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BMW R25

R25
御前山には色々なバイクが来ていた。一日目と二日目では各々別の川崎メグロK2が来ていた。(Wシリーズの御先祖だ)。ホンダのジュノーは凝った自動変速と水平対抗エンジンを持つ手間の掛ったスクーターだった。
BMW R25はたまたま皆がツーリングに出た後、やって来たので広い芝で写真を撮れた。黒に子持ちラインも綺麗だけれど、良く見れば刷毛目も見える軍用仕様の塗装も魅力的だ。BMWの現行GSと同じ乗り物とは思えない程小さい。190センチ2Mはザラにいるドイツ人も昔は小さかったのだろうか。
昔CB750が出た時にこんなに大きいバイクに誰が乗るんだと思ったのを覚えている。そのCB750も今見ると驚く程小さい。
車もフィットやマーチはころっとしていてかわいらしいけれど昔のコロナよりずっと大きい。大きくなるばかりで良いのだろうか。

2005-05-07 カテゴリー: motorcycle | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

HONDA collection hall

茨城の御前山まで行ったのだけれど、二日目のツーリングの途中でバイクのエンジンが片肺になってしまい、宿まで帰って来た。タイミングを調整してなんとか動くようにした後、暇が出来た。
近所の茂木ツインリンクまでホンダコレクションホールを見に連れて行ってもらった。
思ったより規模は大きくなかったのだが、熱心に見て廻ると疲れてしまうだけの内容はある。
他社のものも含む市販オートバイの部屋が一番楽しかった。
けれど、一番のお宝は、赤いタンクにシルバーのカウル、50CCニ気筒から、4気筒、6気筒、ズラッと揃ったRCシリーズだろう。
宝石より貴重な工場レーサーを一遍に見られるのは世界中でここだけだ。
まったく素晴らしいのだけれど、レストアに少し不満がある。
マグネシュームの保護のため塗装が必要なことは仕方がないのかもしれないけれど、茶色の入ったグレイメタリックの塗膜が厚過ぎてボテッとしてしまい、時計より精密と言われたエンジンの魅力が半減している。
マグネシュームはともかくアルミまでサンドブラストでなく銀ペンキを厚く塗るのは如何なものか。
SL250SとSL350の塗装が地味なメタリックになってしまった。今さらナギナタでラインを入れろとは言わないが、マスキングを丁寧にすればもう少し綺麗なラインが引けるはずだ。大好きなカラーリングだっただけに残念。
ホンダコレクションホール

2005-05-06 カテゴリー: motorcycle | 個別ページ | コメント (0)

ライラックモペッドAS71

AS71今でこそ、オートバイのメーカーは4社にしぼられたけれど、戦後日本の復興期にはそれこそ雨後のタケノコのように、100を超えるメーカーがあった(一説に依れば200とも)。戦前は極少数の金持ちの道楽だったオートバイも、山のような荷物を荷台に載せられたり、リアカーを引かされたりした。町工場に毛が生えた程度の多数のメーカーがそうした需要に応えて、日本の復興に貢献した。中でも浜松からはその後の日本を代表する企業が幾つも育っている。(日本中にあった100を超えるメーカーの中で残ったバイクメーカーは4社のみ、内3社が浜松ってどういうことなんだろう。)
ライラックも戦後、浜松でおきたメーカーだ。花の名前の自動車といえばロータスを思い出すが、ライラック(丸正自動車)は創業者伊藤正の藤が名前の由来だ。
本田宗一郎のもとで働いていた伊藤は本田の後を追って独立する。彼等の創業当時の逸話は沢山残っている。ただ、彼等は町工場からの叩き上げの職人に過ぎない。単なる修理とはまるで違う、新しいモーターサイクルを作ったのは彼等の下で働いた次の世代だ。
それぞれのメーカーで、何も無い所から世界を席巻するモーターサイクルを作り上げたのは東京の大学出ではなく、皆、地元の浜松工専(現静岡大工学部)の卒業生たちだ。戦前からの織物工業で織り機を作る工業力と、それを支える教育が戦後、本田や伊藤の起業精神を助けた。浜松工専がなければ世界中を日本のオートバイが走リまわることもなかったかもしれない。
戦後、荷台の頑丈さと故障の無いことばかりを追い掛けて来た中で、父ちゃんが商売で乗る車の次に、兄ちゃんが遊びに行くバイクが売れはじめていた。ホンダCB72の発売は1960年の頃だろうか。
次は、姉ちゃんが買い物に行けるラクチンバイクだ。この画期的な発想が早すぎたのだろうか、販売経路の開発に苦労していた。そこにスクーターで大きな市場を持っていた三菱がその商品のラインナップを広げようとOEMの声を掛けて来た。ライラックは新しい工場を建ててモペッドをつくったが、大型のスクーターそのものの売れ行きが下がっていた三菱はもう二輪を売る気もなくしていた。大きな投資を回収出来ずにライラックは倒産する。

タイヤや全体の大きさ、プーリーや遠心クラッチをエンジンと一体にしたスイングアーム。その後ホンダやヤマハが出す形はこのライラックモペッドでほぼ完成している。

ライラックモペッドの発売は1961年、ロードパルやパッソルは1976年。15年早かったのかも知れない。
日本で作られた二輪の中でも綺麗だと思うのは身びいきが過ぎるだろうか。なくなってしまった会社のひいきをする人も、もういない。一人ぐらい構わないだろう。


