ずっと昔、オーディオフェアを五反田や晴海でやっていた頃は、家電各社も熱心で国産輸入合わせて大変な数のブースが並んでいた。けれど、ああいった会場でキチンと音を聞かせるのは中々難しい。隣より大きな音や綺麗な御姉さんといった方向に努力が向きがちだった。
あんなに憧れていたJBLにも、4343の重いコーン紙で愛想がつきたのもこの頃だ。
アンプの出力を大きく出来なかった頃は、軽くて大きなコーン紙で能率の良いスピーカーが必要だった。
ただ、そうすると低域のレンジを伸ばすのに大きな箱が必要だった。
ちょうどトランジスタアンプの出力が上がって来たのを良い事に、小さな箱でも低域がでるようにコーン紙はどんどん重くなって行った。
大きな出力で能率の低いスピーカーを鳴らしても、小さな出力で能率の良いスピーカーを鳴らしても、同じ音ならば、箱が小さくなるだけハイパワーアンプが有利だ。
でも、得るものがあれば、失うものも必ずある。
数字の上では素晴らしい特性の組み合わせも、スピーカーの能率が下がるのに比例して反応の悪い、伸びやかさに欠けるものになった。
勿論、失うものがあるからと新しい技術を否定していては進歩は望めない。
ただ当時は、毎年色々な新製品が山のように並んだけれど、いつもオンライフの真空管アンプで鳴らすクリプシュのラ・スカラが一番良い音だった。
当時の憧れもあるけれど、今見てもデザインが好きだ。フロントパネルのレイアウトにはマランツ#7の影響が大きい。メーターが光るのも、日本人は大好きだ。ただアルミのヘアラインシルバーか黒がお約束だとすれば、白いパネルは珍しい。(GASのテドラも白かった、どちらもその後黒くなってしまったのは営業側からの圧力だろうか?)
見た目以上に感心するのはその匡体の構成だ。ただの黒い箱にしか見えないけれど、フロントパネルを手前に倒すことが出来る。
つまみの裏のセレクタやボリューム廻りは一度配線してしまうと後から直すのは非常に困難だ、けれどこうやって倒れれば、接触や断線のチェックも、ハンダ付けも簡単に手が届く。
アンプとイコライザも基盤ごと抜き差し出来る。アンプ作りやメンテナンスに精通した人間の設計だと思う。
その後、多分ハンダごてなど握ったことも無い外部の’デザイナー’に頼んだのだろう、削り出し無垢のつまみの並んだ豪華な外観のものにモデルチェンジした。
うろ覚えではあるけれど、社長は都立大かどこかの先生で富成さんと仰った。
御本人は亡くなったけれど、カートリッジとトーンアームはいまだに評価が高い。
私と同じぐらいの息子さんが二人いて、二人とも旧いオートバイが好きで、お兄さんはイギリスで模型飛行機のキットを作っている、バイカーズステーション誌に載っていた英国通信は私もとても楽しみにしていた。
弟さんはやはり岩本町のあたりで旧いバイクの修理を教える学校をやっている。筑波の旧車レースなどでも良く見かけた。
オンライフという名前とダイナベクターという名前があってどちらが商品名でどちらが会社名なんだか良く区別がつかない。
アレックスモールトンもやっていると言えばお分かりになる人も何人かいると思う。
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