300B小史
1927年前後でしょうか、映画に音が付いたのは。
トーキーって奴ですね。高いお金を取る劇場のため、家庭用の電気蓄音機とは桁の違うお金がかけられました。
もうひとつ、ベルリンオリンピックの’民族の祭典’やハリウッドを見れば判ることですが、(ムッソリーニのチネチッタも)
当時の映画産業全体が国威発揚のための国家的事業だったのです。
共産国ではありませんから、私企業のかたちにはなっていました。
米国でその音響部門を担っていたのが、ウェスターンエレクトリック、WEと略します。
アメリカでは電話も公営ではありません。アメリカの電話を作って来たのがベル電話会社、後のアメリカ・テレフォンアンドテレグラムAT&Tです。その海外版がインターナショナル・テレフォンアンドテレグラムIT&T。CIAなどの海外工作員はここの肩書きをよく使います。AT&Tの音響通信機器製造部門がWE。その一部門があのベル研究所です。1876年にグラハムベルがベル研究所で音声の通話に成功した事が発端だとすれば話しの順序が逆かも知れません。真空管の話ばかりしていますがトランジスタの発明もベル研究所、特許はWEが持っていました。
当初、映画の為に使われたWE41・42・43と言った機械はとてつもなく大掛かりなものでした。管球王国の51号、WSIの土井さんによれば、映画のフィルムとは別のディスクを音源とする仕組みから、映画のフィルムに音源が仕込まれた光学式(サウンドトラック付き)に映画の音響が統一された頃、1933年にはWE300Aと言う真空管が開発されています。それを使ったWE86というアンプが1934年に出来ています。
この真空管のおかげで、それまでの大きなアンプを随分小さな仕掛けに出来るようになりました。
その後それ以前のWE42・46といったアンプにも使える様に改良されたWE300Bが1938年に出来ました。
ただ、ウェスターンのアンプも真空管も全て劇場にリースされて一般の市場に出ることがありませんでした。
極々一部の人の手に渡って、噂だけが極一部の人に広まりました。
個人のオーディオで使おうなんて思いもよらない事だったのかも知れません。
丁度その頃始まった戦争で、レーダーが実用化されて、その性能と信頼性から300Bは軍艦のレーダーに、レギュレータとして使われました。
軍用で使われるとなると人の命が掛かってきます。少しでも不具合があればどんどん取り替えます。
そのため軍艦が出航するときには小さな部屋一杯に真空管を詰めて出かけたようです。
その後そうした軍艦も時代につれて退役します。
レーダーだって新しくなるでしょう。軍にストックされた大量の300Bが少しづつ日本でも出回りだしたのが、
1970年代ではなかったかと思います。
売ってる場所も数も限られていました。お金さえ出せばいくらでも手に入るといった代物ではありません。
試そうと思っても、買おうと思っても、中々手に入りません。
噂が噂を呼んで、ほとんど神話になって行きました。
あらゆる真空管を知って最後に、特別のつてとお金の両方を持つ人のみが持つ事を許される、そんな真空管だったのです。ちょっとオーバーかな。
こうした古い真空管を有り難がるのは、日本のアマチュアだけの話だったのですが、
段々その影響が世界中に及び始めました。
当初、直熱三極管のシングルエンド信仰は日本固有の物でした。アメリカ辺りの真空管アンプはGT管を使ったハイパワー志向が多かったと思います。それが今では世界中にシングルエンドマニアがいて、6550を沢山並べたアンプは昔程多く無い気がします。
今まで見向きもしなかった古いST管に高い値段がつくと、直熱三極管の王様300Bは商売になると踏む人も出て来ます。90年代の中頃になって中国やロシアでも300Bを作り始めました。
本家のウェスターンでも再生産を始めました。
今や初めての真空管が300Bという人もざらにいます。(昔の人が聞いたら卒倒しかねません)
誰にでも、どこでも買える、一番身近な真空管になってしまいました。
再生産ではない昔のウェスターン300Bは今でも、もの凄く高価です。
もの凄く高い昔の球と、今の中国製が同じ音なら貧乏人も幸せですが、そうは問屋がおろしてくれません。
ペアの内一本を割ってしまって一本しか残っていない再生産WE300B
2009年3月に管球王国の51号、WE86に関する記事を読んで加筆訂正をしました。
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