高校の2年になって驚いたことのひとつは、私たち東京と言っても郊外育ちで長髪のロックファン(一方でコットンパンツとボタンダウンも良く着ていた、随分いい加減なものだった)とは、まるで違うリーゼント諸子の存在だった。高校の中ではロックファン以上の少数派だった。最初、遠くから様子を眺めるだけだったのだけれど、だんだんに、色々な話しをするようになった。誰より立派なリーゼントをしていたジョージちゃんはとても優しいいい人で、お金持ちだったので学校前の文法具屋の消しゴムを箱ごと買い占めて、みんなのために音のしないマージャンパイをそれは丹精込めて作ってくれた。おかあさんが歌舞伎町でお店をやっていて当時コーラ一杯が2000円だかという話だった。彼らは遊びに行くときは赤坂まで踊りに行くという話しで。気合いを入れて出かける時には誂えた玉虫のコンポラスーツを着るという話も聞いた。そこまで気合いの入らない時の彼らの服装は当時流行っていたアイビーにも似ていたのだけれど、必要以上にズボンは先が細く、クルーカットというよりはリーゼント、スタジャンよりはスカジャン(映画アメリカングラフィティの主人公たちがアイビーだとすればファラオ団といえばわかってもらえるだろうか)。当時彼らは既に本物のソウルを聞いていて、同じ突っ張りでも後の横浜銀蠅のようなドメスティックミュージックオンリーとは種類が違っていた。私達より遙かに遊び上手な街の子だった。同じ突っ張りの中でも完全な民族派と区別する意味で彼らをヤンキーと呼んだ覚えがある。その後ソウル好きは皆アフロヘアで先の広がったズボンをはいて新宿に行くようになった。リーゼント一派はアメリカの音楽や風俗、衣料とは何の関係もなくなったのだがヤンキーという名前は彼らにひきつがれたのだろう。
戦後のヤンキーゴーホームの時はアメリカ人全般を指したのだろう。南北戦争の時は北軍、その前はコネチカットの英国移民を指したらしい、それがなんでいきなり日本では不良といった意味になってしまったのか。イギリス人がアメリカ人を馬鹿にする時や南部の人間が北部の悪口を言う時に使うようだから日本でも当然アメリカを悪く言う時に使ったとすれば、社会のゴミとしてつっぱり君たちに使ったと言うこともあるかも知れない。もともとは関西でやんけを連発したり、品のないアメリカかぶれの不良を指したとの説もある。私の記憶がミッシングリンクを正確に繋ぐものかどうか分からないが、必ずしも民族的でない不良たちについても書き留めて置きたかった。(チーマーやラッパーなんてのもあったな)
PS 話が個体例に偏ったかも知れない。戦後アメリカの衣料と風俗が持ち込まれた中で、アイビーというのは、極くお上品な部類だと思われる。当然お上品でない部分も持ち込まれた訳で、ローファーでなしに先のとがった靴やリーゼントにビビッときちゃう人もいたと言うのが正確かな。
高校二年の時は、映画ジョニー・スエードのブラッド・ピットよろしく、おかんにカーラーを借りたりしてスーパーリーゼントにしていました。( ̄(エ) ̄)y-゚゚゚エヘ
はい、ヤンキーです。
投稿情報: mine | 2004-11-10 19:10
長髪もリーゼントも出来ない頭になってしまいました。
投稿情報: kawa | 2004-11-11 16:19
別の意味で僕の髪の毛も無理だな。
投稿情報: fuRu | 2004-11-12 12:19
古川さんダイジョブです。ブラックイズビューティフルなんて言い出す前は、黒人達もくせ毛から巨大なコテと整髪料でオーバーハングを作り出したり、コンク(膨大な手間をかけて化学的に直毛に矯正すること)
をしてリーゼントを実現していました。
投稿情報: kawa | 2004-11-12 15:45