9/11以来のアメリカの戦いはイスラム世界をも含む世界秩序とテロとの戦いでなければならない。
イスラム社会全てを敵に回す宗教戦争にしてはならない。これを守らなければ世界中からアメリカ一人が憎まれる事になる。
アメリカだって分かってはいることだろう。けれど戦争を始めるのには国内の世論をよほど上手く導かなければならない。
アメリカの外では絶対に使ってならない、クルセーダー(十字軍)という言葉は国内の戦争気分を発揚するのにこれ以上ない効果を持っている。
まずいのは分かってはいるけれど使いたくて仕様がない。
世界の半分、イスラム全てを敵に回しても国内は一気にいい気分で戦争を始められる。
言葉一つで全て溜飲の下がる思いがする。
武士道という言葉にも似た効果がある。
日本とは何か、日本人とはどんな人間か、真面目に考えるには少し大きな問いも、和太鼓を叩いたり、サムライニッポンとおまじないを唱えた途端にいい気持ちになって、解消して仕舞う人があまりに多い。
今とはまるで異なる秩序や価値観の中での武士道を今の世の中で評価しても始まらない。そこには今とはまるで違う理由があったのだから。
そもそも11世紀から19世紀までの永きにわたって一貫した武士道などと言うものがあったのかどうかも疑わしい。
それに比べれば新渡戸稲造のいう武士道は彼のなかでどうしても必要があって出て来たものだ。
彼が日本を出て感じたことは、最後には倫理観を問われるのだ、キリスト教をもとに構築された倫理観に匹敵するものを示さない限り、日本人は野蛮人扱いをされる。多分こういう事だったのだろう。
あくまで彼の言う武士道は、日本の外に対して彼が野蛮人扱いされない為に作られた言い訳に、過ぎない。
彼をおとしめる積もりはない。むしろ最後には世界のどこにいっても、倫理観を問われるのだ、日本人もそれに答えるだけの倫理観を構築しなければならないとの考えには賛成したい。
かれが武士道を持ち出して時間稼ぎをしている間に、自らの倫理観を構築することもなく、今になって、外国に向かっての彼の必死の言い訳をまに受けている様では、彼の意思をついだことにならないのではないか。
手嶋様 倉俣様
お薦めの藤原正彦氏の「国家の品格」を読んで。9/10追記
先日地下鉄の席に置いてあった三流劇画誌を見ていたら、主人公の挑む巨悪の黒幕は親中国派代議士、更には中国の陰謀という設定でした。
加藤紘一氏宅の放火事件と合わせて暗澹たる気持ちになりました。
バカに薬を付けないと明日にでも戦争を始めそうで心配です。
本屋に行くと嫌韓流、渡辺昇一、小林ヨシノリとならんで、藤原正彦氏の本が積まれていました。
結果的には、回りに並べられた本の様に明らかな間違いというよりは、許される範囲の素敵な妄想に留まっているようでした。
上下水道、水洗便所、床暖房、パンとエンターテイメントまで保証された、ローマ市民社会から、文明からはほど遠い、不衛生野蛮の限りの中世を出現させて、
はては帝国主義、膨張主義で全世界に最大の厄災をもたらしたキリスト教とヨーロッパに対する考えは私自身の妄想とも通ずる所があるのかも知れません。
大事なことは英語をしゃべれる事じゃないとの話もにも賛成です。
実を言えば、武士道そのものに恨みがある訳ではありません。高潔を持って旨とすべきだとすれば異論を挟む余地はありません。
駐日仏大使いわくもっとも残って欲しい民族はなんて話も何度か聞いた覚えが有ります。
自らの国に誇りをもつこと、自らを甘やかすためのこうした話も他所で口にすることなく自らの胸中に置いておく限り、そんなに悪い事だと思いません。
明治に訪れた好意的な外国人による日本記、島津藩の兄弟の家庭教師エセルハワードや、古き良き日本についてのラフカディオハーン。私も時々読み返すことで心の支えになることがあります。
ただ、良い気持ちになるばかりで良いのでしょうか。
風呂好きで世界一清潔な日本人?本当でしょうか。世界から日本に来るホームステイの最大の難関は言葉や納豆ではありません。同じ湯を何人もが使うなんて不潔不衛生、信じられない蛮行だと思われています。
高潔な武士道で訓練されたはずの日本軍は兵站(物資の補給)の無計画で、そこいら中で徴収と称して略奪を繰り返しました。
ペリーが来た時にも、武士達を船上に招いて食事をした所、酒が入った途端にぐずぐずになる様にあきれています。口に合うものを何かと無心して皆胸の中にいれて持ち帰ろうすることも記録されています。
明治初期の旅行記では、日本人の手や足のほとんどが垢と疥癬、ひびわれしもやけに覆われていて触られるのもいやだったと書いてありました。
今でこそ、メイドインジャパンは高品質の印ですが、一次大戦時には戦時需要といった漁父の利があったにも関わらず、石ころ入りの缶詰の輸出等で多いに評判を落としました。
これに関して新渡戸稲造は商人は身分の低い、武士からもっとも遠い所にいるものだと逃げています。
社会の構成として武士の割合は江戸で20パーセント、他では5パーセントと書いてありました。
今の日本に商売をする人間はいても武士がいるとは思えません。
計画経済の例をいくつかあげれば、逆に見えざる手に私はまだ期待する所があります。極端にいえば小さな政府ってそういうことじゃないですか?
