大学の1年の時には、国分寺の裏道ひとつまで覚えていた訳ではありません。
クラブの先輩に連れられて行った店は、もう3軒目か4軒目で今となっては正確な場所が特定できません。酔っぱらってもいたと思います。
国分寺駅の南口を出て、左の坂を降りて、殿ヶ谷公園を過ぎて、
多分、交差点までのどれかビルの地下だったと思います。
ピーターキャットという名前で、猫の置物だらけだったことしか覚えていません。
国分寺に限らず、中央線沿線ではままある事かもしれません。
国分寺も不思議な町で、飲み屋の数が多い割りには、やくざや喧嘩といった危険な匂いのしないどこか間の抜けた町でした。
特に南口の間抜けなことと言ったら、今から考えるとあきれてしまいます。
到底商売が成り立っている様には見えない個人の道楽のような店があちらにぽつん、こちらにぽつんとありました。
都心では勿論、まるっきりの田舎でも成り立たない変な店だらけでした。
バブルと呼ばれたあたりから、間の抜けた隙間だらけの南口にもビルが建って、お店の家賃や保証金も馬鹿みたいに高くなってしまいました。払えなくなった店もあった様です。
そのお店が移転したのは、バブルよりずっと前、私が大学の2年になった頃でしょう。
千駄ヶ谷に移ってからは、駅を降りて鳩森神社の手前、ガラス張りの2階にありました。
秩父宮や国立競技場で、大学ラグビーの対抗戦や交流戦を見た後に良く寄りました。
友人たちはコーヒーとケーキを、私はロールキャベツを良く頼みました。
その後、お店は人に譲った様でした。
人気作家が毎日店に出る訳にも行かなかったのでしょう。愛想の良いタイプにも見えませんでした。
村上春樹の短編を読み始めたのが、大学の何年の時だったのか良く分かりません。
当時、片岡義男が流行っていましたが、読んでいる事を自慢できる様な代物ではないなと感じていました。若い男性がちょっと格好を付けたくても実際には実現出来ないこと、そう言った何かの代償行為に思えたからです。
私が村上春樹の短編を読んでいたのもまるで同じ仕組みに思えました。
だから、同じ様にあまり自慢の出来る話では無いと思っていました。
出て来るのはサンドイッチと缶ビール、スパゲティーにドーナツ。
神戸育ちが納豆を食べない可能性はありますが、ご飯と味噌汁も食べないのでしょうか。
そうした片仮名と、何の役にも立たない話の羅列、意味の無い話をスパスパと切り上げて行く所に、快感を感じました。
彼について語るべきはスタイルであって内容では無い気がしていました。
けれど、世間では私と違ってもっと深い読み方をするのでしょう、期待する物も大きい様です。彼もそれに答えて立派な長編をものする様になりました。病院の本棚にあった古い短編集を久し振りに読み直しました。昔と同じ快感がありました。短編集自体と私には一切の進歩がありません。
彼によればビーチボーイズがスーパー・イノセントな歌を歌っていたのは、長いキャリアのほんの数年に過ぎない。問題は天才ブライアン・ウィルソンの苦悩とペット・サウンズだということですが、私の好きなビーチボーイズは初期のまさしくスーパー・イノセントな何年かなのです。
PS
先程、自分には叶わない何かの代償行為を、あまり自慢が出来ないなどと申しましたが、男一匹がき大将や課長島耕作、渡辺淳一、少女漫画も皆同じ仕組みだと思います。
自慢も出来ないけれど目くじらをたてる必要も無さそうです。
昔この本のタイトルを初めて見た時「考える日和」の駄洒落だと思いました。
真偽はワカリマセンが、そう外れてないと思ってます。
投稿情報: UMAGURUMA | 2008-07-15 21:05
ははは、成る程。
内容より、こう言った連想や語感、リズムやテンポの方が大事な話にも思えます。
投稿情報: kawa | 2008-07-16 01:11
kawaさんは新旧ピーターキャットに行かれたことがあるのですね。羨ましい...
はじめて就職したデザイン事務所が鳩森神社先の坂にあり、ピーターキャット跡地が件の場所だと聞いて悔しい思いをしました。
ちなみにブライアンは今でもスーパー・イノセントな歌を歌っていますよ!
(会って話したわけではないですが、彼が奇跡のようにイノセントなのです。多分...)
ソロになってからの日本公演は三回とも馳せ参じましたが、どれも素晴らしいものでした!
投稿情報: ひぃ〜 | 2008-07-16 15:20
ココモなんてのはいつ頃でしたかね。
揃いのストライプのシャツにクルーカットで昔の曲をやってくれる様には思えなかったのです。
行けば、良い事は分かっていたのに。
行かなかった自分が悪いのですが、どれも素晴らしかった3回を御覧になっているひぃ〜様が羨ましい・・・
投稿情報: kawa | 2008-07-16 16:20