最初に、エアコンやオートマがなきゃイヤダと言い出したのは、多分アメリカ人だろう。その後の便利だけれど無くても良いようなおまけなら日本人の大得意だ。どちらも暫く前の欧州車には付いていない事が多かった。各々の国やメーカーで随分と違う車を作っていたのだと思う。ハンドルには風船を、バンパーには対衝撃性を、色々な基準が増える度に世界中の車が似て来る。操作の方法も共通化が進んでいる。一切のコクピットドリル無しに乗っても運転に困る事が減った。良いことかもしれない。
初めてCXのドライバーズシートに座ると途方に暮れる。メーターから、ウィンカーのスイッチまで、全てが今まで乗って来た車と違う。
なんとか走り出すとハンドルの感覚も不思議だ。私は慣れるまで随分時間が掛った。
ただ慣れてくると、全てに理由のある事が分かってくる。今の世の中は30年前にフランス人の考えた未来とは違ってしまったのが残念だけれど、30年前に考えられる限りの理想や未来を実現している所が凄い。エアバッグだなんて言い出す前だったのだろう、一本ハンドルのお陰でメーターの視認性は抜群だ。ハンドル一本も構造的には相当な無理をしている。リムと軸を2本、3本で繋げばずっと簡単なのに。
自分達の考える理想や未来のためには手間も惜しまない。そのくせとても未来的だった外観とは裏腹にエンジンそのものは古い直4のOHVのままでまるで蒸気機関車のようだ。
どうも日本では誰が考えても一つの答えになることや、お金の掛らない事を、合理的と言ってしまいがちだけれど、人各々が持つ各々の理屈を大事にする事が合理だとすれば、意味がまるで逆になる。
全てが思想的根拠と未来に対する希望で出来た車に一旦慣れてしまうと、隣の車と同じにしておけば良い、それぞれが考えることを放棄した全ての車が情けなく思えて来る。
私のXantia(20年後のフランス人の合理性はずっと日本人よりだ)と何ヶ月か交換させてもらったお陰で貴重な経験が出来た。友人H氏に感謝したい。
車の名誉のため付け加えれば普通の人は10分程、早い人は二.三度、角を曲がると慣れるそうだ。
ハンドルを切ると大きくロールした後、長い魚が身震いする様にコーナーを脱出していくのは、慣れると病みつきになる程の快感だ。
PS今乗れば古く感じる直4 OHVのエンジンも70年代の発売時期には特別古い訳でもなかったのだと思う。30年前の車だと言う事を忘れがちだ。当時どれだけ’未来’だったのだろう。
もっとも50年代に発表されたDSの方が遥かに未来的だったと言う話もある。現行シトロエンに未来を感じられないのが残念だ。