とっても分りやすくて、沢山の人に聞いて欲しい地震の話です。地震研究の第一人者でありながらお話を聴く機会が少ないのは、国が沢山のお金を掛ける活断層調査や、気象庁OBの受け皿になっている緊急地震速報が無意味だと言ってはばからない所為です。(講演で御本人はこんな事おっしゃいません。)
過去に起きた地震の断層がたまたま地上で見る事が出来る場所が活断層であって、今見えない所でも地震の起きる可能性があるそうです。遠くで起きた地震ですが、地面を伝わって来る地震波より速く電波で伝えてテレビ放送などに乗せれば、地震が届くよりほんの数秒速く伝える事が出来るってのが緊急地震速報だそうです。数秒で何が出来るかという話もありますが、地デジ化でその数秒も食われてしまうのだそうです。
司法が体制の都合で動くでたらめや、そうした事に対する憤りは別の機会に、札幌地検に「詐欺」容疑で逮捕までされる顛末についてはこちらに譲りたいと思います。
ツメが伸びるのよりは速く、髪の毛が伸びるのよりは遅く、常に動く海洋プレートが大陸プレートとぶつかり合い、摩擦で固定された関係が一挙にずれる事が地震の原因だとすれば、二つのプレートがぶつかり合う場所は世界中にありますが、地球の表面積の中では限られています。その限られた場所の中でも、太平洋プレートとフィリピン海プレート、ユーラシアプレートと北米プレートの4枚がこすれ合う様な場所はほとんど無いのだそうです。
関東大震災のようなフィリピン海プレートによる地震、太平洋プレートによる地震、更に未だに原因となる構造の解明されない直下型地震があって、私達の住む日本列島は地震銀座と言って過言ではありません。4つのプレートが鼻の先で重なり合い擦れ合う関東地方は銀座の中心和光前の交差点といった所でしょうか。
関東大震災というと東京を中心に考えてしまいますが、震源は神奈川から房総半島にかけてでした。震度も神奈川の方が大きかった様です。東京での被害が大きくなったのは、人口や建物の集中した所為ですが、もう一つ、本来震源からの距離が大きくなれば震度も下がるはずですが、逆に離れた東京での震度も大きかったのだそうです。川向こうと呼ばれる下町は埋め立ての所為、足立、飯田橋、銀座辺りが揺れたのは昔の川の流れに沿っている為だそうです。
四谷からお堀に沿って走る総武線ですが、飯田橋を過ぎて右手に川が伸びています。江戸川橋からこちらが本来の流れだった様です。水道橋を過ぎて、両側の順天堂やアテネフランセの丘の間を抜けますが、あの切り通しも、お茶の水の大渓谷も合わせて江戸に入ってからの大工事に因るものです。やったのは伊達政宗みたいです。
本来は、飯田橋から九段下、お城の東を通って今の日比谷まで来ていた海に注ぐ川だった訳です。この川の反乱洪水には江戸幕府も随分手こずった様です。この流れを東に変えて隅田川に抜く事でお城から日比谷、銀座あたりの水害を減らしました。本郷からの丘伝いに攻め手が来ればお城の北まで直ぐ届く所をお茶の水の大峡谷とお堀で守ることにもなりました。
飯田橋から水道橋、南は神保町の交差点あたりまでの間は特に揺れた様です。それ以外の廻りが震度5ぐらいなのに震度7ぐらいで揺れた様です。
2005年の千葉県北西部の地震で最大の震度を記録したのは震源から離れた足立区の震度5強でした。関東大震災における震度は推定によるものですが、この地震でも廻りは震度4なのに飯田橋から神保町に掛けては震度5を記録しています。
宮城県地震で家が倒れたのは明治以降に人が住む様になった所ばかりだそうです。
震源を中心とした同心円状に震度は減って、距離が離れれば震度は下がると考えがちですが、遠く離れていても地盤の悪い所は揺れる。川沿いを埋めた、近年になって家が建った様な所は危ないと考えて間違いは無い様です。
家相、風水などと言うとインチキ野郎が何の根拠も無く、西には黄色だの、財布の色は何だのと抜かす出鱈目だと思われがちですが、本来は中国4000年、日本に入ってからでも1000年を超える経験則のかたまりです。どんな所に住むべきかをちゃんと書いてあります。北に山を背負って南に川の流れた丘の上、東に小川か井戸が有れば最高だと、縄文以来の住居跡や神社仏閣はきちんとこれを守っています。
最後に島村先生のお話から逸れてしまいました。
島村先生の地震のお話、大変分りやすい物です。機会があれば皆さんにお薦めしたいと思います。
PS、今お住まいの方に不要な不安をあおっても仕方がないので.申し添えますが、野菜には其々旬があるようにトマトは夏がおいしいという程度の話です。今は冬にトマトを食べるのに特別の苦労はないし、同じように折角銀座に住む人が逃げ出す必要もありません。大きく揺れる事は事実ですが、地盤の改良や杭、壁の強化にお金をかける必要があります。と言った程度の話かも知れません。
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