ウディ アレンの'HOLLYWOOD ENDING'(邦題さよなら さよなら ハリウッド)を見ました。
まったくいつもの通りのウディアレンでした。
カリフォルニアが嫌い。ニューヨークが大好き。
チビでハゲで眼鏡のユダヤ人。
その貧弱なユダヤ人の相手には綺麗な女性。
(コンプレックスもあるのでしょうが、その自虐的なギャグの割には、いつも随分とずうずうしい設定だと思います。
ダイアンキートンやミアファーローの後も、歳取った彼はそんなにもてるのでしょうか?)
モーツァルトと古いジャズが好き。
少しうっとうしい程の言葉の上でのスラップスティック。
つまる所、ウディアレンってこういう事なんだと思います。
言葉以外の画面の上でのドタバタや、80年代には多かった姉妹の確執といった深刻ぶった話、
暫く前にはレトロ趣味にも流れがちでした。
今考えれば、こう言った雑味と言えるものが消えて、とても整理が行き届いた、軽くて洗練されたものになったような気がします。
ただ、整理の行き届いた、洗練されたものだけの価値が高いとは限らないのが人の好き嫌いの難しい所です。
どれが好きかと言われると、とんでもないドタバタの’バナナ’や、
’Play it again sam’(邦題ボギー俺も男だ)が好きです。一番はやっぱり’アニーホール’でしょうか。
一時期のベルイマンかぶれも、本物のとんでもない重さはついに再現出来ませんでした。けれど、あれはあれでナイストライだったようにも思います。洗練の極みとして出てくるのが青磁というのも良かった。'インテリア'も心に残りました。
ただ、アメリカ人って、形に表れない物や、めちゃくちゃ重いものって向かないのかなと思います。
何も難しい話ではありません。インディジョーンズの最後に出てくるお化けには本当にがっかりしました。
形を見せない方がホラーだって恐くなるのに。
映画の出来の善し悪しなんて何が幸いするか分らない。一生懸命やったものは報われず、目も見えずに作った物だって誰かが誉めることもあるかも知れない。この設定はとっても共感するところです。
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