戦争は二度としたくない とか、大本営発表がどんなに出鱈目かとか、日本人が日本人を非国民と罵る社会にしてはならない とか、戦後日本での共通理解が成り立たない社会になって来ました。日本人があちこちで晒した蛮行にそんなはずはないと憤る人達が戦争を知らないのは無理のない事かも知れません。私も戦争を知らない世代ですが、父から聞いた話を幾つか残しておきたいと思います。
私が残しておきたいのは、取るに足らない戦争の細部と今は失われたのかとも思われる常識についてです。父が戦争中に戦闘機に乗っていたとの話だけで零戦乗りにさせられてしまいました。ご存知でしょうか日本にもアメリカにも空軍は無かった事を、陸軍航空隊と海軍航空隊があって夫々違う戦闘機に乗っていました。イギリスのロイヤルエアフォースRAFとドイツのルフトバッフェは既に独立した空軍でしたが、アメリカにも日本にも空軍が出来るのは戦後の事です。零戦は零式艦上戦闘機、海軍の戦闘機です。陸軍の父が乗る事は在り得ません。日本でもアメリカでも陸軍と海軍は仲が悪くて戦争映画ではパーティーで居合わせた陸軍と海軍の乱闘シーンが良く出てきます。
敵基地から駐機している戦闘機に飛び乗って脱出する主人公や、隠れた入江の中からパイロット一人で飛び立つ映画がありますが、それはセル一つでいつでも走り出せる今時の自動車と同じように考えている所為でしょう。起動車をプロペラの前に据えて、質の悪いガソリンとプラグに苦労しながらエンジンを始動するのは一苦労だったと言ってました。更に暖機が必要ですから、今時の車を乗り出すのとは訳が違います。暖まっていれば、飛び乗って一人で走り出す事が出来ないとは申しませんが、冷えてしまったエンジンを始動するのは簡単な話でもありませんでした。(工作精度が高くガソリンとプラグにも恵まれたアメリカでは少し気楽な物だった様です。)戦闘機乗りだけで飛行機が機能するかの様な勘違いもあると思います。何時間か飛んだ一台の戦闘機に、次の飛行まで何人か整備兵がつきっきりで面倒を見て、やっと飛ぶんだという事をご存知でしょうか。(今でもF22は1時間飛ぶのに30時間の整備が必要です。)飛行機の何倍かの人数の整備兵がいないと基地が成り立たない事をイメージ出来ますか。
重機関銃をランボー一人が抱えて撃ちまくるなんてのもナンセンスだと思います。(映画に必要なのは分かりますけど)私の父は航空隊に行く前には機関銃部隊の分隊長だか小隊長だかでした。機関銃一台の一分隊に馬が二頭と弾薬を運ぶ荷車と、メンテナンスキット、本体の機関銃は4人で一本づつ脚を抱えて移動します。凍てつく大地やそれが解けてドロドロになった荒地で荷車を押して、陣地を構築して諸般の用意整備を整えて撃てる様になるまで、1分隊8人だか10人だったか忘れましたが、一台の機関銃の用意には大変な手間が掛かる事が無視されている気がします。
次の話は親父からではありません。オートバイチューナーとしての意地だけで、何度か巨大メーカーの鼻を明かした吉村秀雄は、集合管とポップの名前で世界に知られました。戦争中は飛行機の整備兵をしていたそうです。撃墜されたB29を見に行ってプラスネジに驚いたとの話を読んだ事があります。マイナスネジをハンドツールで回すのと、直ぐに中心が出せて電動ツールが使える(回転トルクの管理も容易です。)プラスネジとでは正確さと生産性に大きな差があります。それを見抜いた吉村は日本の負けを確信したそうです。日本だけでなく世界でプラスネジが当たり前になるのは戦後の事です。沈頭鋲一つで自慰行為に耽るのは勝手ですが、あれも日本人一人の発明とするのは無理があります。
ガソリンの質やネジ一本、工作精度など基礎工業力の差が飛行機や機関銃の運用時には大きな障害になって現れます。勇ましく飛び立っていく戦闘機や、撃ちまくる機関銃は戦争のほんの一部にすぎません。
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