ずっと評価を定めかねていました。AT&Tビルは冗談にしか思えないし、この世にミースやファンズワース邸なる存在のある限りガラスの家に無条件の拍手もしかねる気がしました。彼を建築家、或は物作りと考えるとどこかに胡散臭いものを感じてしまうのは私だけでしょうか。
けれど円錐形の屋根の書斎は大好きです。ロックフェラーのゲストハウスも凄く具合が良さそうです。大見得を切って素人を黙らせるというよりは、裕福でモノの良く分かった人にだけ、本当の使いやすさが解る、ニューヨークの町家と言った印象があります。(貧乏人の私に本当の良さが解る事は無いでしょう)
何より、広い敷地にぽつんぽつんと好きな家(あずまや、オブジェ、小屋)を幾つも建てるなんて、こんなにとんでもない、けれど質の高い道楽を他に見た事がありません。
ガラスの家についても、ミースの建築が大好きで、だから自分で作ってしまいました。真似をしました、隠す気もありません。どうしても欲しかったと言われれば、むしろ素敵なご趣味と賞賛したいところです。
そっくりの物まねである。又は同じにに見えるけれど、全く依って建つ所の違う別物である。どちらの批判にも、だって欲しかったんだもんの一言で動じる所も見せません。(と言う様に見えます)作る側と欲しがる側の立つ所が交わる事が無いとすれば,彼は欲しがる側に立っている様に思えます。
欲しがる側の人間が作った物真似だからこそ、彼が本人の個人的な創作なる立場にシニカルで、尚他人のそうした行為を大事に思える希有な存在だったからこそ、広い敷地に建った建築群(或は原寸大の模型群)が、20世紀建築のミニチュアコレクションあるいは博物館にそのままなっている様に思えます。
有名建築家たちを集めての交流も彼自身を建築家と考えると親分風を吹かせている様にも思えますが、彼を世界一の建築愛好家と考えることで理解がしやすくなります。彼の様な建築家になる事と、彼の様な好事家になる事のどちらが難しいかを考えると、後者の価値がずっと高い様に思います。日本に優秀な建築家はいますが、彼の様なディレッタントは見当たりません。
ガラスの家がファンズワース邸より先に出来ていたとは知りませんでした。(勿論、ミースの図面は先に出来ていたそうです)
芸術新潮の6月号、フィリップ・ジョンソンの特集は私の知らない事(建築家になるより大資産家になる方が先だったこと、ずっと後から建築の学校に行った事、生い立ちやゴシップと言ったことも含めて)が沢山載っていました。
今まで何となく腑に落ちない、納得が行かないまま放り出してあった事が解決したようにも感じました。
その後、日本には三渓園と言う場所がある事を知りました。自分でデザインをせず、コレクションに集中している所為もあって、質・スケール共にフィリップジョンソンを凌のぐかも知れません。