一番沢山映画を見ていたのは高校・浪人の頃だと思います。70年代前半から中盤でしょうか。あちこちに名画座があったので、二本立てや三本立てを安く見る事が出来ました。新宿の西口プラザはコーヒー一杯より安くて100円だった気がします。
フランス映画で言うと、トリュフォーやルイ・マルは見る機会がありました。ゴダールとエリック・ロメールはあちこちに名前が出て来るのに見る機会がありませんでした。ゴダールを見る事が出来たのは大学を出てからでした。同じ頃、80年代に入ってから新作を出してきたのがエリック・ロメールでした。’海辺のポーリーヌ’や’緑の光線’は映画の新作紹介欄に出ていたのを覚えています。私は当時中々ロードショーを見る事は出来ませんでした。
エリック・ロメール監督特集が始まりました。今になってこんなにまとめて見る事が出来るとは思いませんでした。これは良い機会だと思って角川シネマ有楽町に通う積りでした。何本か見た所でその気が失せました。
もっとたわい無い気楽な恋愛映画を期待していました。けれど、私の期待とは随分違っていました。たわいも無い恋愛をどうすればあぁも面倒な物に出来るのか、他人にとって意味も無い、内心のウダウダを人様に晒したがるのか。そもそも恋愛に対する情熱の違いが受け入れ難くなってきました。日本人だって恋愛映画を作りますが、フランス人の恋愛に掛ける情熱や倫理観に比べればずっと幅の狭いものです。許容の幅が狭い日本人の私はうんざりしてしまいました。暫く前に見たアラン・レネと一緒です。
もう一つ驚いたのはエリック・ロメールが亡くなった私の父とほとんど変わらぬ生まれだった事です。80年代60歳を超えて父は面倒な仕事から逃げ出す事を考えていました。自身の恋愛は勿論、他人の恋愛にも付き合う気は毛頭無いように見えました。そうした時に同じ様に60を過ぎたじじいがどうでも良い恋愛を取り上げて、あぁでも無い、こうでも無いといじくりまわすその情熱に、60になった私は呆れました。
実を言えば楽しめた所も沢山あったのですが、段々に面倒くささがそれを上回る様になりました。私は彼ほど恋愛が好きではありません。面倒も苦手です。エリック・ロメールはその面倒に大きな情熱を持っているという事だと思います。