グローバリズムと市場の原理をやり玉に上げて不具合の説明をすべて押し付けることには抵抗があります。http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0210.html
グローバリズムとインターナショナルスタイルを一緒にして良いかどうかわかりません。
世界中に白くて同じ迷惑な箱をつくったとの批判もわかりますが、人類普遍の価値といった夢を私はまだ少し持っています。モダニズムってそういう事じゃないですか?
こんにちは。ご無沙汰しております。ご存じかもしれないけど、藤原正彦氏の「国家の品格」という本はなかなか良かったです。「武士道」を読んで思い出しました。題名がチョット?ですけど・・・
投稿情報: Ichiro-K | 2006-08-30 16:51
胸のすくような、言葉があります。
そこで考えることを止めてしまうのだとすれば用心をしたいと思います。
藤原正彦氏の「国家の品格」を別の人にも勧められました。
その響きのなかに人を気持ち良くさせるにおいがあって少し躊躇しています。
投稿情報: kawa | 2006-08-31 00:40
手嶋様、倉俣様
先日地下鉄の席に置いてあった三流劇画誌を見ていたら、主人公の挑む巨悪の黒幕は親中国派代議士、更には中国の陰謀という設定でした。
加藤紘一氏宅の放火事件と合わせて暗澹たる気持ちになりました。
バカに薬を付けないと明日にでも戦争を始めそうで心配です。
本屋に行くと嫌韓流、渡辺昇一、小林ヨシノリとならんで、藤原正彦氏の本が積まれていました。
結果的には、回りに並べられた本の様に明らかな間違いというよりは、許される範囲の素敵な妄想に留まっているようでした。
上下水道、水洗便所、床暖房、パンとエンターテイメントまで保証された、ローマ市民社会から、文明からはほど遠い、不衛生野蛮の限りの中世を出現させて、
はては帝国主義、膨張主義で全世界に最大の厄災をもたらしたキリスト教とヨーロッパに対する考えは私自身の妄想とも通ずる所があるのかも知れません。
大事なことは英語をしゃべれる事じゃないとの話もにも賛成です。
実を言えば、武士道そのものに恨みがある訳ではありません。高潔を持って旨とすべきだとすれば異論を挟む余地はありません。
駐日仏大使いわくもっとも残って欲しい民族はなんて話も何度か聞いた覚えが有ります。
自らの国に誇りをもつこと、自らを甘やかすためのこうした話も他所で口にすることなく自らの胸中に置いておく限り、そんなに悪い事だと思いません。
明治に訪れた好意的な外国人による日本記、島津藩の兄弟の家庭教師エセルハワードや、古き良き日本についてのラフカディオハーン。私も時々読み返すことで心の支えになることがあります。
ただ、良い気持ちになるばかりで良いのでしょうか。
風呂好きで世界一清潔な日本人?本当でしょうか。世界から日本に来るホームステイの最大の難関は言葉や納豆ではありません。同じ湯を何人もが使うなんて不潔不衛生、信じられない蛮行だと思われています。
高潔な武士道で訓練されたはずの日本軍は兵站(物資の補給)の無計画で、そこいら中で徴収と称して略奪を繰り返しました。
ペリーが来た時にも、武士達を船上に招いて食事をした所、酒が入った途端にぐずぐずになる様にあきれています。口に合うものを何かと無心して皆胸の中にいれて持ち帰ろうすることも記録されています。
明治初期の旅行記では、日本人の手や足のほとんどが垢と疥癬、ひびわれしもやけに覆われていて触られるのもいやだったと書いてありました。
今でこそ、メイドインジャパンは高品質の印ですが、一次大戦時には戦時需要といった漁父の利があったにも関わらず、石ころ入りの缶詰の輸出等で多いに評判を落としました。
これに関して新渡戸稲造は商人は身分の低い、武士からもっとも遠い所にいるものだと逃げています。
社会の構成として武士の割合は江戸で20パーセント、他では5パーセントと書いてありました。
今の日本に商売をする人間はいても武士がいるとは思えません。
計画経済の例をいくつかあげれば、逆に見えざる手に私はまだ期待する所があります。極端にいえば小さな政府ってそういうことじゃないですか?
グローバリズムと市場の原理をやり玉に上げて不具合の説明をすべて押し付けることには抵抗があります。http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0210.html
グローバリズムとインターナショナルスタイルを一緒にして良いかどうかわかりません。
世界中に白くて同じ迷惑な箱をつくったとの批判もわかりますが、人類普遍の価値といった夢を私はまだ少し持っています。モダニズムってそういう事じゃないですか?
投稿情報: kawa | 2006-09-10 23:36