前から気になっていたのですが、サムライだの武士道だのと言った途端に、何故こうも根拠の無いまま、舞い上がってしまうのでしょうか。
源平から明治維新までを通して、一貫した武士道などという物があったとも思えません。
新渡戸稲造の本も、その「武士道」という名前と本の存在だけが意味を持っていて、中身に意味がある訳でもありません。(大した歴史を持たないアメリカあたりには十分なデモンストレーションだったことは評価すべきですが。)
日本から外に出て、何かしら倫理的な根拠をでっち上げる必要があったこと、彼の個人的な状況は誰が読んでも察しのつくところです。
読みもしないで、本の名前だけを有り難がる人達には、それなりの理由と状況があることぐらいはわかります。タダ、あれだけ本屋に並んでいて誰も読んでない訳でもないでしょう。同じ意見を聞かないことが不思議でした。私の他に素直に読んで素直な感想を持つ人をやっと見つけました。
ただ、勝手に理想化した武士象を意味の無い物としか考えられなかった私と違って、
実際の武士がどういうものかを検証した上で、日本人にある種の高揚をもたらすだけでなく、外国の人間にもある種の尊敬や誤解を与えうる武士に、それなりの利用価値を認めている所が私より大人ですね。
本書に寄れば、現実の武士は、働きもしないのに威張り散らし、賄賂や役得などで姑息に利益を得る事に罪悪感を持たず、暇で他にやる事もない割には勉強もしないし、いざ鎌倉という時には戦わなければならないのに、その心がけも実際的な準備もしていないのが実態だったとあります。人口の5パーセントしかいなかった訳ですから、大部分の百姓、商人、が日本を支えていたはずです。ご先祖が百姓よりお侍の方が聞こえが良い。大部分は百姓の子孫である今の日本人が他所に向かってサムライニッポンなどと胸を張る。こういった私達の精神構造が間抜けだなんて言ったら怒られるのでしょうか。
江戸時代になるまで正座はほとんど見られなかったこと。あぐらか片膝立てが多かった様です。千利休は正座をして茶をたてた訳では無いとか、国と呼ぶ事はあっても、藩と呼ぶことは無かったとか、太刀と刀の違いとか、面白い話も多かったと思います。
アフリカの部族はいまだに立て膝で飲食しますね。直ぐに獲物に反応できるようにと直ぐに逃げられるように。必要からくる習慣でしょうけど、それと同じで千利休の立て膝も茶室はやおら「危険」だったからと思ってました。
投稿情報: UMAGURUMA | 2008-08-24 21:42
立て膝の利休をご存知でしたか。私は不勉強で考えた事もありませんでした。
正に危険に備える為の立て膝だったようです。
正座はあえて危険を知りながら、相手に自分の首を差し出すと言った意味があって、江戸に入って広まったと書いてありました。
投稿情報: kawa | 2008-08-25 18:25