今日、10月21日のNHKスペシャルについて。
操縦も未熟なままの学徒に、老朽化した戦闘機(九七戦)をあてがっての特攻は、機体の故障が多く、発進する知覧の基地にまで、計画の1/4しか機体が集まらない事もあったようです。出発した後も途中で不時着して戻って来る人が多かったこと。この事実を隠して戦果を強調するため戻ってきたパイロットを隠していた事。出かける時には、片道の燃料しか積まなかったという話は聞いた事がありましたが、機銃も無線も取り外されて、援護の戦闘機も付かず、レーダーで全てを承知していたアメリカ側には飛んで火にいる夏の虫だった事。
知らない事が幾つもありました。
私の父は昭和17年に美術学校を卒業しました。
陸軍に応集して、宇都宮の飛行学校でアカトンボ(複葉の練習機)を卒業した後、
少年飛行兵の教官として南方に行き、現地で終戦を迎えました。
教習機は型遅れの九七戦だったそうです。
九七戦は二枚プロペラ低翼単葉固定脚、ハヤブサの前、陸軍の主力戦闘機でした。
(飛行学校の同期が最新型の三式戦や四式戦に乗っているのが、随分悔しかったようです。
三式戦‘飛燕’に乗った人はほとんど死んでしまったそうです)
同じ陸軍の九七戦、学徒による特攻はひと事には思えません。
現に父の弟は海軍の特攻隊で死にました。
学業もなかばで集められた20そこそこの若い人達に無責任に特攻を強いて、自分はぬけぬけと生き残った上層部、日本の軍隊という仕組み、が許せません。
今も特攻を美化したり、自衛隊を海外に送りたがる奴らが前線に出る事はありません。
特攻で若い人達を送り出した側の個人名まで特定した番組を初めて見ました。
画期的な放送だと思います。
最初はアメリカを驚かせた特攻も、レーダーの発達で意味の無い物になったこと。
沖縄戦では陸軍海軍あわせて1900人の特攻で170の損傷を与えたに過ぎないこと。
軍艦を沈めたのは一隻だけだった事。無意味とは思ったけれど、戦果としてここまで低いものとは思いませんでした。
もう少しアメリカ人の肝を冷やす事もあるのかと思っていました。
華々しい戦果、何十年も昔の情報操作に私自身が影響されているとは思いませんでした。
PS
特攻というキーワードでこのエントリーにアクセスがあるようです。御陰で参考になるいくつかのサイトが覗けました。
許されなかった帰還<
菊水作戦
鳥飼行博研究室<
アメリカ海軍年表
(クロニクルで年代記、クロノメーターで精密な腕時計、クロノロジーで年表か、なるほどね。)
damaged by suicide plane.これかな、これは沢山あるけれど撃沈という訳でも無さそうだ。
沖縄戦での特攻機の数、戦果については非常に特定する事が難しく、テレビ番組からの伝聞だけで、一隻だけなどとするのは避けた方が良いのでしょう。 ただ、米軍艦船の被害に関しては、台風や座礁、お互いの衝突があんなにあるとは思いませんでした。神風がふいたんだ。
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