毎回似たような話でおまけに同じ役者が毎回違う役をやっていた’仁義なき戦いシリーズ’は結局どれを何回見たのか自分でも良くわからない。高倉健のやくざ映画も随分見た。映画館で見る事は無かったけれどテレビで見た片岡千恵蔵の時代劇も好きだった。
小津や黒沢で終わったとは思わない。高校浪人の頃まで、70年代には邦画も随分見ていた。
けれど、その後もう随分長いこと日本の映画には失望ばかりしていた。
Always三丁目の夕日の評判も聞いたけれど、内心まるで期待していなかった。
特にきちんとした時代考証なしに衣装や大道具のセンスにまかされたような日本の映画の作り方には腹の立つことが多かった。
ある種の感傷と、科学的とは思えない懐古趣味の行き付く所はある程度読めると思っていた。
期待をしなかったのが良かったのかも知れないけれど、Always三丁目の夕日は思っていたより、ずっとできが良かった。
あら探しをしながら見ていたのだけれど、子供が高円寺まで行った帰りの都電の停留所が馬橋二丁目になっているのを見て、
ころっとやられてしまった。中央線の高円寺駅そばでは無しに、都電で青梅街道を行けば馬橋が正しい。今は梅里なんて誰が決めたか分からない怪しげな地名にされてしまったけれど、馬橋が本来の地名だった。
子役二人もとても良い。
もう一本の’運命じゃない人’も大作では無いけれど、今私たちの住んでいるこの環境の中でこんなに面白い話が出来る。本当に嬉しくなるような映画だった。
揚げ足取りはしないつもりだったのだけど、あまりに大きい扱いだったので、一言。
ミゼットは1958年にはまだ左右のドアも無いバーハンドルで、ドアと丸ハンドルのついたミゼットは大分後の話だ。
後半、鈴木オートの室内から土間の作業場を見ると映っているのは、レッグシールドを外してあるけれど、ヤマハメイトだとすれば、60年代中盤から後半の発売だから、早すぎる。ただ58年にはホンダのカブが出ていた。
もんしぇんは別の機会に取り上げたいと思っているのだけれど、この二本と立て続けに見たせいで、日本映画の底力のようなモノを感じた。おじさんには分からない映像詩のようなものかと用心していたのだけれど、ばあさん達の怪演でむしろ日本映画の伝統の上に成り立っている部分もあるように見えた。