本が話題になったのは随分前だし、映画になった時も社会の中での大きな話題にはなりませんでした。作者へのインタビューをテレビでやったり、私の周りで小さな話題になった時にも映画を見ていません。
やっと映画を見に行けました。作者カズオ・イシグロに対する期待より、’An Education’で見た女優さんに対する興味の方が大きな動機だったと思います。
SF映画の様な特撮も立派なセットも、観光地の様な風景も出て来ません。作中で子供達が壊れたおもちゃやガラクタに大喜びするのを見て、いかにもイギリスだと思いました。古い家を壊すと小さなレンガを一つづつ売り物にする国です。本当に貧しくて質素です。けれど奴隷貿易や植民地経営を何百年もやる中で何にお金を掛けるべきかを知っています。どんなにしみったれても尊厳を守るのにはどうしたら良いか、非人道的な事を粛々と進める為に何が必要かも知っています。勿論、この映画は実際に有った話では有りませんが、質素で教育に手間を掛けるイギリスでこそ成り立つフィクションだと思います。
主人公たちは何故反乱も起こさずそれを受け入れるのか、悪辣な事をやり遂げる為にこそ、質の良い教育と倫理が必要です。
知らない国に行って現地の人たちにマスターと呼ばせるのに何が必要か、二次大戦ではそうした訓練も積まず出て行って、いきなり威張り散らして顰蹙を買った日本人、物質的経済的優位を中国や韓国に取られてアイデンティテイの危機に陥った日本には又とないお手本になる国だと思いました。
全く同じ心と体を持ちながら、一つの社会の中で別の運命を持って暮らす主人公たち、一見同じに見えて違う社会に暮らす彼ら。写真のシーンでは、互いの社会をのぞき合う不思議さ滑稽さが見事に視覚化されています。映画ならではに思えました。本の中ではどんな扱いになっているのか興味が残ります。
感心する事の多い、本当に良く出来た映画だからこそ、幾つか気になる所もあります。主人公達がすがる’猶予’と’ギャラリー’の仕組みは単なる噂だった訳ですが、あまり説得力がありません。主人公がポルノ雑誌を見る理由も切実な物に思えませんでした。
とっても感心したのに幾つか残る疑問、『日の名残り』を見た後も同じ気持ちになった事を思い出しました。
冒頭の、学校にマダムのやって来るシーンではアイボリーのアミがとても奇麗です。今、私は車に格好の良い事を求めませんが、もし今、何に乗るのが格好が良いかと問われれば、ピカピカのアミを乗り回していたらどんなに格好が良いかと思います。大人になった彼らが乗るのはFFになったファミリアです。日本でもヒットした車で友人に載せてもらった事が有ります。
『日の名残り』ではディムラーだったと思います。今は英国王室御用達と言えばロールス、最近はジャガーも有るみたいですが、本来英国王室御用達と言えばディムラーです。二次大戦前にメルセデスを入れるまで、日本の皇室は英国びいきでディムラーも有ったはずです。ジャガーは成り上がりで由緒正しいとは言いかねます。アストンやベントレーは本当の高級車ですが、スポーツイメージが強すぎます。貴族が安物に乗る訳にも行かない、見栄を張る必要は無いけれどシルクハットにはショーファードリブンのリムジンが必要とか、ロールスはちょっとという時にディムラー。時代によってブランドの意味する物も変わりますから、一概には言えませんが、なんだか存在理由が分かった様な気がしました。貧乏人の勘違いかも知れません。
ディムラーは創業の当時、ボートエンジン用にダイムラーエンジンを扱いました。車に関して関係はありませんが、名前の由来は皆様ご存知のドイツ製品によります。日本ではディムラーとダイムラーと言い分けていますが、イギリス人とドイツ人がどう発音しているのか興味が残ります。ジャガーに対する悪口と取られても拙いので申し添えますが、ジャガーは本来バイクのサイドカーのメーカーです。その後安い割に格好だけは素晴らしいスポーツカーを出して、自動車メーカーとしての地位を作りました。アメリカでポルシェを買えない人たちに、ずっと安くて格好の良いフェアレディZが売れたのと同じ理由です。ルマンで戦前のベントレーに匹敵する成績を上げたり、マークツーやS、XKシリーズやC、D、E、typeで評価を確立したのは戦後です。
キーラ・ナイトレイはまったく魅力的ではありません。女優として役そのものを全うしている、素晴らしい出来だとも言えます。このままでは可哀想なくらいです。『ベッカムに恋して』の彼女はとっても魅力的です。