢れている様に感じる都会ですが、音の周波数の範囲は狭くて限られているのだそうです。森林やジャングルにはもっと沢山の音、特に私達の耳には聞こえない高音が多いのだそうです。尺八やチェンバロは目的とする音階の他に沢山の倍音やそれ以外の雑音を含んでいるのに比べて、近代的なピアノには雑音や倍音が少ないのだそうです。
耳以外の皮膚から取り込まれて脳幹の中で快感となる信号は20khzから30khzというより、更に高い30khzから50khzでうまれるのだそうです。近代的な音楽程、そうした音が含まれていない。それが多く含まれるのがガムランだそうです。古いオーディオファンなら芸能山城組を思い出すかもしれません。私はあまり興味が有りませんでしたが覚えてはいます。お話をしてくれた先生は山城組にも関係していたそうです。正しいかどうかは分かりませんが、初めて筋道のついた説明を聞けて感心しました。あなたはどこまで信じますか?
長谷川さんに教えてもらった、DEQXのセミナーでは幾つか感じる所が有りました。周波数の補正も低域で10dbも20dbもの補正は止めた方が良いという話が有りました。ESLの補正で思い当たる所があります。もう一つはウーハーとホーンのクロスオーバーポイントです。350Hz,450Hz,500Hzの三つを試してくれました。一般的な15インチウーハーとホーンは500Hzクロスかもっと上でのクロスが多いと思います。500HzクロスではJBLやAltecと同じホーンらしい音がSONYのスピーカーからしました。350Hzに下げた途端に私がホーンの音だと思っていた騒がしさが消えました。ホーンにより多くの帯域を任せた方が滑らかな音がするんですね。一番敏感な人の声の帯域にクロスを持って来るのはマズイとも考えられます。上に逃げる手も有りますが我が家のウーハーは500hzより上が出ません。
私一人の勘違いの可能性も高いのですが、今は繋いでいない我が家のマルチアンプシステムでも試して見たくなりました。ただ、今のホーンからは500Hz以下がほとんど出ていません。もっと大きなカットオフ周波数の低いホーンが必要です。
オイロダインのウーハーと2インチドライバーのクロスオーバーポイントを下げてみたい(大きなホーンを捜してからですが)。アメリカの音楽をそれに向いたスピーカーで鳴らしたい。ESLを一時お休みしたいとも思うのですが、何もしないのにESLの音がどんどん良くなって行きます.昨日の音との差は判りませんが3週間前の音とは明らかに違います。どこまで変わるのか見届けるまで今の組み合わせを換えたくありません。
3月に聴かせてもらった鎌田さんのJensenTriplexは、ササクレやトゲが無い、角(カド)まで滑らかな音でした。昔ステレオサウンドの中で長島さんが鋭い音しか出さないG610に手を焼いた話をしていました。随分違う印象でした。昔we124でJBLの4343を鳴らしているのを聴きました。全ての角が丸まっていると思いました。(4343の低音は弾まないし)これは否定的な評価です。鎌田さんの全てが滑らかな音は褒め言葉です。あんなに持っていたブルースのレコードも全て処分して、今は全てがCD音源です。けれどCDの硬くて薄っぺらな音がしません。随分驚きました。ひょっとするとQUADのCDプレイヤーの所為でしょうか。メロウなドゥワップを聴くのには最適かも知れません。アルテックとは違いますが、アメリカの音がしていました。
私の所では、PC内のAudirvana(デジタル音楽再生ソフト)に含まれるイコライザーも一度は外して見たものの、ESLで聴くイギリスの音はアメリカの音楽にはどうにも合わない気がします。周波数特性をいじる事でESLからアメリカの音が聴けないかと、又イコライザーをいじってますが、簡単な物で無さそうです。当たり前ですけどね。
JazzからR%B、ヒップホップ、ダンスまで、全てのアメリカ黒人音楽ファンに見て欲しい映画です。ミスターボージャングル ジャンプソウハイってこういう事かとか、黒人のダンス文化ってヒップホップで昨日生まれたものじゃないんだとか、其々の興味の範囲で必ず発見があると思います。普通の映画館に掛かる事は少ないかも知れません。上で見られるのはほんの一部ですが、リナ・ホーンは綺麗だし、指揮してるのはキャブ・キャロウェイじゃないかな、キッド・クレオールのスーツはこれかとか、見所は満載だと思います。下のも見て欲しいと思います。お時間のある方は一番下も見て下さい。
2015-06-13 カテゴリー: clothing, motion picture, music | 個別ページ | コメント (0)
子供の頃、初めてかつカレーを知って、この世にこんなゴージャスなものがあるのかと思いました。これは更にエビの天ぷらとおまけにうなぎも載せちゃったって感じかな。
