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コメント

shio

ディティールが判然としませんが60年代風に見えますね、コッターレスのアルミっていうと随分後年?フランス車でしょうか。

kawa

ピンポン。おフランスです。昭和23年と書いてありました。だとすると、1948年って所がすごいなと思います。ローマや中国の歴史を調べていて、ふと日本を考えると狩猟採集の縄文時代かと、弥生になってるかなぁ・・・そんな感じじゃないでしょうか。写真はクリックすると少し大きくなります。

shio

よく見りゃエルス。40年代既に軽合金チェーンホイール、四角断面BB、エルスの創案だったのか?TAあたりかと思っていたけれど。

kawa

ピンポン、ピンポン。

AKi

1948年にこれ……すごいなぁ。日本でサイクリングという自転車でスポーツという環境が始まるのが1955年頃と思いますが、まぁ、おっしゃる通り農耕を始めてた頃かな。

kawa

1955年製と言われても感心しますよね。たかがチェーンホイールひとつですが、スポーツとしての文化、それを支える社会。小さな工房に軽合金製コッターレスを自製させる工業基盤、が無いとできないのでは、などと思いました。私の小さな頃、身の回りの自転車はすべてロッド式のブレーキでした。ワイヤ式のブレーキを見て、それまでの自転車が蒸気機関車に見えました。

UMAGURUMA

エルスのアトリエ創業は1940年、まともに自転車(完成車)を作り始めるのが1945年からなんです。
何故かというと戦時中はフレームに使うスチールが手に入らなかったから。。
で、その5年間は精密機械メーカーのブレゲ(あの時計の、です)時代に培った機械工作技術で飛行機用
ジュラルミンを使ってひたすら自転車の部品を制作、販売してたんですね(軍需用のオーダーもあったと類推)。
そう考えると、ある意味環境と時代の要求がエルスを作ったと言えそうです。

ちなみにニューサイクリング誌のエルス特集によると、この日本自転車文化センターの48年トリプレットは
元オーナーがパリの自転車クラブのカミーユ・プレボーという人で、妻のジャニーヌ、娘のマリクレールの
3人で一緒に走っていたとのこと。その当時、トリプレットはパリに8台あったそうです。

UMAGURUMA

あ、すいません最初の店は36年(クールセル)でした、40年のアトリエはルバロアで、79年にアスニエレへと移転しています。

kawa

素晴らしい解説有り難う御座います。以前にコメントを頂いたお二方にも見て欲しいなぁ。ジュラルミンなんて聞くとブレゲでも飛行機のほうかと思いました。時計ですか。へ〜。
もともとフランス語を片仮名にするのは無理があると思います。日本語の問題としたいのですが、私は随分古い情報でルネルスと覚えてしまいました。エルスと呼ぶ様になったのはいつ頃でしょうか。

UMAGURUMA

誤解を与える書き方ですいません、飛行機の方です。ブレゲ一族はまず時計からという頭があったものですから。
戦時中ジュラルミンが手に入ったのもそのせい(素材欲しさの軍需下請け?)と思っています。

ニューサイクリング誌の一番古い記事はアマンダの千葉さんの71年で、ルネルス。
76年にコレクターの花田さんのオーダー記ではルネ・エルスと書いてますね。
その後79年に今井さんという御方がアトリエ訪問記を書いていて、名前についてルネルセではなくルネルス、
もう少し分解するとルネ・エルス、けれどフランス人だと「ホネエウス」と聞こえると書いています、笑


kawa

ハハハ、「ホネエウス」ですか。
中国を見てると、全て外来語を漢字で書こうとするのは困難に見えます。(時々感心する様な例もありますが)でもそうした無理を承知で押し切ってしまう所に中国の厚顔を感じる時があります。
日本人の片仮名も同じ様な印象を与える可能性があると思います。
こうしたズレが生じることこそ文化ってやつなのかな。

UMAGURUMA

たびたびすいません。クランクのコメントが気になったので資料を探してみました。
Jan Heineの The competition bicycle によるとコッターレスのスクエアBBと軽合金クランクが登場するのは
なんと1933年!メーカーはストロングライトです(鍛造の工場はエルスオリジナルと同じ)。
本には20年代に先進的なエアプレーンテクノロジーとして生まれた軽合金は大西洋を横断し、ツエッペリン号は空気より
軽くなり、レーシングカーのエンジンとホイールになり、そして間もなく自転車においても取り入れられるようになった、
とあります。当時のエポックメイキングなレーサーとして1939年の仏Caminargentが写真で紹介されているのですが、
フレームがオクタゴンのアルミパイプを使いアルミラグのボルト締めで繋いでいます。。。コルナゴもアランも真っ青です。
イタリアのレーサー達が50年代になるまでほとんどがスチールパーツ(過酷な悪路での耐久性重視)だったことを考えると、
フランスがいかに先進的だったかが判ります。あらためて勉強になりました、笑。

kawa

軽合金は飛行機だけでなく、クルマそして自転車も同じ時期だったのですね。
1933年のコッターレスも凄いけれど、詳細な情報にも感心しています。有り難う御座います。

shio

UMAGURUMA様、コメント拝見しております。興味深いお話参考になります。Caminargent「カミナルジャン」というのでしょうか、八角アルミパイプのマシンと似たような物を20年近く前に都内のマニア宅にて見たことがあります。どんな乗り味か尋ねましたが、とても乗れた物じゃないといったような事を聞いた覚えがあります。写真を撮りましたが今すぐには見つかりそうにありません。軽合金クランクの嚆矢はストロングライト(何故か英語ですが)!なんですね、そのまんまの社名。現在スポーツ車のクランクはアルミ合金が殆どですが、失ったものもあるような気がします。たまにスチールを踏むと、えも言えぬ粘り、たわみを感じますし、また繊細な造形の妙も捨てがたいものがあります。ともあれ近代自転車の発達史においてフランスは一つの時代を作ったことは間違いないのでしょう。
kawa様、文化の相対性(翻訳が本質的に不可能なこと)について徹底思念したのもソシュールらのフランス人でした。「輸入代行」の強みと、「表音してるだけ」の弱点をもったカタカナ的なるものとどう向き合うかをわれわれは徹底思念しなければならないのかもしれません。中国にはより複雑にこじれた「近代的問題」がありそうですが。

kawa

shio様
コメント有り難う御座います。(翻訳が本質的に不可能なこと)についての話題も面白そうです。この機会に片仮名的なる問題の徹底思念についてもご意見を伺いたい所ですが。私自身には荷が重いので又の機会とさせて下さい。シャンペンや「ホネエウス」を私たち日本人はどう表記すべきかとの問題についてご意見が伺えればさいわいです。返信が遅くなりました。申し訳ありません。

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