鎌倉の美術館までプルーベの展覧会を見に行ってきた。鶴ヶ岡八幡宮脇の美術館は大学のころ見て以来だった。あまり良い印象がなかったのだが、久し振りの美術館はなかなか良かった。前より奇麗になったかな?
建築というよりは、住宅に小さい時から興味があった。清家さんや篠原一男、広瀬鎌二、RIAの載った本は良く見ていた。父親の仕事のせいで、イームズの名前は知らなくてもイームズの色々な仕事も知っていた。工事中の木造住宅を塾の帰りに覗いたりもした。
けれど子供の夢は飛行機や自動車に傾きがちで、建築の仕事をしようとは夢にも思っていなかった。ランチアラムダのボディやマーコスの木製モノコック、鋼管スペースフレームからアルミモノコックに移りつつあったレーシングカーに対する興味と建築とはまるで無縁だった。 二つの興味が繋がるきっかけは、中学のころ熱心に読んでいたCAR GRAPHICに載ったジャン・プルーベのスケッチだった。
ここ暫くのプルーベの人気は大したもので、家具だけでなく、ブリーズソレイユや簡易住宅の実物まで見られた。日本にいたままこんな機会があるとは本当に驚いた。ただ錆びかけたアルミのパネルを見せられてもどこが面白いのかという顔の御婦人もいた。無理もない。
建築や家具のスケッチの他に、自動車や飛行機に関するスケッチがあんなにあるとは思わなかった。特に2CVが好きだったらしい。リブの入ったあのボディパネルだけでも良く似ているけれど、驚いたのはモノコックパネルや前後のトレーリングアームサスのスケッチだ。ミニや2CVには心情的なファンが今でも多いけれど、ここまで分かっている人がどれだけいるだろうか。中学の時に建築にも自動車と同じような可能性があると思わせたスケッチは建築のパネルに関するものだったけれど。一方でこんな絵も描いていたとは。
自分の勝手な思いこみもあながち的のはずれたものではなかったようでとても嬉しかった。
プルーベ一人が建築の世界で特別だったというよりは、自動車や飛行機、その他の当たり前の世界の中で建築だけが一人かやの外だったのではないか。プルーベはあの時代に建築畑でただひとり、外の世界との同時代人だったのではないか。
住む機械という話も、コルの場合は修辞の上での比喩に過ぎない。ほとんどの建築が昔ながらの材料と工法で造られている。本当に住む機械を造ったのは、プルーベとフラーぐらいじゃないか?