ペギー・リーにサラ・ボーン、ロバータ・フラックにアレサ・フランクリンだって、スゲー。
必ずしもぶつかったりもしてないし、お互いがべらぼうに上手いのも良く分かります。でも、私はうなぎはうな重だけで食べる方が好きかな。
下の二つはダイナ・ショア ショーって番組らしいです。他にもマヘリア・ジャクソンなど、どれも二人で歌う事の楽しさが良く分かります。パール・ベイリー(パチパチパチ大拍手!)ってこの人も知りませんでした。
違う物の掛け合わせが楽しいって事で言えば、このくらいが良い気がします。
ロンドンを舞台にした映画の中で貴族に取り入る手段として、オペラが取り上げられていました。ウディアレンの映画だったと思います。アメリカ人の目を通しての評価をどこまで真に受けて良い物か難しい所もあります。けれどロックコンサートに行くよりずっと御ハイソな記号として扱われていました。日本でも梨園などと称して歌舞伎を有り難がる雰囲気が有ります。やる方も見る方にも鼻にかける所がある気がします。林真理子辺りはそこいらに敏感です。
私にはオペラ、京劇と歌舞伎はとても似た物に見えます。
それまでの王侯貴族や教会、寺社に頼る事で生きて行けなくなった河原乞食が相手を替えたのが始まりです。市民社会と言うよりは大衆社会の成立が大きな要因です。この辺りの社会的な構造と大衆に受ける為なら何でもありの下世話さが3つに共通する仕組みに思えます。ウンコが大好きモーツアルトとバッハの違いと言ったら怒られるでしょうか。お下品モーツァルトこそが洗練の極みに達した事でオペラや歌舞伎に対する悪意と取られる事に言い訳が出来るでしょうか。
そんなに高尚な物かなぁ。お高く止まって本来の下世話さを無くしてしまったら自らの存在理由を失う事にならないでしょうか。オペラが本当に好きな人ってこうした楽しさを知ってる人なんじゃないかなぁ。お高く見せる為にオペラを見る人って本来のオペラの楽しさと別な所を見てるんじゃないかなぁ。
お上品を気取るのは筋違いと思いますが、ある種の洗練を積み重ねて来た事も事実です。浅草オペラ辺りと同じ扱いは不当でしょう。
2015-03-09 カテゴリー: motion picture, music | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
Ike Quebecを聴いていたらギターが気になります。誰かなと思いました。Robert Jr, Lockwoodに似た所もある気がします。(Robert Jr, Lockwoodはブルース畑では珍しくJazzよりのフレーズを弾く人です。Jazz畑の人にはせせら笑われるかもしれません。)
昔だったらLPジャケットのパーソネルを確かめればすぐに判る事ですが、ダウンロードした音源ではそうも行きません。でもネットで調べればすぐに判ります。Grant Greenでした。Grant Greenは昔から好きなギタリストです。道理で気になったはずです。勿論、Grant GreenがRobert Jr, Lockwoodに似ているというよりは、Robert Jr, LockwoodがJazzの影響を受けているというべきでしょう。ここはJazz畑のギターに譲っておきましょう。
逆にGrant GreenはJazz畑ではブルースフィーリング溢れたギターという事になっています。けれどそれはJazz畑でいうブルースフィーリングであって、ブルース畑で言うブルースギターとは別のものです。
電化した ジャズギターと電化したブルースギターの始祖、チャーリークリスチャンとTボーンウォーカーはお互いに親交もあって近い所もあった様ですが、それからはまるで違う道を進んで行きます。
好きなジャズギタリストもいますが数える程(嫌いなギタリストもいます)、こんな事を言うと怒られるとは思いますが、Jazz畑の中でギターは少し人材不足かなと。男性ボーカルもチェットベイカーやシナトラは上手いというより一種の味でこなしている様に感じます。ラッパとピアノ、女性ボーカルの層の厚さに比べてギターと男性ボーカルは手薄かな。
2014-12-30 カテゴリー: music | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
BBC newsによれば、ジョー・コッカーが死んだみたいです。With A Little Help From My FriendsとMad Dogs & Englishmen が好きでした。BBCはビートルズのカバーについて述べていますが、私はデイブ・メイスンやトラフィックの名曲 'Feelin' alright' のカバーが大のお気に入りでした。
