上原ひろみとデレク・トラックスを見る度に思っていました。そんなに上手くて君は何がやりたいの?と。
音楽でも物造りでも創造には そこに何か主題というか モチーフと言うか、伝えるべき何かがあるべきだ との考えに縛られていた様に思います。どんなに上手くても伝えるべき何かを持っていない事が弱点に思えたのです。撤回したいと思います。伝えるべき主題を考えて、作曲をして、名前を決めて、レコードにする。これはある音楽の楽しさに届く為、検索の為のタグでしか有りません。今まではこうして名札を付ける事でしか検索が出来なかった。けれどデジタルアーカイブとビッグデータの時代であれば別の方法で求める音楽に届く事だって出来るのでは無いでしょうか。そもそも名前のついた曲だけが音楽だった訳では有りません。黒人教会やコンサートで繰り返されるコール&レスポンスやリフレインは作曲されたものでは有りません。レコードを作ろうとした途端に排除されるこうした部分にこそ音楽の本質がある。作曲されるのも音楽ですが他のプレイヤーとの掛け合いや聴衆を含めた会場のグルーブで生まれる音楽もある。
又。回りくどい言い方になって仕舞いました。今まで聴いた中で上原ひろみが一番楽しそうに見えました。
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