家電やオーディオもすたれて、コンピュターに。
今はアニメーションのフィギュアとコスプレの店だらけ、秋葉原も随分変わりました。
ゲームにもアニメにも、メイド喫茶にも、興味が持てない私にとって、駅前にいるメイド喫茶の呼び込みやオタク達は毎日見てもこの世のものと思えない所があります。
更にはそれを目当てに来ている外国人の多いこと。
秋葉原の駅前も氷山の一角に過ぎません。今や世界中に日本アニメのファンがいて、中国でもフランスでも、セーラームーンのコスプレをやっているなんて聞くと、ホントカヨ、何か頭が痛くなる様な気がします。
お茶や能を自慢しても分かった振りをしてくれるのは、’私はインテリです。’というポーズに過ぎません。
浮世絵にカラオケ、漫画、本当に喜ばれるのはもっと身近な物なのでしょう。
でも、世界を制覇した日本のアニメ、ジャパン イズ クール、本当でしょうか。
自動化にも色々な手段があって、必ずしもロボットである必要は無いはずです。
人型ロボットでないと気が済まないのは日本人、ロボット先進国日本、これもどうなんだろう。
どちらも日本に手塚治虫あってのこと。その存在、影響力の大きさは時間が立つ程増しています。
功績の大きさを讃えることに勿論異議はありません。
本来アニメーションは手間と時間、お金の掛かる贅沢な物でした。ディズニーは膨大な投資を映画という形で回収していました。その価値を社会に認めさせていた訳です。
ひるがえって手塚治虫。
テレビ局からの過酷な要求に一秒あたりのコマ数を減らし、制作側の熱意だけをたよりに徒弟制、女工哀史以下の労働環境を作り上げました。本人一人が漫画を書くのに没頭するのは美談かも知れません。
けれど沢山の人数を使って大きな物を作ろうと言う人間には別の責任があるのではないでしょうか。(日本の建築、設計事務所に良く似た話です)
コマ数を減らして質を落とし、社員下請けを搾取することでしか成り立たない日本アニメを作り上げた最大の功労者が彼ではないでしょうか。
日本のアニメが世界を席巻した理由はそのクオリティではなく、その値段だったのではないでしょうか。
世界中の誰も自分の首を絞めてまでアニメを作ろうとは思わなかった、それだけではないでしょうか。
こうした訳で日本アニメについて手放しの礼賛にちょっと躊躇します。
絵画を芸術という集合のある部分だとする事もできますが、本来絵画という集合は芸術と言う集合より大きくて、芸術的な価値などと言う物より絵画的な価値はずっと広範な物だと思います。
暫く前に大友克洋の’スチームボーイ’を見て驚きましたが、どうコメントしたものか困っていました。今回もうひとつ’鉄コン筋クリート’を見て良く分かりました。
映画としての善し悪しについては賛否両論があるでしょう。絵が芸術的価値を持つかどうかもわかりません。ただあのクオリティであの密度、とんでもない作業量で一時間半なり二時間、画面を埋め尽くすことがどんなに大変なことか誰も触れないのは何故でしょう。これはとんでもない事だと思います。こんな事は日本以外のどこでも未来永劫に出来ないのじゃないか、今、日本のアニメはもの凄いところに来ていると思いました。先程挙げた躊躇のほとんどが吹っ飛びました。
ただ3DCGが当たり前に成って行くだろうアニメに、絵の上手い下手や手数で立ち向かおうと言うのは、ジェット戦闘機の時代に零戦の性能向上ばかりを考えたり、イージス艦の時代に大和を作ろうというのに似ている気がします。大丈夫でしょうか。
手塚治虫の残した『罪』に関しては彼の追悼紙に唯一人断罪した宮崎駿の言葉が正にルサンチマンが結晶化されたかのような様相を呈しています。
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakugaku/No6.html#anchor1840406
スチームボーイ、鉄コン筋クリート、そう、そして押井守の『イノセンス』に於いてはもはやアニメの画が実写の情報量を超える事になりました。押井によればCGの基に実写とアニメが統合されていく事になるそうです。
因みに私はどれにも何も感じませんでしたけど...
大友のマンガ賞授賞式で彼の才能に対する嫉妬心をおさえきれなかった手塚。アニメ制作費を稼ぐ為にマンガを書きまくった手塚。狂気の神...
そういえば膨大な数の動画にボロボロの手で直しを入れている宮崎の姿にも狂気を観た様な...彼がちょっと線を直しただけで動く絵が生きた絵になる!!!
アニメとは根源的にアニマを希求する心の揺動なのではなかったのか?
狂うにも才能がいるのですかね? 狂ってる・箍が外れているものにしか感じない体質になってしまいました...
長文失礼しました...
投稿情報: ひぃ〜 | 2008-02-15 18:36
いくつかの当てにならない記事や伝聞からの憶測に過ぎない所がありました。
実際の現場からのこうした事実をふまえていた訳ではありませんでした。
アニメの事情に通じていた訳でもありません。
色々教えて頂いて、得る所が多かったと思います。有り難うございます。
実は、アメリカやゲームの3Dでは出来ない、手書きだからこその部分があるような気もしています。
狂気と呼ぶのかもしれません。
投稿情報: kawa | 2008-02-15 22:54
今、テレビを見てたら、缶コーヒーのコマーシャルで秋葉原が出ていました。
ここ2年程通っているけれど、あんな大騒ぎは見た事がありません。
けれど、ラジオ会館側の広場に2.3人のメイド姿の女の子がいたり、たまに女の子がアニメソングの路上コンサートみたいなことをしていしていると、むさいオタクたちが群がっていたりするのは本当です。
とっても不思議です。理解の範囲を超えています。
投稿情報: kawa | 2008-02-17 00:06
部品の買い出しによく秋葉原へいきますが、昔とは本当に様相が変わりましたね。
元々喧噪が苦手なのですが、iPod無しでは過ごせない街です、、、
そう、kawaさんが違和感・嫌悪感などを感じたとしても別に悪いことではないと思います。
ただ昔より愚連隊、ヒッピー、フーテン、太陽族、みゆき族、竹の子族等々若者の振る舞いに眉を顰めていた大人達と自分を相対化させてみるのも無益では無いと思います。
何が消え、何が残り、あるいは姿形は変わっても何が不変であるのか...
ともかく、秋葉原で賑やかなりし、彼/彼女等とアニメーション作品・制作の話は直接結びつけない方がよろしいかとは思いますが...
投稿情報: ひぃ〜 | 2008-02-17 19:40
今の若者は、という落書きの話しは古代エジプトでしたっけ。又確かめもせずにデタラメを書いてしまいました。
秋葉原の彼等とアニメーションの製作を結びつける必要が無い。まったく仰るとおりでございます。
その方がずっと気が楽デス。口が滑りました、年寄りの無用な戯言でした。
投稿情報: kawa | 2008-02-17 20:28