それから随分して私が勤めていた頃には、映画の主題歌でも大当たりしました。それも随分な昔の話ですね。
2014-12-24 カテゴリー: music | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
同じくブルースブラザースでレイ・チャールズ。前言を翻す様で恐縮ですが、これを見てると、俺はミュージカル大好きだったのかしらとも思います。
2014-11-22 カテゴリー: motion picture, music | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
実を言えば、高校の頃から凄いとは思ってはいたけれど、本当の良さが分かっていませんでした。あんまり、がなられると少し苦手だなとも思っていました。アレサ・フランクリンが本当に大好きになったのは大学を卒業した頃見た映画ブルースブラザースの御蔭です。初めてアレサって人間が見えた気がしました。
もう一つ正直に言えばミュージカルって奴が苦手です。特に日本人がカツラをかぶって片仮名の名前や台詞を歌ったりすると、恥ずかしくて逃げ出したくなります。これは見ていてもミュージカルの恥ずかしさがありません。もしこれをミュージカルと呼べるのならミュージカルが苦手との発言を撤回します。
このシーンは、今は音楽を止めてかみさんとソウルフードのレストランをやっているマットマーフィーをブルースブラザースの二人がバンドに引き抜こうと誘いに来たシーンです。ろくでもない仲間に引っ張られる夫に良く考えなさいよとかみさん(アレサ)が怒る所です。
人様に取ってはどうでも良い事だとは思いますが、私はこのシーンが大好きで今でも見る度に嬉しくなってしまいます。
2014-11-03 カテゴリー: motion picture, music | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
吉田君に薦められたのはブルースギターを弾く女の子レイ。今までにもギターの上手い女の子は居たけれど、女の子にしたらって条件付きだったと思います。画像無しで音だけ聞いても充分感心しちゃいます。それとこの人勝浦のギタリスト。 どちらも少し私の好みとは違いますが、感心しています。YOUTUBEがあると今までとはまるで違う所から音楽を知る事が出来て凄いなぁ。 /iframe> ジョニーウィンターの歌に目をつぶればギターは凄いと思います。ジョンリーはあと一歩かな。Boom Boom Boomの場合はギターの上手い下手とは別の問題だとおもいますけどね。
2014-11-03 カテゴリー: music | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ホグウッドが亡くなりました。同じ曲が演奏者によって、親しめたりなじまなかったりする事があって、何を聴けば良いのか良く判りませんでした。最初に御贔屓の指揮者が出来る事で色々な曲を試す手掛かりになりました。一度生で聴いてみたいと思ったまま思いを果たす機会を失いました。残念です。
2014-09-26 カテゴリー: music | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
アメリカでの黒人の境遇に我が身をなぞらえたアイルランドの映画が’ザ コミットメンツ'だとすれば、オーストラリアでも同じ様に虐げられて、公民権運動に思いを寄せる人達がいました。同じ様な境遇にあったアボリジニ版ドリームガールズと言う事だと思います。これでほとんどの内容は言い尽くしてしまいました。二番煎じで本物ドリームガールズに映画の出来では及びません。でもね真似をしたって上手く行くとは限りません。これは上手く出来てると思います。音楽がだめなら意味がありませんが、音楽は十分にソウルミュージックの素晴らしさを伝えてくれます。音楽の好きな人ならマルだと思います。私は好きです。
チェスの映画キャデラックレコードより映画の出来はましだと思います。
PS 黒と白、二項の対立と捉えて黒人とされていますが、人種を大きくネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドの三種に分ければ、アジアの大陸からマレー半島、ニューギニアを通ってオーストラリアまで到達したアボリジニは私達と同じモンゴロイドに含まれると思います。フィジーやニューギニアの人達に似た所が有る気がします。オーストラリア大陸に進んだアボリジニとは別にニュージーランドや太平洋の島々に広がって行ったのがサモアやマオリのポリネシア系だと思います。