PS写真の車は、三菱ブランドで売られたシルバーピジョン・ゲールペット。前輪の両側にフロントサスがついている。ペパーミントグリーンとアイボリーのツートーンだけれどライラック版はアイボリー一色。前輪のサスは本来片持ちで車体左側から見ると前後のディスクホイールから車体が浮いた様に見えるはずだった。(工芸ニュースの試作車やライラック版の写真を見て欲しい)しゃれた片持ちを、壊れそうに見える、両側にあった方が丈夫そうで売りやすいなどと,デザイナーの意図を踏みにじるような注文を付けておきながら、三菱は売る努力もしなかった。

(三菱の所為で大きな投資が回収出来なかった事は事実だが、それが無ければ売れまくったかと言われればそれもどうか。KAKの関わる前、ライラックのドル箱だったベビーライラックは、物を運んだりの実用性もセールスポイントだった。ニューベビーライラックという後継機種をKAKで手掛けたが、スタイリッシュで華奢に見えたそうだ。これが売れずに、デザインなんかにお金を掛けるからだと揶揄されたそうだ。)

工芸ニュース

ライラックをキーワードにこのエントリーにいらっしゃる方もいる様なので、ついでに一言。CF40というとスーと名前のついた車を売った様に思われがちだが、その事実は無い。そのままでは実用車然としたCF40の、ナンバープレート風サイドカバーを活かしてスポーティーなショーモデルを仕立てたのはライラック側デザイナー林さんで、SUEと入れたのは、KAK側のデザイナーがショーモデルだけに施したシャレだ。(2011 9/19加筆訂正)

CF40のタンクのグリップカバーとシリンダーのヘッドカバーフィンとの関係、リアブレーキロッドのロケット型の蝶ナット、ビクトリア・ベルグマイスターの真似と言われるランサーのエンジンもベルグマイスターと良く見比べて欲しい。随分と格好が良くなっているはずだ。LS38やR92のえぐれたタンクやナンバープレート型サイドカバーの他にも、どこの真似でもないデザインを良く見て欲しい。

2005-03-11 カテゴリー: motorcycle | 個別ページ | コメント (10) | トラックバック (0)

SR

SRオートバイは中学のころから大好きだったけれど、実際に免許をとって、中古のSRを買えるようになったのは、勤め始めてからだった。もともとオフロードバイクXT500のエンジンをロードモデルに載せたSRは、中型免許で乗れる400にするために、同じシリンダーに半径の短い重いクランクとピン上の長いピストンを入れている。500cc版も圧縮比を落とされて、どちらも本来のXTに比べて随分情けないエンジンだった。ボアはどちらも同じ87パイなので、400のピストンのまま500の軽いクランクを入れると、500になるだけでなく、圧縮比がたしか10.5ぐらいまで上がって、少し元気が良くなる。ただ圧縮比が上がるとバルブステムのシールが少し早く痛んでオイル下がりが起きやすくなる。ドイツ仕様のピストンを入れると圧縮比が少し下がって、いい具合だった。日本のバイクにしては珍しくエンジンの形が気に入っていたのだけれど、ヘッド回りの潤滑に問題があって、ロッカーアームの軸受部分がかじられてしまうと、いくらタペット調整をしても音が止まらなくなる。78年の発売以来現在まで、基本的には変わっていないエンジンだけれど、ヘッド回りの潤滑のため、オイルラインが何度か強化されている。私もヘッドとカバー一式を交換している。(安売りで買ったオイルがいけなかったのだろう,東北一周のツーリングから帰って来たら音が止まらなくなった)中古でいい部品が見つかれば良いけれど、新品で揃えると結構な負担だ。二度目に又音が出だして、手放した。82年から96年ごろまで随分長いこと乗っていた。その間、お店では他の手を入れた色々なSRに乗せてもらって、どこをいじればどうなるか少しは見当が付くような気がしていた。パワーを求めると粗くなって必ずしも良い味にはならない事もあった。ただ手放してから、400クランクのままボアアップをして470ccにしたのに乗せてもらったのだがこれは良かった。レーサーはもちろん街乗りとしても、決してパワーがある訳ではないのだが、乗り味が良くて。パワーはそこそこでも、上がもう少し回ってくれれば文句無し、ハイカムを入れればとても良いエンジンになったと思う。ショートストロークが良かったのか、400の重いめのクランクが良かったのか分からない。基本的にはこのエンジンのまま釘宮選手は筑波で1:06か1:05を出している、釘宮選手によればピークパワーを考えれば色々別の手もあるけれど、過渡特性の良さはレースでも魅力的だと言っていた。SRを手放したのが少し惜しくなった。

2004-11-19 カテゴリー: motorcycle | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

Albatross

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もう大分前の事だけれどいつごろだか思い出せない。こんなお遊びが許されたのは80年代も後半だろうか。公道で走れるのかどうかは疑問だ。
グラマンとスピットファイア模様があって、ヤマハは何台か作ってお披露目もしたのだが、製品化はされることがなかった。20万なり30万なりを出してお前は買うかと問われると辛いけれど今でも未練がある。

2004-11-19 カテゴリー: motorcycle | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)

いたずら書き

MC11中学から高校時代、オートバイが大好きでいたずら書きばかりしていた。それも高校に入って回りが実際にDAXに乗り出すと情けない気がし始めた。友人のCB750やZ2の実物を目の当たりにすると、免許ももっていない私にとって、紙の上のいたずら書きはまったく意味のない物になった。限定解除のいらない最後の世代だったけれど実際に免許を取ったのは勤め始めてからだった。
CB750はディスクブレーキだったけれど、ヤマハのTD3.TR3はまだ大径のドラムブレーキで、工場レーサーがやっと水冷化された頃、ワークスのモトクロッサーがモノクロスになるのは少し後。そんな頃だ。
motorcycles

2004-11-05 カテゴリー: motorcycle | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)

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