北米インディアンの部族、マヤやインカの王様、アメリカの考古学者、次々に出て来る名前が覚え切れません。
聞いた事が無い話も、多すぎてもう忘れてしまいました。
はじめて、この世が分子とさらに原子で出来ている事を教えてもらった時、
年代の羅列、暗記でしか無かった日本史を土地制度の変遷に絡めて教えてもらった時、
(もう忘れてしまったのが残念です。)
そんな時と同じくらい、わくわくドキドキしました。
あの大きな南北アメリカには、今の私たちには想像も出来ない、膨大な歴史がまだ眠っている事だけは分かりました。
忘れられた歴史のほんの一部があちこちで少しかじられたに過ぎないのです。
こんなに厚いのに、この本は体系としての歴史を教えてくれません。
幾つかの断片、現在の考古学の更にほんの一部が、学者ではないジャーナリストによって報告されたものに過ぎません。
全体を見通すような歴史を知りたいとは思います。
大きな大陸のあちこちで現れた小さな断片を、ひたすら集めて整理して行く事で、いつか、なにか繋がりのような物が姿を表すこともあるかも知れません。
それまではひたすら単なる羅列を繰り返す謙虚な姿勢が大切なのかも知れません。
幾つかのバラバラな事実を、無理矢理繋げる歴史家の出現はひんしゅくを買うべきでしょう。
まさしく群盲象をなでると言った状況なのかも知れません。
ただ少し離れて象を見る目を持った人がいれば別ですが、誰にも歴史の全貌を見る事が出来ないとすれば、群盲象をなでることこそが正しい態度に思えて来ました。
全体が見えたなんて言い出す歴史家は詐欺師に違いありません。
愚公山を移すって話ですが、人間はいつか目的を達する事が出来るというよりは、人間が何か勘違いをするととんでもない迷惑を起こすという意味ではないでしょうか。
家売りますと唐様で書く三代目。これも初代の苦労を知らない馬鹿な三代目が家を潰すという話では無くて、唐様で書けるようになるまで三代掛かるという意味ではないでしょうか。
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