清家さんや篠原さん、広瀬謙二やRIAの家が載った本を良く見ていました。フジ型のフードを載せた白くて大きな湯沸かし器が何だか分りませんでした。蛇口をひねればお湯が出ると聞いて驚きました。
給湯設備なんて普通の家にはありませんでした。泥だらけになって帰って来た後、バケツにやかんのお湯を足して母が足を拭いてくれたのを覚えています。
丹下さんやメタボリズムはDuという美術雑誌に出ていました。その後、東さんの塔の家は建築以外のメディアでも目にしました。家庭画報からカーグラフィック、行く先々に出まくっていたのは宮脇さんでした。
日本の建築家も大方とは申しませんが、幾らかは知っていました。けれど、白井晟一は大学に入るまで知りませんでした。こんな人がいたのかと驚きました。
(小学校の頃、習い事があって中野/江古田とバスを乗り継いで通いました。中野から新井薬師、オリエンタル前、哲学堂公園の野球場を左折して、玉井さんの家の裏を抜けて、三波春夫御殿の下を通り江古田までもう少し、交差点の左手前に塀に囲まれた閉鎖的な家がありました。特別の雰囲気があったのを覚えています。あれが自邸『虚白庵』だったのですね。)
どこへでも出て行って、立て板に水の如く、書きまくりしゃべりまくる宮脇さんとは対照的に見えました。勿論、建てた建築には感心したのですが、建築科に入りたての初心な学生があのカリスマ性と言うか はったりにやられた気もします。何せ哲学科出身ですし、暗い中に一方から光を当てた劇的なお顔の写真しかお目に掛かれないし、私達のお習字とは訳の違う’書’やガンダーラの仏頭がピンスポットで浮かび上がったりすれば、すっかり呑まれてしまいます。最初は随分感心していたのに何かが違うと感じる様になりました。上手く説明出来なかったのですが、卒業後フランク・ゲーリーの自宅を写真で見て合点が行きました。暗い中でしかめ面しているばかりが手とは限りません、明るい所で笑って行く手もありだと思いました。
池袋の駅から歩いて5分から10分、昔は住宅街だったのでしょう。今ではすっかりビル群に囲まれています。大きなお庭の中には古くてくすんだ平屋が一軒。雨戸も閉まったままですが、地面には毎朝のほうきの跡が残っています。一文字瓦に銅の樋、ただ者でない事が分ります。外壁の付け柱、スリットを開けた基礎と土台。白井晟一スタイルとお見受けします。門下生によるものか、参考になる図面を捜せば誰かが真似る事も出来ます。けれど本人の作である確率も高いと思います。
普通の家とは掛かる値段が違います。それだけのお金が出せるお金持ちの好みと白井スタイルとが偶然重なる事は稀です。贅沢が結果として白井スタイルに繋がる可能性は低いと思います。最初から白井スタイルが目的だとすれば、本人に頼んだ確率が高いのではないかと考えます。豊島区役所がすぐそばに越して来る様です。このまま何時まで残れるか心配です。
明治通りからジュンク堂の裏手に入った辺りでしょうか。そんな平屋の民家があるとは全く気がつきませんでした。
白井設計事務所の作となる渋谷の松濤美術館の真ん中は閉鎖的で何か暗いものを感じていたんですが今考えると原発の炉心みたいですね。
投稿情報: いのうえ | 2011-06-05 23:41
方向は仰る通りですが、大分奥です。南池袋2丁目35番地、もう東池袋駅に近いです。
限られたスケールの中で、偉そうだったり、奥深そうに見せる為の演出は、辛い時も有りそうです。折角暗くして難しい顔をしていたのに、誰かがカーテンを開けたら、舞台裏のつっかえ棒まで見えちゃった、なんてことにならなきゃいいのですが。
この家は、ただの汚い家で、むしろはったりとは逆に見えるかも知れません。けれど良い材料を使って丁寧に作られた家に思えます。
丹念に手入れされた庭がそれ以上に大事かも知れません。
投稿情報: kawa | 2011-06-06 22:47