全ての絵画の中で、お芸術としての絵画はほんの一部でしか無い。絵画は他に広い価値を持つとは繰り返し述べて来た事です。
イラストレーションの中には、取るに足らない浅薄な物が多いのは、仕方が無い事です。けれど、伝統的な絵画とはまるで違う格好の良さがあって、子供の頃、アメリカの自動車広告を見る度にこうした絵が描きたいと思いました。カーデザインの世界ではジウジアーロや児玉英雄のドゥローイングにも憧れました。
白紙の上に陰を書き込む事で立体感を表現するのではなく、色のついた画面に明るい色で光の当たる所から描き起こすハイライト描法は伝統的な油絵の中でもよく見れば見つかります。リアルな表現はどれだけの手間を掛けた物かと良く見ると一筆の刷毛目だったりして、手際の良さに感心する事は泰西名画の中でもあることです。けれどあからさまに刷毛目を見せる事で格好の良さをアピールする様になったのは、商業的なイラストの発達と関係が深いと思います。
全体に濃い色を荒い刷毛目の残るタッチで施して、光の当たる部分、車で言えばボンネットの上面にボディカラーを載せて行く、更に光沢の強いクロームメッキやガラス面には青い空が映り込んで、エッジにハイライトを入れる。光の当たらないボディの側面と車の陰の部分は下塗り以上に書き込まないので同じ刷毛目が見えています。丁度側面に地面が写り込んでいる様に見えます。今回の展覧会ではケネディの絵がこの描き方です。
緑の芝生に赤い土、青い空に白いユニフォーム、スポーツイラストレイテッド誌などで見かける綺麗なイラストを見ている内、逆光や木漏れ日を輪郭の辺縁をにじませることで表現する人がいる事に気が付きました。あっ又あの人だ上手いなぁと感心していました。バーニー・フュークスの名前を覚えたのは随分後の事です。
これこそ、伝統的な油絵とはまるで違う、イラストレーションの格好良さだと思っていました。だからてっきり、絵の具はリキテックスか何かだと思っていました。紙の上の水彩絵の具を水でにじませても水を紙が吸い込んでしまうのでああしたにじみ跡の輪郭は残りません。日本画風になってしまいます。ああしたにじみ跡を残すのには下地が水分をはじく事が必要です。水彩ボードかジェッソの上に水をはじく何かをして下地を作っているのかと思っていました。
日曜美術館の解説によれば油絵の具をテレピン油でにじませているのだそうです。旧来の油絵とはまるで違う新しい価値の代表には新しい画材であって欲しいとの思い込みは全てはずれでした。何十年かの謎が解けました。
知らなかった事がもうひとつ、イタリアの街を描いた絵が沢山有る事です。これがもう、めちゃくちゃ上手い、上手いけど浅薄で全く価値が無い。レンガ積みのローマの壁やイタリアの陽光がべらぼうなテクニックで表現されています。けれど通俗の極み、観光客の感傷に過ぎないと言えば言い過ぎでしょうか。描かれている物は全てが形而下の問題に過ぎません。デ・キリコの描くイタリアの街には何か別の重い物が有ります。バーニーの絵にはそれがありません。アメリカ人が馬鹿にされる理由が良く判ります。
グランドを全員でランニングする野球選手の絵に惹かれました。近くに寄ったら阪神タイガースの絵でした。そこに形而上の問題は一切含まれていません。難しい理屈も憂鬱も有りません。けれどちっとも浅薄ではありません。ゴルフの絵も野球の絵も一切の重さが有りません。けれどそれは新しい価値であって馬鹿にされる筋合いの物では有りません。古いお芸術の枠の中では実現出来なかった格好の良さです。
旧来の大陸とはまるで違う新大陸の価値が窒息寸前だった世界を救っているのだと思いました。(少し飛躍し過ぎました。もう少し説明を入れて行きたいと思います)