暮れの訃報に続いて、今度は狛江の家解体のお知らせだそうです。 昔好きだった家は良く覚えています。(高校の頃に聴いた音楽と同じでしょうか 最初に刷り込まれてしまうと、メモリーが一杯になって仕舞うのでしょうか。 後からのデータを入れる容量が残っていないのかも知れません。) そうした家が相次いで解体されてしまいます。 坂本先生の’代田の町家’とは竣工解体ともに同じ頃ではないでしょうか。 同じ頃に、同じ様な御施主が、周りとは少しだけ趣味の違う家を建て、同じ様に時間が経って、 同じ様に歳を取った。・・・・私の勝手な妄想です。 どちらも人を驚かせる大発明と言うよりは、 私たちの身の回りにある要素を丹念に選んで再構成したもの。 判る人には一大事ですが、それ以外の人には何の騒ぎだか判らない。 小さな差異に価値を認めるかどうか。私には大問題だった訳ですが、 時代を超える価値とは認められなかったということでしょうか。 時代を超える建築には勿論大きな価値があります。 けれど消えて行く物にも価値がある。 私にとって大事な物は随分果無いものだったのだな などと結論に届かぬことをぐるぐると考えました。 大変に残念ですが、見学の機会を得たのは本当に有り難いことです。 沢山の家を造った永田さんですが、狛江の家だけが他と違います。 いつもの手を繰り返して使う事で精度を保っていたのだとすると これは一体どうした事かとは永年感じていた事です。 秋山さんによれば、御施主様の考えに依る所も大きい家なのだそうです。 自家薬籠中の手ばかりに頼れず苦労の後も見えました。 永田さんの他の家では絶対に見る事の出来ない、破綻も幾つか見えました。 でも、そうした事が建物の価値に影響するかと言えば、 全く関係がありません。 寧ろ実物は写真以上に絶妙な縦横高さでした。
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