あくまで、個人的な備忘録だと、何度か申し上げているとは思います。今回も他所様にとって何の意味も無いお話です、飛ばして頂ければと思います。
正直に言えば、小学校の時分にビートルズやストーンズは知っていましたが、友人のお兄さんやお姉さんの問題であって、我が事として受け止めてはいませんでした。テレビのバットマンやモンキーズの方が大問題でした。叔父のサニークーペのラジオで掛かっていたビーチボーイズが気になってはいましたが、レコードを買ったりする事は小学生の私に思いもつかない事でした。中学に入ってラジオのヒットチャートを気にする様になって、C.C.Rなんてバンドの名前を幾つか覚える事はあっても、’移民の歌’には「何だこれは」と驚くばかり、我が身に係わる事態とは思いませんでした。高校に入るまでロックを我が事として捉える事は無かったのだと思います。あくまでヒットチャートに並ぶ曲の一つでしかありませんでした。高校に入っても友人達の会話の中の「HighwayStar」が聞き取れずに「ハイウェスタンって何」と聞き直したりしていました。
高校1年の秋にはあちこちの学園祭でサンシャイン オブ ユアラブやスモークオンザウォーターを聴きました。吉祥寺や高円寺のロック喫茶やブルース喫茶を覗く様にもなりました。高校2年の秋に、近所の高千穂商科大学にキャロルが来ると言うので見に行きました。ロックと言えば長髪全盛の当時、リーゼントはロックとは縁遠い人達のトレードマークでしたから、長髪のロック好きの中には見下す雰囲気がありました。実物を見て確かめたいと思ったのを覚えています。結局、キャロルは来ませんでした。薄汚い輩ばかりの中に一人、びっくりする程綺麗な人がいたので帰らなかったのですが、歌いだしたら これ又びっくりする程の悪声で下手くそでした。(リリィがヒットを出すのは暫く後の事です)彼女と下田逸朗とか言うのを聴いて、日本のフォークって奴に心底、愛想がつきました。帰ろうかと思っていたら、最後に出て来た南正人で会場全体が大乗りになりました。今にして思えば南正人の音楽をブルースとして良いのかは疑問の残る所ですが、あぁやっぱりブルースって奴が自分の求める音楽の肝なんだなんて思ってしまいました。思い過ごしも恋の内、勘違いがきっかけになる事も多いでしょう。(南正人バンド、ギターのけんちゃんはその後、久保田麻琴バンドに行きました)
高校の帰り、中野南口のレコード屋で最初に買ったブルースのレコードはマディのロンドンセッションでした。ロリーギャラガーやウィンウッドと言った知ってる名前がきっかけだったと思います。シカゴのバンドスタイルから南部のカントリーブルース、戦前のシティブルース、ジャンプからザディコまで、更にデュアン オールマンやボズ スキャグスを追いかける内にアレサ フランクリンやウィルソン ピケットへ、高校の3年生の頃には
マッスルショールズの録音があぁだこうだなんて抜かす様になっていました。高校の頃、日一日の音楽体験は随分濃い物だった気がします。たった3年の変化が大きかったのに比べて、あれから何十年、ほとんど聴く音楽は変わっていません。
グランドブタペストホテルを見るのに、普段だったら足の向かないロードショウに出かけた御蔭で、見逃せない映画の予告編をチェック出来ました。前売り券も買いました。とっても楽しみです。
http://muscleshoals-movie.com/
有名なボノやストーンズの名前を出す事が、成る可く多くの人の注意を喚起するのに有効な事はわかります。でも、ボノやストーンズは出来上がった噂に後から乗ったに過ぎません。噂を作った人達の話が聞きたいと思う方が普通じゃないかな。
http://www.muscleshoalsthemovie.com
河さん
マッスルショールズが映画になるなんてビックリです!
久しぶりに映画館に行こうと思いました!
有り難うございます。
投稿情報: 吉田 | 2014-07-08 16:27
吉田様
レイチャールズにモータウン、チェスだけでも充分に驚きですが、マッスルショールズの映画が見られるとは思いませんでした。ただボノにしたり顔で語られてもなぁという気はします。ジミークリフも録音してたんですかね。知りませんでした。
投稿情報: kawa | 2014-07-09 01:01