手許の来日ブルースマン全記録によれば、ゲイトマウス ブラウンがボビーブランドと日本に来たのは1978年の11月。
ボビー ブルー ブランド、私の廻りでも、BBキングと並ぶビッグネームの来日に非常に期待が高まっていた。
特に、私はHere's The Manが気に入ってDUKE・PEACOCK時代のTWOSTEPS from the BLUESやCALL ON MEを買い集めていたので、
勝手に期待は膨らむばかりだった。
大きめのバンドに司会者がついて散々じらした後に、早口で口上を述べる、最後のワールズグレーテストブルースシンガーぐらいは私にも分かった。
ゆっくり出て来た御大に会場は大盛り上がりで黒人のおばちゃんたちの黄色い?声でしばらく会場は騒然となるはずが、空席の目立つ観客席からはまばらな拍手。
それでも、プロは自分たちのショーをキチンと続けて行く。何曲かやって少し会場も馴染んだ所で、ブランドは最前列の女性に
歌いながら近付いて握手を求める。本来であればキャーとか言って首に抱き着いてキスすべき所で、そのバカ女は逃げやがった。
当時48歳、丁度今の私達ぐらいだ。ブランドの心中は察するにあまりある。
何をしに来たんだ、あのバカ女は。今でも腹がたつ。
その後のショーが大盛り上がりになる事は無かった。
彼は日本公演のためにりんご追い分けの練習までしていたらしい。
一方、ズートスーツ姿の昔のLP一枚しか知らないゲイトマウスブラウンには、まるで期待していなかった。少しばかり変わった風俗の色物であろうと、勝手に決め込んでいた。
ウェスタンブーツにテンガロンハット、カウボーイスタイルのブルースマンというのにも驚いた。今では他にも沢山いるけれど最初に見たのは彼が初めてだった。本人もブルースマンと決めつけられるのが嫌いで、フィドルを持ち出して、カントリーを始めるは、楽器で動物の鳴きまねをするは、曲芸まがいを始めるは、その多芸多才に度胆を抜かれた。勿論テキサス風のギターも一流だった。その後も日本には何度か来たみたいだ。私もその後、見た覚えがある。
去年映画ライトニングインアボトルで元気な姿を見ただけに、突然の訃報に驚いた。ブログで出来た友人井上さんも映画で彼のファンになったばかりだと言うのに、残念だ。次に来たら井上さんを誘おうと思っていたのに。
サム クックやオーティス レディング(御存知ないかも知れないが、ジェームスカーっていうのも凄いんです)なんて言う人達もいない現在、日本人とは咽の構造が違うとしか思えない声を出す本物のソウルシンガーは黒人のなかでも数える程だ。現役ではオーティスクレイとウィルスンピケットこの二人だけかも知れない。
本当にこの二人の声を聞くと日本人の歌なんてどんなに力んでも蚊の哭くようなとしか言い様が無い。アメリカ中の黒人の中でも特別なんだと思う。(日本人全てが空手や柔道をやる訳ではないように、歌の下手な、バスケットボールの出来ない黒人だって沢山いるだろう)。
ウィルスンピケットは映画TheCommitmentの中でも理解ある大物を演じていたし。日本で見た時もサービス精神にあふれたとても良く出来たショーだったので特別私の見たコンサートが幸運だったとは思わなかった。
ジェームスブラウンやボビーブランドのような大規模なバンドではなくドラム・ベース・ギターの最少編成でベースは女性だった。
けれどこれがタイトな良いバンドで今まで見た中でも五本の指に入る。
その後色々な話を雑誌で読むと彼は非常に手間の掛るトラブルメーカーで、ありとあらゆるマネージメントに細心の注意を払っても
彼の出来心ですっ飛んでしまう話は枚挙に暇がないらしい。
ボビーブランドの例もある事だし風俗も文化もまるで違うこの日本で本人が機嫌良くやるショーを一度でも見られたのは幸運だったのかも知れない。1941年生まれだからまだ64才まだ見る機会もあるだろうと思っていた。まるで音楽に興味のない人にも、ギターだったら、オーティスラッシュとバディガイ、ソウルシンガーだったらウィルスンピケットとオーティスクレイこの四人を見せたかった。
残念だ。
kawaさん こんにちは。 ゲイトマウスブラウン 逝ってしまったんですね。
映画でのお茶目振りを 実際に見たかったのに残念です。
ボビーブランドの来日公演でのエピソードは実に悲しいものがありますね。
それから何年も経つのでしょうが コンサートを楽しむことって難しいですね。
投稿情報: いのうえ | 2006-03-09 19:39
一度実物を見て頂きたかった。機会があれば御一緒したいと思っていました。
返す返すも残念です。
投稿情報: kawa | 2006-03-11 00:26