デ・キリコの形而上絵画、マネキン頭部の陰影は写実とはかけ離れたものです。それは、複数の消失点の操作と同じように意図された物です。塗りつぶした平面や建物の影とくっきりとした輪郭も意図された物だった筈です。
高校の頃でしょうか、毎月買っていたCar Graphicに、古典への回帰と称するデ・キリコの絵が載っていてショックを受けました。輪郭もハッキリしない筆ムラだらけのグズグズな絵は進歩或いは転進と言うより、棄教とか堕落とかビジョンの喪失にしか見えませんでした。歳を取るってこんなにだらしない恥ずかしいものかと思いました。
今回さらに驚いたのは、1960年代 70年代になっても需要さえあれば臆面もなく、昔の形而上絵画を複製していたと言う事です。節操がないとはこの事だと思いました。けれど長い生涯のどこで何をやるかについて選択肢や機会は多い方が良いのかも知れないと考え直しました。
絵画における古典の意味は人それぞれですが、人間の体の凸凹と布のドレープ、これらの表現に対する真摯な献身を古典と言い換えても良いのではないかと私は思います。そうした努力を一切放棄した絵のどこが古典だと、納得の行かない所がありました。彼の言う古典の中にルノワールが含まれると聞いて初めて納得が行きました。
死んだ素人画家のアトリエに行って遺品の整理をしたとします。デ・キリコの今回来たスイカや剣闘士が混ざっていたら、二度見る事も無く、他と一緒に捨てるか焼くべきだと思ったでしょう。これは本当に素人画家のクズとは違う物でしょうか。う〜ん私には分からない。
悪口の様に聞こえたかも知れません。実際には知っている絵も印刷物とは違う輝きがあったし、知らなかった絵が欲しいとも思いました。何より変遷に関して複雑な経緯を知る事が出来てとても良かったです。良い展覧会でした。
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