歴史は夜つくられるなんて聞いた事もあるけれど、実際には全て、後年捏造されるものなのだろう。
相撲の屋根がただの入母屋から神明造りに替えられたのは、1931年、建築で言えば、上野博物館や九段会館(本来は軍人会館だ)の帝冠様式に対応する物かも知れない。そういう時代だったのだろう。
誰かが厳かにエラソーなことを言い出したら眉に唾をつけて聴くべきだ。そういう時に必ず怪し気な歴史主義が珍重される。
なぜこんな事を言い出すのかと言えば、高校野球に蔓延する回顧趣味或いは捏造された歴史主義に疑問を感じるからだ。
白い木綿のごわごわユニフォームや、不思議な襟、折り目のついた帽子が大嫌いだ。
そもそもあんなものいつから着てるんだ。野球を取り巻く怪し気な精神主義と泥臭い風土がむりやり捏造した日本だけのモノじゃないのか。
クラシックなユニフォームが嫌いな訳ではない。がんばれベアーズなんかを見ると本当に良いなと思う。
本来ユニフォームは少しダブダブ気味のフラノ地だったのではないか。いつごろから木綿のごわごわを有り難がるようになったのか。
帽子もクリケットの帽子が原形だとすれば、つばも半球部も小さめで柔らかいほどクラシックだと思う、折り畳んでポケットに仕舞うのが礼儀正しい、あるいは合理的だとも言うのだろうか。折り目が格好悪いとは思わないのか。
ドライビング ミス デイジーなどアメリカの映画を見るとその時代考証の綿密さに驚く。(西部劇を見ればアメリカを誉めてばかりもいられないが。)
先日TVで美空ひばりの話をしていた、中村雅俊がいつものままの不思議な髪型で丸眼鏡をかけて出ていた。走って行ってぶん殴ってやろうかと思った。あんな頭をしたやつがいたとは思えない。昔の話をする時にあの訳の分らない頭を変えたくない俳優なんていらない。つい50年前の時代にたいする考証のでたらめ、あるいは歴史に対する寛容と、力んだ時に表れる安易でデタラメな歴史への傾倒。根はひとつだと思う。
PS
アクセスの解析から、このエントリーに’歴史主義’という大命題からアクセスされる方が多い事が分かった。これは困った。デタラメな歴史の濫用を、捏造された歴史主義などと書いたのはきちんとした言葉の定義とは無縁の、それこそ濫用だった。
ただ、建築の世界では18世紀19世紀の様式建築、ベンチゅーリから果てはM2まで、はるかに安易な濫用を含めて、結果としての現象を歴史主義と呼んでも怒られないような気がする。真面目な話をしている人達にとって不謹慎だったかも知れない。
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