昨日の帰り、地下鉄の席にあった、産経新聞。普段目にする事もなかったのだが、初めてみる世界が広がっていた。
今の部屋に越してから、朝日と読売を三ヶ月毎にとっている。どちらにも’オイオイ’と思うことがあるけれど、思ったより差がなかった。
その点で産経は予想をはるかに上回る、普段目にすることの無い異説を教えてくれた。
27日付けの正論欄で東京大学名誉教授 小堀桂一郎氏は現憲法の不備として、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三点が誤りとされている。
国民主権を’人類普遍の原理どころか、近代世界の異端者的反抗思想の所産にすぎない。’。
’人権などというものも、大衆の私的強欲や怨恨の情念を正当化する危険な暴力装置’
平和主義については’自衛権の否定であり、すなわち日本は主権国家ではないとの宣言’
だとおっしゃっている。
現憲法を米国にむりやり押し付けられたものだから変えたいという話は良く聞く。
(そうした論拠に立てば米国の都合でおしつけられた自衛隊という言い方もできてしまう。またアメリカの言う事を聞く以外にビジョンを持てないひとに限ってアメリカ製の憲法をいやがるという逆説もおかしい。60年前のアメリカにしっぽを振るよりも、現在のアメリカのお役に立ちたいとの実利主義とは言えるかもしれない)
しかし、ここまで正直な御意見にはなかなかお目に掛れない。
普段、北朝鮮とは違う色々な意見を聞きうる立場にいる積もりになっていた。
私達の耳に届くものもいくつものフィルターを通したものなのだと実感した。
ナベツネがテレビに良く出ていた頃、巨人ファンは、別の感想があるのかも知れないなどと、他人事のように思っていた。
ヤクルトファンもいつの日か特別の感慨を持つ日があるかも知れない。
巨人ファンは読売を読むが、ヤクルトファンは産経を読まぬなどと言うのは、言い逃れとして実効がないか。