絵画という集合は、芸術なんていう集合より本来ずっと大きい。という話は前にもした事がありました。
神事や祭事との関係を言われる岩絵から始まって、宗教から開放されたのはほんの何百年か前です。芸術としての絵画などと言う考えは極く最近のモノです。現在は商業主義に組み込まれてしまったイラストレーションも、写真の無かった頃は学術的な記録という色合いの濃いものでした。啓蒙主義や百科全書が、更には世界全てを採集して分類しようという考えが背景にありました。
ある歳になると女の子は絵を描かせても少女漫画じみたモノしか描けなくなります。
(少女漫画の無い日本以外の女の子はどんな絵を描くのか見てみたいと思っていたのですが、世界中に日本マンガのばらまかれた今ではその検証も出来なくなってしまいました)
何故、こんな話を始めたのか。人間が絵を描くのにはそれぞれの状況や背景があります。安易な前例によらず、何からも影響されない自発的な絵などというモノがあるのだろうかと思っていました。
神事や宗教、芸術や学術記録、商業主義や漫画、あらゆる影響から離れたニュートラルな絵があるとすればどんなモノだろう。
(ポンペイの絵なんて、今と同じ世俗主義や商業主義に既に染まっている気もします。)
大袈裟な話の後で、この絵を持ち出すのは拍子抜けかも知れません。
幾多のしがらみから抜けて、誰かからの影響やありきたりを排除してなどと言うと、とんでもない前衛か蒸留水のような無味乾燥なモノにもなりそうです。
けれど細心の注意で雑味を排除しながら、こんなに身近な所にこんな絵がなりたっていた。・・・・・・やっぱり大袈裟すぎますか?
同じ様に前から思っていることですが、小さな男の子から私の様ないい歳まで男には乗り物好きが多くて、それぞれが絵を描く機会もあるだろうに、上手な乗り物のイラストはあっても、上手な乗り物の”絵”を中々見る事が無い。
それからどうしてでしょうか,乗り物の絵って下品になりやすいんです。
上手でしかも上品な乗り物の絵は本当に少ないと思います。
どんなに書き込まれた絵でも、たいていどこかに不足や落ち、失敗や描き過ぎ、破綻があって、完璧な絵なんてなかなかある物ではありません。
簡潔ではあるけれど、どこにも失敗が見えない。毎回工夫を凝らした構図も完璧です。
今回はイノウエさんの御陰で原画を間近に見る事が出来ました。切り貼りやブラシュワーク、印刷では判らない事も多いと思います。大いに感心しました。
輪郭線の中の色を、同じ版画で埋めて行く多色摺りが大変だった所為だと思います。色紙に摺って切り貼りしたり、手で書き込んだり、色々な手が重なっています。プリンティングとも言い切れません。ペインティングでも無いでしょう。英語だと何て言うんでしょうか。ピクチャーってどんな意味だろう?
(日本には季節や色に使い分ける言葉が多いという自慢を聞いたことがあります。けれど慣れない他所の言葉は単数形や複数形、女性名詞や男性名詞の使い分けが面倒です。ブログのカテゴリー名をペインティングにしたばかりに困っています)
ギャラリーに置いてあったポートフォリオで過去の作品を見ても、昔の木版だけのシリーズより、この”でんしゃ”の方が格段に楽しい。
最近では四谷駅の断面図も素晴らしい。
本当に小さな展覧会ですが、今の所今年のベストかな。
どうってことも無い絵本の絵に、なんだってこんなに持って回った大袈裟な物言いをするのか、読む気も起きない。
御もっともです。済みません。
先日はクライアントにも似た事を言われました。私にとって大事な事は大体において迷惑でしかない様です。
こんにちは。ご覧になられたんですね!!
私がギャラリーにお邪魔したときには作者である岡本さんの幼なじみの方が来ておられました。お二人とも小学生のころ、カメラで気になる乗り物(廃車も含め)や 駅舎を撮りまくっていたそうです・・・ 作品を前にした鑑賞者の心は自然に自分の幼い頃に戻っていくのではないでしょうか。画面のそこここに隠れキャラ的な動物や人物がいたりしませんでしたか?
投稿情報: いのうえ | 2009-10-06 01:22
イノウエ様
御陰様で良いモノが見られました。
あっさりした絵に見えますが、手間の掛かった用意周到な絵だと思いました。
けれど、あちこちに遊び心があって、固くてつまらない絵にはなっていません。
私は随分感心しました。
教えてもらって有り難うございました。
投稿情報: kawa | 2009-10-06 09:16