どう言う訳かある時期、身の回りに同一車種が増えることがある。ヒット車種がある時代を思い出すきっかけになる事も多い。大学の1年2年のころにはあちこちで初代アコードに良く乗せてもらった。ウェストラインが低くメーター廻りもシンプルでそれまでの日本車のデラックス指向とは明らかに違う価値観を感じた。小さめのメーターボックスはBMWの02シリーズを思わせた。坂本先生のアコードも学内で良くみかけた。大学の後半には初代のゴルフが多かった。バブルのころのシーマ現象とは無縁だったけれど、シトロエンのBXにはあちこちで乗せてもらった。
黒木さんのお手伝いをしている時に乗せてもらった初代BXはボビンメーターと紫に近い青がとても綺麗だった。初めて運転させてもらったのは、バイク屋さんの赤いBXだった、銚子の方の温泉に行った時だと思う、乗り心地は黒木さんの車で知っていた。ずっと前に乗せてもらったGSに比べて遥かに普通の車に近付いたように感じていたのだが、長い距離を乗ると国産車との違いが良く分かった。ブレーキのストロークが短いのにも驚いた。
中学の頃のカーグラフィックの表紙の裏がシトロエン、裏表紙がミツワのポルシェで’シトロエンはアバンギャルド’といった宣伝をしていた。(トラクシオンアボン(FF)とリアエンジンリアドライブ(RR)を前衛と後衛に引っ掛けていたのだと思う)。ごく少ない変人の乗り物だったのが、BXで一挙に数が増えて西武自動車はともかく慣れないマツダでは面倒を見切れなかったのだろう。日本中でよく壊れる変な車という評価を不動のものにしてしまった。
そのわりに黒木さん以外に私の友人も2台つづけてBXに乗っていた。気に入っている人も多かったのだと思う。あれだけ多かったBXもそういった訳で近ごろでは見ることも減ってしまった。
今でも自分で手を入れて乗っている友人がいて、BXに乗せてもらう度に、早くは無いけれど十分なエンジン、大人4人がゆっくり乗れる限りに小さい車体、座った時の窓の高さ、硝子なりにえぐれたドアの内側、そして乗り心地(LHMやスフィアに手をいれてあれば)とても良い車だと思う。もう何年もたつ車だからそれなりに手入れが必要だけれど、オーナーが自分で出来る範囲が多い。
もちろん、たまには途方に暮れる時もあって、この時も難しくてハイトコレクター(車高調整装置)の修理で何度か泣きそうになった。
自動車いじりの師匠にお出まし願って、苦労をしてやっと直った時はお手伝いの私も本当に嬉しかった。
河サン、おめでとうございます。
それから、この時は大変お世話になりました。
私もこの車高調整を乗り越えてから
メンテの世界にのめり込んだような気がします。
イイ大人が真っ黒になってクルマの下にもぐって
遊んでいるような印象が私にはあります。
いつまでたっても無邪気な子供のままでいられる
ところがメンテの魅力でしょうか。
それともいつまでやっても完成に近づかない
BXの魅力でしょうか?
投稿情報: 藤ヶ崎 勝 | 2004-10-05 00:20
オーナーの藤ヶ崎さんにコメントを頂けたのが何よりの喜びです。有り難う御座います。これからもこの手の役に立たない話を増やして行こうと思います。
投稿情報: Kawa | 2004-10-05 00:50