二次大戦後、欧州製のスポーツカーに触れてその楽しさに惹かれるアメリカ人が増えました。中には安くて大馬力のアメリカ製V8エンジンを移植すればもっと速くなると考える人もいました。
英国製のスポーツカーACにフォードのV8エンジンを載せたのがキャロル・シェルビーでした。彼は自分の作ったACコブラを売るだけでなく、欧州のレースにも出場しました。
これは行けるとの手応えと同時に、ル・マンなどの長いストレートでは古くて空気抵抗の多いオープンカーの不利に気が付いて、新しくて空気抵抗の少ないクローズドボディが必要だと考えました。ピート・ブロックのデザインしたクローズドボディを載せたのがデイトナコブラです。デイトナのレースでデビューしたのでこう呼ばれたそうです。
1964年からプロトタイプレース(ワールド・マニファクチャラーズ・チャンピオンシップ)に出場して1965年にはタイトルを獲得しました。
これを見ていたのがエンジンを供給していたフォードです。自分の所の上手く行かないフォードGT40をキャロル・シェルビーに任せる事にしました。キャロル・シェルビーは新しいフォードGT40で手一杯ですから、自らのデイトナコブラプロジェクトは中止です。デイトナコブラを売りに出しますが売れません。
1シーズン・2シーズンを戦ったレースカーは消耗仕切ってしまいます。次のシーズンを戦うのにはお金が掛かります。外は新しいボディをかぶっていますが、中身は古いフロントエンジンのスポーツカーです。レースの世界では既にミッドシップのエンジンが当たり前になりつつありました。古いデイトナコブラにお金を掛ける価値があったかという事でしょう。
二束三文になったデイトナコブラの一台が1966年の日本グランプリにやって来ました。クルマは安くなっても、日本にまで運んで、更にレースに出られる様にするのには、当時で1000万程掛かったそうです。その後も長く日本に留まって沢山のレースに出ました。日本のレースファンには馴染みがあります。けれど一線を退いた型遅れがどさ回りで日本にもやって来たと言う感じがありました。十分な手当を受けていた様にも見えませんでした。
その後、日本にあった一台はキャロル・シェルビーの元に戻って手入れを受けた後、ドイツで暮らしているそうです。
最新型しか価値を持たないレースの世界ですが、古くなったレースカーを個人で楽しむ人が増えました。6台しか作られなかったデイトナコブラは最も高い値段が付く様になりました。日本円で5億とも10億とも言われます。暫くぶりに登場する次のオークションでは10〜15億の値段が付くだろうと言われています。
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