小学生の頃、年に何度かの解放日に父親が横田まで飛行機を見に連れて行ってくれた(陸海空の三軍記念日だったと思う。)フェンスの向こうの豊かな生活に憧れたなんて話も聞くけれど、芝生は奇麗でも、かまぼこ兵舎はお世辞にも上等と思えなかった。ただそこいら中でバーベキューをしていて肉が分厚いのには驚いた。もっと驚いたのは、コーラやファンタのジュースの缶が皆350mlだったことだ。それは私達にとってまだ出始めの缶ビールの大きさだった。日本ではジュースは皆250ml缶だったか、もっと小さかったと思う。あぁアメリカは、豊かな国なんだなと思った。
1977年、大学に入った年に、初めて、ヨーロッパに行った頃も日本ではジュースはまだ250mlだった。行ってみるとヨーロッパでも缶は皆350mlだった。日本人だけがだまされていると思った。
食べ物が少なかった時のうらみばかりを、なぜこんなに覚えているのだろう。卑しいとも思うけれど、又思い出してしまった。
ネットでみつけたパルメザンチーズは450g880円、近所のスーパーでは80gで300円、やっぱりだまされているとしか思えない。
PS
内外価格差に気が付く度に、何か馬鹿にされているような屈辱感をおぼえるのは、私だけですか。CDも、映画も、本も、腹の立つ事は多いのですが、最近では、よそよりずっと高い日本のレコード会社(CD会社というべきか?)がJAZZ喫茶からやくざのような上納金を巻き上げようとしていることが許せません。
PS
気象衛星などない頃の日本は米軍の気象観測に頼っていた。当時はそのためにB29が現役だった。他にも幾つか中を見せてもらった飛行機たちも40年程経ってさすがにほとんどが退役したけれど、C-130はまだ現役だ。二次大戦前後の飛行機の発達に比べて、ここ何年かの進化は恐ろしく遅い。ジャンボはもう何年飛んでいるのだろう。
僕も高校生の時に、横田基地の参観日に行ったことがあります。河さんが行かれた時よりも、ずっと前だと思います。
あの頃、グローブマスターかギャラクシー、C-130 か忘れましたが、荷室への斜路の表面に紙ヤスリが貼ってあって....今のスコッチの滑り止めテープですが....びっくりしたことを思い出します。
昨年2004年はライト兄弟の初飛行から100年だったのですが、100年という時間は長いのか短いのか、飛行機も自動車もある意味で完成形なのかもしれないなんて考えています。
投稿情報: AKi | 2005-01-11 15:09
横田基地も八王子からはもう少し身近な存在だったのかもしれませんね。
飛行機そのものは変わらなくても、積んでいる電子機器は日進月歩なのかもしれません。
C-130も、今見ればそんな事もないのでしょうが、緩い斜路を上がって行くと中は体育館かと思う程大きく感じました。
アルミ素地仕上げの飛行機は他にもありましたが、B29だけがWAXを掛けたようにビッカビッカだったのは何故だったのでしょう。
大学になってから行ったときは車の右側通行にばかり気を取られてあまり他の事を覚えていません。
投稿情報: kawa | 2005-01-11 17:42