今日はびっくりする程暖かで、道行く人もコートを脱いでいます。上野公園では外国人観光客がTシャツ一枚になっていました。西洋美術館は心配した程混んでなくてラッキーでした。プラド美術館展は本当にベラスケスが7枚も来ていて、これでラス・メニーナスまで来たりしたら、地球の重心が変わってしまうのじゃないかと心配です。ベラスケスも素晴らしいのですが、ルーベンスにファン・アイク、ヤン・ブリューゲルなど思わぬご褒美付きで楽しめました。子供の頃からルーベンスが苦手でしたがここ十年程で何枚か実物を見る事で垣根が低くなりました。肉の塊というよりはヒダの波打つ脂肪の塊、輪郭も怪しげで苦手の一つだったのですが、白い肌に映り込む青や赤の微妙な描き込みが今日は素敵に感じました。あれがどうにも耐えられない時もあるのです。ルーベンスはベラスケスともブリューゲルともお付き合いがあったそうです。二つの展覧会を見た事で知りました。
王子の乗る馬の胴体がまるで樽のようです。あんな馬など居る物か、王様の顎は長すぎるし、ベラスケスって下手なんじゃないのと子供の頃は思っていました。実物の前ではそうした疑念は露ほどにも浮かびませんでした。構図の素晴らしさと何より馬上の王子の素晴らしさの所為だと思います。王様の顎は本当に長かったみたいだし、樽のような馬やラス・メニーナスの侍女の変な顔も本当なのかも知れません。
今の絵の具は均質で被覆力も強くて下の絵を塗り潰すのは造作もないことですが、溶液に擦り込んだ顔料をどうやって画面に固定させるか、今よりずっと難しい代物だったのでしょう。何枚かの絵に書き直した跡が残っていました。
こんなに何枚ものベラスケスが一時に見比べられるのは夢のようです。バリェーカスの少年。顔が輝いた様に見えるので前に見たエル・プリモを思い出しました。(エル・プリモの方が好きかな。)今回来日の他に何枚か有る顎の長い王様ですが、今回の狩猟服版は、抑えた質感と不思議な背景、独特な構図が素晴らしい。闇の中に強い光を当てて浮かび上がらせた(カラバッジョみたい)東方三博士も十分に素晴らしいのですが、顔自体が輝いて見えるエルプリモとバリェーカスは更なる高みに到達している事が明らかです。あぁ、なんという贅沢な事でしょう。
すっり良い気分になって本を買おうとしたらカードが使えず残念でした。折角ですからと都美術館のブリューゲル展も覗いて見ました。
親だの孫だの兄弟だのと大勢いて良く分からない。忘れてしまっていたその関係をおさらいする事が出来ました。
つまる所、必ずしもお絵描きの上手ではないピーテル一世が魂を込めて示した世界観を、更に下手な息子ピーテル二世が表面的は模写でばらまいた。もう一人の息子ヤン一世はテクニックでは親を凌ぐ所があったにもかかわらず表面的な模写という事では兄と変わる所がなかった。更にその息子ヤン二世になると更に形骸化して流儀の継承へと堕ちて行く。ピーテル一世の名声は息子の沢山の模写があってこそと言うのは写真による印刷やマスメディアの無かった時代の皮肉です。
私にとってのブリューゲルはピーテル一世であって、私が期待するブリューゲルは来ていないという事でしょう。息子や孫の複製がほとんででした。期待するブリューゲルは見られなかったけれど当時の社会の状況や長い家族の歴史を学ぶのには好都合です。
PS
色々なメディアに取り上げられる事で情報量が増えるのは有難い事です。丸太のような馬については入り口の真上に掛けられる絵なので見上げた時に丁度良いように描かれているのだとの説明がありました。東大寺の金剛力士像と同じだと言う訳です。本当かな、やっぱり変だなと思う人がいて、捻り出した言い訳だと言う可能性もありますが、本当なら胸のつかえがおります。実物を見るとそんな事気にならなかったのも事実です。