目黒区美術館の降旗さんからの案内も頂いたし、UMAGURUMAさんからはコメントも頂いたので、無視するのは失礼にも思えました。
3月24日までの目黒区美術館’記憶写真展’に行って来ました。目黒の古い写真と言われても、私自身は目黒育ちでは有りませんし、実を言えば大きな期待をしていませんでした。
街の写真に写る膨大な情報量、撮った人間の意図する物も、せざる物も等しく記録されてしまう。写真って面白いものですね。月並みな感想で済みません。想像していたよりずっと楽しかった。古ぼけて情けない写真も有りましたがそれぞれの持つ情報には楽しさがありました。更に幾つかは見事な写りで、白黒写真の美しさを再認識しました。
併設された秋岡芳夫とKAKの写真については、見た事のある写真が多くて、私には馴染みがありますが、人様の目にどう写るのかが解りません。家族の写真が本人には大切でも、見せられた他人は迷惑なのは良く有る事です。もし御覧になった方がいらしたら、正直な所を訊かせて欲しいと思いました。
暫く前に見た、二川幸雄・日本の民家1955に付いて考えがまとまらない所がありました。’目黒区’の二つと並べる事で少し整理が出来ました。彼の功績や彼の建築を見る目に特別の価値がある事は否定のしようがありません。
けれど、見た事も無い鬼を描くのは容易いけれど、普段見ている犬猫や人を描くのは難しいとすれば彼にとっての建築は鬼に近い気がします。人を驚かせてなんぼが彼にとっての建築だとすれば、安藤忠雄とは相性が良かったでしょう。けれど、そうでない建築も世の中にはあった気がします。彼の価値観から外れた所にも建築の価値がある、なんて言ったら怒られるでしょうか。
’日本の民家’の中には、誰も気づかないだろうが俺が見つけたんだ、どうだ美しいだろう、といった功名心を感じる所があって辛い。けれど彼の意図する所とは別に、全てを記録してしまう写真の価値が彼の功名心を超えている。結果として人を打つなんてのはどうでしょう。
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