美大の建築に行こうと決めて、予備校に通い出した頃から、本屋に行くと薄くて大判の奇麗な本が、白くて廻る本棚に刺さっているのは分かっていた。ロンシャンや落水荘は知っていたけれど、チャンディガールやマルセイユのコルビジェを見て、まぁなんてカッコイイと思ったのを覚えている。(正直に言えばポールルドルフも男ラスィーと思った、今は何とも感じないのはなぜだろう?)その中で一冊だけどうしても腑に落ちないというか、訳が分からなかったのが母の家だった、他の見るからに立派な’建築’の中でモルタル塗りの冴えない住宅が一軒だけ混じっているのが不思議だった。それがいつだか正確には判らないけれど、学校に入った頃にはもうどうしようもなく格好良く見えて来ていた。だからなまじ建築家に頼んでしまったばかりに訳の分からぬ家を建てられてしまった人の困惑が良く分かる。私たちが勉強だかなんだか知らないけれど、学校なんぞに行ってしまうとお客様の好みとは随分違う所に行ってしまう。専門家としてお客の知らぬ事まで考えて置くことは必要だけれど、変わってしまった好みを以前の自分に押しつけるだけの理由がまだ見つかっていない。
母の家は今でも好きだけれど、もっと好きなのは、派遣看護婦協会とビーチハウスだ。