白と黒、或は白と黒と黄色との分け方が人種差別の根拠だったりする訳ですが、黒人とひとくくりにされる中には大きく分けて7つか8つ程の種類が有ってDNA鑑定による相互の距離は、有る種の黒人と白人、黄色人種との距離よりずっと大きいのだそうです。黒人の中に何種類かの大きく違う人がいて、白も黄色もその一つの中に含まれるとしたら、世の中のレイシストは根拠を失う様な気がします。
どこかからの聞きかじりですから、どこまで本当だか分かりません。
アメリカでは肌の色も薄くて、言われないと日本人には黒人と分からない人達がいます。混血で白人の血が混じった人達が白人扱いされる事は無く、あくまで黒人扱いなのだそうです。彼らは白人に近く見えるけれど黒人であって、黒人の中ではより黒い人が本物の黒人だと言った考えもあって、複雑な立場に置かれているのだそうです。
似た立場にあった白いアボリジニを、白人の側に取り込もうと、国が人さらいまでしていたとは知りませんでした。白豪主義には広い大地に少ない人数と言った危機意識と、世界の果てで誰も見ていないとの慢心があってやることが極端になったのかも知れません。
2014-07-27 カテゴリー: motion picture, music | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
レイコップという商品が売れているそうです。布団を叩いて掻き出したダニをUV(紫外線)で殺して埃と一緒に吸い出すというふれこみの様です。こうした宣伝を見ると明日にでもこの機械を買わないと、埃とダニだらけの布団の中で自分が死んでしまいそうです。簡単に洗濯の出来る衣類やリネン類に比べてザブザブ洗う事も出来ない布団がこのままで良いのか、誰もが感じていた不安かも知れません。
今日見た雑誌にこの機械の紫外線でダニは死なないし、布団を叩く力も弱く、吸い込む力も普通の掃除機より弱い。効き目があるとは思えないとの実験結果が出ていました。
耳の聞こえない作曲家という話も暫く前にありました。実際に作曲が出来るかやダニが死ぬかは大した問題ではない。こんな話が成り立てば美談だな。喜ぶ人も多いだろう。人がこう有って欲しいと願う、つまり需要のある所に商売は成り立つという事でしょう。
ある一神教では良い知らせという言葉に特別の意味があるようです。福音、エバンゲリオン、ゴスペル(GOD+SPEL)GOOD NEWS、たびたび出て来るし色々な意味も有るのだとは思いますが、詰まる所、もうすぐこの世がすべて崩壊する。悪は滅ぼされて、神を信じる物だけが永遠の命を与えられる。神の王国は楽園だと言う事じゃないかと思います。
来るぞ来るぞ、今、神を信じれば間に合うし、救われる。そうでない物は全て滅びる。
このままダニと埃だらけの布団に寝ていて良いのか、これさえ買えばダニは死ぬ。
ダニが死ぬ所も神様も見た人はいません。似た仕組みに思えます。
これでダニが死ぬと信じる事もGOOD NEWSですが、こんな機械はインチキだとの記事の方が私にはGOOD NEWSでした。
雑誌の試験がどれほど正確かも判らない所です。この記事一つで明日から売れなくなる訳でもありません。簡単に白黒はっきりする訳でもありません。買った人は半信半疑、効果を信じる人だっているかもしれません。確かな事は儲かったひとが確実にいることです。
見た事も無い事を言いふらしたりすれば、どこかに報いが来そうな物ですが、必ずしも破局には至らない様です。世界中に神様を信じる人も絶えません。
2014-07-22 カテゴリー: goods, music | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
吉田君からの知らせによれば、ジョニー・ウィンターが死んだ。
この4月に見たばかりなのに。
あの演奏にうなり声、首からオルガンをぶら下げて弾きまくる弟エドガー、アルビノってめちゃくちゃにパワフルなのかと高校の頃には思った。4月に見た時もその前に見た時も、支えられて出て来て椅子に座って弾いていた。細くなった二の腕のタトゥーが寂しい。生物学的にもアルビノって弱かったりするのかなんて全く逆の印象もあったけど、ギターはがんがん弾いていたし、年取ったんだなとは思ったけどすぐ死ぬ様にも思えなかった。68年69年あたりに伝説だけ残して早死にした人達に比べれば随分長い事付き合ってもらえたと考えるべきだろう。ドアーズやジミ・ヘンドリクス、ジャニスをじかに見る事など叶わない。何度か見る事が出来ただけでも有り難い事だった。何度も日本に来てくれて有り難う。ご冥福を祈ります。
2014-07-18 カテゴリー: music | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)