丹下さんが打破すべき権威と体制にあぐらをかいた既得権のカタマリに見えたのは何時からでしょうか。新宿の都庁をこれからも維持して行くのには莫大なお金が掛かると聞きました。誰より大きい自らの墓石を建てたかった。目前の巨塔を建てる事だけが目的で維持やメンテナンスには興味も無かったのでしょうか。メタボリズムって言葉の中には今時のサスティナブルなんて言葉と重なる所は一切無かったのでしょうか。
その時期が定かでは有りませんが、彼が社会の流れとはずれてしまったと感じる時がありました。黒沢明に同じ様な感想を持ったのと同じ頃かも知れません。けれど寧ろそれは憐憫に近い物でした。許せないと感じたのは都庁だったと思います。
この本で思い出しました。なんてったって明治以来の日本の建築家でナンバーワンは彼しかいない。広島や成城の自宅、代々木の体育館には文句のつけ様がありません。素晴らしいとしか言いようが無い。他にも山の様に並ぶ名作の中では山梨文化会館と新幹線の脇にたつ静岡新聞が好きです。此処いら辺りに比べると磯崎も黒川も槙、谷口も遠く及ばないと感じます。(東京カテドラルなど好きじゃないのも有りますが)
坂本先生の研究室やゼミの同窓会に先生の名前を付けたりせずに例の会って名前にしたのは悪くないと思っていました。前例が有ったとは知りませんでした。