地方の美術館や企業の社長室で印象派やエコール・ド・パリに出くわして驚いた事が何度かある。
バブルがはじけて帰って行った絵もあるのだろうけれど、この日本にはまだまだ名画が沢山あるらしい。
けれどゴッホやルノワール、シャガールという名前だけで買ったとしか思えない。
何より集めた人の好みが伺えない、コレクションとして魅力に欠けるものが多い。
絵を描いた人と同じように、それを買い集めた人の目も問われて来るのではないか。
どうも企業や個人、地方美術館のコレクションにそれが欠けている。情けないね日本人は、と思っていた。
(大原美術館にはまだ行った事が無い。)
名画の類いは、売り買いと言ったやりとり、個人の好き嫌い、趣味嗜好による判断にさらされる機会が少なくて、きっと日本の社会全体がまだ勉強不足なんだろう。
近世以降でもあまたの伝世品のやり取りや、古美術商と目利きの客との関係の中で、十分に学習されて日本人独自の評価体系が確立された世界では、世界に胸をはれる日本人好みがある事が良く判った。
泉屋博古館分館で12月10日まで、展覧会”中国陶磁、美を鑑るこころ”をやっている。日本に於ける中国陶磁器コレクションの精華が集められている。会場も小さいし、点数も多くない。掌中の珠とも言える小品ばかりだけれど、数では敵わない故宮にも質では負けない粒よりだ。まったく素晴らしい日本人好みの世界だ。
殷の陶片(芸大のコレクション)。青銅器は昔から好きだったけれど、あの模様だけがあんなに魅力的な例は初めてだ。
白釉加彩花葉文壷、唐美人も今では単なる下膨れのブスだし、唐三彩も見飽きたなどと思っていたが、国際都市長安がどんなに魅力的だったのか、唐がまだまだ興味のつきない対象だと思い知らされた。
南宋の龍泉窯は勿論、北宋の汝官窯、さらに米色青磁のあんなに綺麗なものがあるなんて想像も出来なかった。
宋の青磁ばかりに気を取られていた私にむしろ中国陶磁のピークは明だと、台北の故宮でリン君が教えてくれた。
故宮では、逸品も多かったけれど興味を持てないものも多かった。
どちらが評価が高いかと言われれば故宮には敵わないのかも知れないけれど、どちらが自分の手元に置けるか、欲しいかと言われれば、今日の明のコレクションはどれもが欲しくてたまらない。私にも人にもそれぞれ好みがあって並んだもの全てが欲しいなんて事は今まで経験が無い。私の好みも日本人好みに収まるものだという事も良く判った。
単品では、as it isで見た漢の馬、ベラスケスのエル・プリモ、どちらも素晴らしかったけれど、展覧会では今回を今年のベストにしたい。
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