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コメント

ひぃ〜

手塚治虫の残した『罪』に関しては彼の追悼紙に唯一人断罪した宮崎駿の言葉が正にルサンチマンが結晶化されたかのような様相を呈しています。
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakugaku/No6.html#anchor1840406

スチームボーイ、鉄コン筋クリート、そう、そして押井守の『イノセンス』に於いてはもはやアニメの画が実写の情報量を超える事になりました。押井によればCGの基に実写とアニメが統合されていく事になるそうです。

因みに私はどれにも何も感じませんでしたけど...

大友のマンガ賞授賞式で彼の才能に対する嫉妬心をおさえきれなかった手塚。アニメ制作費を稼ぐ為にマンガを書きまくった手塚。狂気の神...

そういえば膨大な数の動画にボロボロの手で直しを入れている宮崎の姿にも狂気を観た様な...彼がちょっと線を直しただけで動く絵が生きた絵になる!!!

アニメとは根源的にアニマを希求する心の揺動なのではなかったのか?

狂うにも才能がいるのですかね? 狂ってる・箍が外れているものにしか感じない体質になってしまいました...

長文失礼しました...

kawa

いくつかの当てにならない記事や伝聞からの憶測に過ぎない所がありました。
実際の現場からのこうした事実をふまえていた訳ではありませんでした。
アニメの事情に通じていた訳でもありません。
色々教えて頂いて、得る所が多かったと思います。有り難うございます。
実は、アメリカやゲームの3Dでは出来ない、手書きだからこその部分があるような気もしています。
狂気と呼ぶのかもしれません。

kawa

今、テレビを見てたら、缶コーヒーのコマーシャルで秋葉原が出ていました。
ここ2年程通っているけれど、あんな大騒ぎは見た事がありません。
けれど、ラジオ会館側の広場に2.3人のメイド姿の女の子がいたり、たまに女の子がアニメソングの路上コンサートみたいなことをしていしていると、むさいオタクたちが群がっていたりするのは本当です。
とっても不思議です。理解の範囲を超えています。

ひぃ〜

部品の買い出しによく秋葉原へいきますが、昔とは本当に様相が変わりましたね。
元々喧噪が苦手なのですが、iPod無しでは過ごせない街です、、、
そう、kawaさんが違和感・嫌悪感などを感じたとしても別に悪いことではないと思います。
ただ昔より愚連隊、ヒッピー、フーテン、太陽族、みゆき族、竹の子族等々若者の振る舞いに眉を顰めていた大人達と自分を相対化させてみるのも無益では無いと思います。
何が消え、何が残り、あるいは姿形は変わっても何が不変であるのか...
ともかく、秋葉原で賑やかなりし、彼/彼女等とアニメーション作品・制作の話は直接結びつけない方がよろしいかとは思いますが...

kawa

今の若者は、という落書きの話しは古代エジプトでしたっけ。又確かめもせずにデタラメを書いてしまいました。
秋葉原の彼等とアニメーションの製作を結びつける必要が無い。まったく仰るとおりでございます。
その方がずっと気が楽デス。口が滑りました、年寄りの無用な戯言でした。

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