アメリカでの黒人の境遇に我が身をなぞらえたアイルランドの映画が’ザ コミットメンツ'だとすれば、オーストラリアでも同じ様に虐げられて、公民権運動に思いを寄せる人達がいました。同じ様な境遇にあったアボリジニ版ドリームガールズと言う事だと思います。これでほとんどの内容は言い尽くしてしまいました。二番煎じで本物ドリームガールズに映画の出来では及びません。でもね真似をしたって上手く行くとは限りません。これは上手く出来てると思います。音楽がだめなら意味がありませんが、音楽は十分にソウルミュージックの素晴らしさを伝えてくれます。音楽の好きな人ならマルだと思います。私は好きです。
チェスの映画キャデラックレコードより映画の出来はましだと思います。
PS 黒と白、二項の対立と捉えて黒人とされていますが、人種を大きくネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドの三種に分ければ、アジアの大陸からマレー半島、ニューギニアを通ってオーストラリアまで到達したアボリジニは私達と同じモンゴロイドに含まれると思います。フィジーやニューギニアの人達に似た所が有る気がします。オーストラリア大陸に進んだアボリジニとは別にニュージーランドや太平洋の島々に広がって行ったのがサモアやマオリのポリネシア系だと思います。
白と黒、或は白と黒と黄色との分け方が人種差別の根拠だったりする訳ですが、黒人とひとくくりにされる中には大きく分けて7つか8つ程の種類が有ってDNA鑑定による相互の距離は、有る種の黒人と白人、黄色人種との距離よりずっと大きいのだそうです。黒人の中に何種類かの大きく違う人がいて、白も黄色もその一つの中に含まれるとしたら、世の中のレイシストは根拠を失う様な気がします。
どこかからの聞きかじりですから、どこまで本当だか分かりません。
アメリカでは肌の色も薄くて、言われないと日本人には黒人と分からない人達がいます。混血で白人の血が混じった人達が白人扱いされる事は無く、あくまで黒人扱いなのだそうです。彼らは白人に近く見えるけれど黒人であって、黒人の中ではより黒い人が本物の黒人だと言った考えもあって、複雑な立場に置かれているのだそうです。
似た立場にあった白いアボリジニを、白人の側に取り込もうと、国が人さらいまでしていたとは知りませんでした。白豪主義には広い大地に少ない人数と言った危機意識と、世界の果てで誰も見ていないとの慢心があってやることが極端になったのかも知れません。